身近なものほどめんどくさいけど

うちのとーちゃんとかーちゃん

戦中生まれの戦後育ち
父と母はそんな人たちです
いろいろたいへんな中、
わたしを育ててくれた

子供を育てるって楽じゃないんだろうな
話を聞く度に思います
口きくようになったら口答えするし
外に出ちゃバカなことするし
稼いでも稼いでも消えて行くし

わたしには子供はいません
だから親の気持ちって、
よく分からないとこがあるけど
こういうこと考えると、
やっぱりありがたいなって思います

 


一緒に過ごせるのはどのくらい?

家を出てしばらくすると、
両親と会える時間の少なさを思い知りました
盆暮れとGW帰ったって、
1年で会えるのは1ヶ月に満たない
10年で考えても1年にはぜんぜん足りません

それが分かって、
なるべく帰るようにしていましたが
お仕事辞めた割に、
ぜんぜん帰ってないなーと思います
往復で¥4000ちょいだから、
たいして遠くないのにね

 


身近なものほどめんどくさい

それが分かったからと言って、
衝突が無くなるワケじゃありません
めんどくさいものはめんどくさい
それも身近な人ほど

親子と言っても家を出てからの方が長い、
ほとんど別の考え方の人です
ここで困っちゃうのは、
「正しい自分が分からない子供に教える」
という視点です

儒教的価値観が強い時代の人たちですから
仕方ないとは思います
意識してやってる訳でもないでしょうし

ただそれでも、
あんまりそういうのが強いとイラッとして
声と態度が固くなる自分を感じます
世間の親子ってこんなもんなのかしら
よく考えます

 


まとめ:めんどくさいの裏にあるのって

めんどくさい
それも事実だけど
そんなものほど無くなったら、
寂しいんだろうと思います

自分の態度が固くなるのは、
分かってほしいからです
親がいろいろ言ってくるのも同じ
わたしに苦労しないでほしいからでしょう

考えてみれば、
これは他の人間関係でも言えることですね

身近なものはめんどくさい
それは身近な人ほど分かってほしいから
そしてそういう人ほど、
会えなくなると寂しい

普通に考えたら出来ることが、
身近な人だと上手くやれなくなる
これもまた同じかな?

どうしたら出来るか?
そう考えた方がいいかもしれませんね
両親も含めて、
大切な人にちゃんと向き合わないとな
そんなこと思うのです

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