嫌なことばかり目に付くとき考えること

嫌なことばかり目に付くとき
感じるのは仕方ないけど
どう表現するかは選ぶことができます

他人は変わらないのだから
自分の表現を、
感じ方を変えて行くこと
大切だと思います

 


嫌なところばかり目に付くのはダメ?

めんどくさいなーとか
あれしてくれないよなーとか
他人の好きじゃない部分ばかり、
目に付くことがあります

人は違う
何でも思い通りになる訳じゃない
頭で分かっていても、
気になるものは気になります

そういうの良くないなって、
わたしは思ったことあるけど

自分を「いけない」と思うのはつらいこと
だから嫌なことばかり感じたとしても、
それはダメだと思わなくていい
今はそう考えています

 


まずできること

嫌な部分ばかり目に付くとき
まず感じることと反応の間にワンクッション
これだけで、
無用なケンカをさけることができます

例えば「悲しい」という感情なら、
「悲しい→気持ちの表現」じゃなくて
「悲しい→気持ちの確認→気持ちの表現」

感じたことを表現に直結させると、
赤ちゃんや小さな子供みたいになります
欲求を直接表現するのは、
生きる力のない子供には必要なことですが

大人でこれをやったら?
いきなり怒り出す人とかたまにいますね
自分も周りもしんどいですから
表現は選んだ方がいいでしょう

 
気持ちの確認

気持ちの確認は、
自分の気持ちをはっきりさせることです
言葉を聞いて自分はどう感じてしまったか?

怒りは悲しみや恐れの表現形態の1つです
だから「怒った」とか「イラッときた」は、
ここでは適切じゃありません
だいたいここは「悲しい」になるはずです

 
気持ちの表現

相手の言葉に意味を与えているのは自分です
感じている悲しみや怒りは、
相手のせいではありません
そこはまず自分ではっきりさせます

例えば同じ人からの「バカ」という言葉も、
状況によって感じ方が変わりますね
これを考えれば、
言葉が相手によって決まるのではないことは
理解できると思います

「そんな風に言われると、
自分は悲しく感じる」といった感じで
感情を素直に伝えられると、
人は素直な反応を返す可能性が高いものです

 


自分が変わる他ないのよね

他人は変えようとしても変わりません
変えられるのは自分だけです
相手に好きじゃない部分を感じるなら、
自分をどうにかするしかありません

相手が変わってくれたら嬉しいでしょう
でもそれはその人が、
自分で変わってくれた時のお話

相手を変えようと思って行動したら、
その時点でその人である意味がなくなります
自由意思こそがその人だからです

人は自分で変わらないと意味がありません
他人は変わらない
だから自分が変わるのです

 


まとめ:源流だって変えられる

めんどくさいなーとか
あれしてくれないよなーとか
そんなことへの反応を選ぶことはできますが
もっと大きく見れば、
その源流にも選択を及ぼすことはできます

嫌なことばかりの人なら、
そばにはいないはずです
いい部分も同じくらいあるところから、
自分が選んで、
嫌な部分を拾い上げているのです

わざわざ粗探しをして、
ここが悪いあそこが気に食わないと言われて
自分は嬉しいでしょうか?

人生を決めるのはその人だから
他人の言葉は絶対じゃないけど
そんなの言われ続けたらつらいでしょう?
身近な人であればあるほど、
それは間違いありません

相手に「自分はダメ」と思わせたい?
他人の人生を暗くする自分でいたい?

そうでないのなら
好ましい部分にも目を向けられます

感じたことから何を見出すか
何を選んで伝えていくか
考えたいなって思うのです

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