知らない場所をもっと楽しもうよ
福岡周辺を楽しむなら?
九州旅行の4日目
夜まで自由時間だったので、
土地を楽しむことに当てました
お友達と会ったりするのも大切だけど、
やっぱりこういうのも楽しい
離れた土地のことってあんまり知らなくて、
思わぬ楽しさもあったりしますから
わたしは海とあまり縁のない生活だから
船で海を渡ると旅した感じが高まります
そこで旅先は島に決定
博多からそう遠くなくて行ける島ってことで
宗像大島をチョイスしました
宗像大島へ!
まず博多駅から福間駅
JR鹿児島本線で30分ほど移動して¥460
そこからバスで神湊(こうのみなと)波止場へ
福間駅西口の停留所から発車の、
JR東郷駅行き1-2に乗りました
およそ30分で¥480
神湊から大島へは宗像市営渡船大島航路
15分で¥560
時間によって、
旅客船とフェリーどちらかに当たります
わたしは行きも帰りも旅客船『しおかぜ』
船の便数が少ないのがネックですかね
わたしは神湊波止場で知ったんですが
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、
世界遺産に登録されているそうです
ずいぶん建物がきれいなのも、
そのためかもしれません
最初にご飯~
到着したのは11:30
帰り途中に宗像大社にも寄りたかったので、
帰りの便は14:40に設定
滞在時間はおよそ3時間です
中津宮と沖津宮遙拝所は、
宗像大社と関連することも分かったので
今回はこの2ヶ所に行く場所を絞りました
とその前に
せっかくの九州の島ですからお魚を食べたい
漁師さんのやってる『海宝丸』さんで、
お昼ご飯をいただくことにしました
http://www.oshima-kaihomaru.com/
メニューは刺身定食¥1500一択
他にメニューはありません
まあとにかくすごいボリュームです
カマスの塩焼きと煮魚と天ぷら
イカとサザエとお魚の刺身がいーっぱい
サザエの煮たもの
おきゅうと
あら汁
ほかにもいろいろと
ご飯とあら汁はおかわり自由ね
お腹いっぱい大満足です
その朝穫れたお魚によって内容が変わるので
次行ったらまた違う献立になるとのこと
おかずの多さを考えると、
次の機会はお酒も飲みたいかなぁ
沖津宮遙拝所
大島の客船ターミナルから見て島の反対側に
沖津宮遙拝所があります
沖津宮自体は、
はるか洋上の沖ノ島にありますが
ここは一般の人は入れず、
神職の方も禊ぎをしないと入れない
島自体が御神体という特殊な場所なので、
離れた場所から拝めるように、
遙拝所が作られています
遙拝所まではターミナルから1.6km
レンタル自転車とかバスもあるんですが
行動時間は実質2時間程度しかありません
歩きで済ませることにしました
海宝丸から遙拝所まで20分くらいかな
港から登り勾配が続きますが、
たいしてキツくもありません
舗装されているので道も歩きやすい
途中の大島地区コミュニティーセンターには
おトイレもあります
遙拝所の近くにもきれいなおトイレあり
これも世界遺産の効果ですかねぇ
この日は曇り空
残念ながら沖ノ島は見えませんでしたが
海風の気持ちよさったら
トンビも鳴いて空を舞っていました
中津宮
沖津宮遙拝所から戻ってターミナル前を通過
5分ほどで中津宮に到着します
ここは日本の七夕伝説発祥の地とのこと
8/7が七夕のお祭りみたいで、
飾り付けがされていました
神社の裏側に御嶽山から湧き水が出ていて、
美味しい水を飲むことができます
他にも見たいところはありましたが、
これ以上時間をかけると戻るのも難しそう
少しゆっくりして、
帰りの船に乗りました
辺津宮(宗像大社)
九州本土に帰り着いて、
最後に宗像大社に寄りました
神湊波止場から10分弱
JR東郷駅行きバスで宗像大社前下車¥210
ここまでお参りした3つのお社は、
天照大神の子である女神さまを祀ってます
宗像三女神と呼ばれるみたいですね
沖津宮が田心姫神 (たごりひめのかみ)
中津宮が湍津姫神 (たぎつひめのかみ)
辺津宮が市杵島姫神 (いちきしまひめのかみ)
昔は今より島に渡るのがたいへんだから
ここ辺津宮には沖津宮が第二宮に
中津宮が第三宮に
それぞれ祭られていて
ここに来れば宗像三女神を全て、
お参りできるようなっています
自然崇拝の色濃く残る、
高宮祭場という場所もあります
日本が自然の事象に神の存在を見いだした、
八百万の神々の国というのを実感しました
まとめ:知らない場所をもっと楽しもう
知らない場所を1人で歩くと、
いろんな面白いことや、
面白い自分自身に出会えます
それぞれに違って、
でもどこか共通する部分もある
日常から離れる経験はやっぱり面白いです
今回は九州に行きましたが
考えてみればこういう経験は、
身近な場所でもできないことはないですよね
いつもと違う道を歩いたり、
違う食堂で食べてみたり
そんなことでも楽しめるはず
わたしたちに与えられた時間は同じです
それなら何を見て生きるのか
知らない場所
それを感じる知らない自分
もっと楽しんでもいいんだなって、
そんなこと思うのです