他人を笑いたい自分に気付いたなら

他人を笑いたい時
自分のあり方に自信はあるか?
不安を隠してないか

問いかけてほしいな
不安に思わなくて大丈夫だから
そう思います

 


人のことを笑う人に会いました
おかしなことしてるように見える
なんでいつまでも分からず、
同じようなこと繰り返すのか
そう言って

何で笑うんだろって思います
人はそれぞれ違って、
みなが自分の価値に従って生きています
理解できないことや、
奇妙に見えることもそりゃあるけど
その人がいいと思ってるなら、
他人がとやかく言うことじゃないからです

自分のあり方を良しと思える人は、
他人はある意味どうでもいいものです
利害関係がないならなおさら
価値観が合わないのは自分と違うから、
それで済む話だからです

 


他人を笑ってなぐさみものにする人は、
自分は大丈夫と思いたいのでしょう
自分の価値観で他人を裁いていれば、
正しさが自分にあると思えるからです

先に他人を笑うことで、
心理的に自分を上位に置くことも出来ます
そうすれば、
自分が笑われる危険は減らせます

矛先を逸らして自分を安全と思いたい
逆に言えば、
そうしなければ不安ということ
他人を笑う人は、
自分を認められず不安に怯える人
そういうことだと思います

 


明確な危険と違って、
不安には正体がありません
幽霊みたいなものですね
恐れの源はこころの中にあるから、
自分で向き合わないと力を持ったまま
脅かされ続けることになります

他人を間違いにして笑わないと、
自分を正しいと思えない
不安の源は、
そんな自信を持てない弱さです
誰かを笑っても、
不安がなくなることはありません

 


正しさを考える時、
自分と他人は関係ありません
人にはそれぞれ正しさがあるから
自分の正しさを信じるために、
誰かを落とす必要はないのです

ずっと前のわたし
他人の目に怯えていた時、
実は似たようなことしてました
自分のあり方に自信がなかったのです

これをいくらかでも払拭できたのは、
他人と自分は別の存在で、
自分の価値は自分が持っていればいい、
そんなことに気付いたときでした

不安に囚われそうになることは、
今でもあるけど
そんなときは思い出します
他人がどうしようが、
自分が失われる訳じゃない
何か言われたって大丈夫なんだって

 


不安は人を狂わせます
安定したこころなら選ばない選択をしたり、
人との間を裂いたり

幸せは人と人の間にあるものだから、
不安が幸せにつながることは少ないでしょう
根拠のあることを恐れるのはいいけど、
不安に囚われても得るところはありません

誰かを笑いたくなったりして、
不安に囚われそうな自分に気付いた時は
思い出して欲しいのです
そのまま進むことはかえって危険なんだって

自分の価値は自分のこころにある
だから他人は関係ない
不安に根拠はないから大丈夫なんだって

そう思うのです

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