風にそよぐ草花みたいに

わたしたちの周りには、
いろんな鏡があります
草花や自然みたいなものから、
身近な人に至るまで

そこから自分に何を映し、
どんな風にこころの芽を育てていくか
未来を作るのはそんな選択なんだって
そう思います

 

 


理不尽な話を聞いた

すごく理不尽な話を聞きました
責められる謂われがないのに、
なんだか一方的に責められる
決めつけられて、
こちらの話は聞いてももらえない
あげくに人格まで否定される

現実って不思議なもので、
そんなことがたまにあります
人にはこころがあるから、
決めつけていいことなんて無いのに

だいたいこういう人は、
お仕事の文脈で出会います
立場の違いがあれば、
何をしてもいいと思っているのか
理不尽だなって思います

 


神様なんだそうです

「お客様は神様です」
日本ではそんな言われ方もされます
儒教的な価値観もある国だから、
長上は敬うべきという考えもあるでしょう

この言葉は考えるに値する部分もあります
お客様に必要とされるから、
ご飯も食べられます
長い間生きているそれだけで、
人生の荒波に耐えていてすごいと思います

ただそれは、
何をしてもいい免罪符にはなりません

お客様とは言え、
タダで食べさせてもらってる訳じゃない
お代はサービスを提供した対価です
上下で縛ることを正当化しません

尊敬はこちらが自然と感じるから価値がある
強要されるものじゃありませんよね

お客様が神様だとして
神様にもいろんな権能の神様がいます
福の神がいれば、
そうじゃない神様もいる

一方的に決めつけて人格否定する神様
ちょっと考えちゃいますね

 


自分ならどんな神様になりたい?

人はこころの中に神様の種を持っています
どんな道を選ぶかはその人の選択

慈しみで人に当たる神様が敬われて、
荒ぶる神様が恐れられてきたように
種を育てる方向で、
周りの反応は変わります

言わなければ伝わらない
これは事実ですが
聞いてほしければまず自分が聴く
これもまた事実

言葉を聞かず相手を否定していたら
誰も本心からは、
その人の話を聞かなくなるでしょう
それは誰のせいでもない、
その人の選択です

慈しみと理解の人と、
猛々しく威圧的な人と
自分ならどちらのそばにいたいか?
それを考えても、
簡単なことだと思います

 


まとめ:しなやかに行こう

理不尽なことを言う人もいれば、
それを受け流す人もいます

同じ土俵で毒を吐くか、
自分はそうならないようにしようと思うか
これもまた選択
こんなことの積み重ねで、
こころの中の芽は育っていきます

風にそよぐ草花みたいに
しなやかに行こう
豊かな光と水と大地が、
実りをもたらすように
こころの中の神様の種も、
大きく育って光を放つ日が来るから

そう思うのです

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