見方1つでどんな風にも変わるよ

幸せは自分が感じるもの
誰かに与えられるものではないから

何を選んで、
何を見ていくのか

大切だと思います

 


見たいものだけを見ている

人は見たいものだけを見ています
例えば
「黄色い物を探して下さい」
と言われたとき

身の周りの黄色いものを探して、
必要なら数を数えたりするわけですが
終わった後、
「今見回した範囲に、
紫のものはありましたか?」
と言われて

たぶん答えられません
人は見ようと思ったものだけを見る
これは見ようと思っていないものは見えない
こう言い換えることもできます

 


人の身体は省エネな作り

これは見ようと思っていないことが悪いとか
そんなお話ではありません
人の身体が不必要なところに、
力を割かない作りになっているだけ

人は頸動脈を長く押さえられると気絶する
よく知られた話ですが
これは生命維持に必要な機能を守るため、
不必要な部分からダウンさせた結果です

情報処理も同じです
身の周りの全ての情報を拾っていたら、
処理する手間ばかり増えて、
肝心の情報処理が遅くなってしまう

場合によっては危険察知の遅れにつながり、
命の危険にもつながりかなませんから
フォーカスしたこと以外は、
目に入らないようになっている

人の身体は省エネ
余分なことはしない作りなのです

 


見るものは選ぶことができる

これは見方をかえれば、
自分で何を見るか変えることで、
そぐわないものを除外できるということです

嫌なことばかり考えていると、
嫌なことにつながるお話ばかり探して、
好ましい可能性に目が向かないものですが

逆をやればいい
自分に都合よく考えて、
好ましい可能性に目を向けていると、
嫌なことは目に入らなくなります

こういう考え方をしていると、
嫌なことを探すタイプの人も離れていきます
見方のズレは積み重なって、
身にまとう雰囲気を変えてゆくからです

類は友を呼ぶ
好ましい可能性に目を向ける人は、
同じような人が好きですし
好ましくない可能性に目を向ける人も、
また然りということ

見るものは選ぶことが可能で、
それによって世界が作られていきます

 


まとめ:見方1つでどんな風にも

自分の見方1つ
何を選ぶかで起きる出来事は変わり、
それが自分の考え方を変え、
身の回りも同じような人が集まるようになる

身の周りが嫌な可能性ばかり数える人で、
自分に責任はなくて周りが悪いとか
そんな社会に暮らすのなんて、
正直ぞっとしませんよね

わたしの幸せはわたしが感じるものだから
意識的に見方を変えてみたら、
世界は間違いなく色合いを変えました
これは誰にでも可能な技術です

幸せは誰かが作ってくれるものじゃなくて
自分で決めて感じていくもの
何を選んで何を見ていくのか

大切だと思うのです

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