超えてゆく力

こだわりの強いわたし
自分と他人を比べて、
囚われたこともあったけど

人にとって大切なのは「よく生きること」
比べる苦しさを超えて
分けずに見ることもできるようになると、
楽なんじゃないかな?

そんなこと思います

 


トランスは誰よりも気にしてる人

わたしはトランスジェンダーです
男性をやめたけど、
女性になりたいワケでもない

駆け出した頃は他人と表現が違うことで、
悩んだりもしました
『その時』に目を奪われて、
時間が過去にも未来にものびていることを、
見失っていたのだと思います

こういう時期にいるトランスジェンダーは、
たぶん誰よりも自分の性を気にしています
ずーっと自分を見つめ続けて、
他人との違いをあぶり出してゆく
誰もそんなこと、
気に留めないよってことまで

セクシャルマイノリティを取り巻く状況は、
決して良いものばかりじゃないと思うけど
当事者が自分で首を絞めている部分も、
間違いなくあると思います

 


トランスは通過点に過ぎない

トランスは過程でしかありません
大切なのは通過点としてのトランスではなく
その後も続く人生
その時を早く抜け出して、
『わたしはわたし』になった方がいいのです

他人と比べて足りない部分を数え続ける限り
幸せはありません
一時的に満足することがあっても、
どこかに恐れを抱え続けることになる

「そんなこと分かってるよ!」
前のわたしならそう言うでしょう
まあ確かにそんなもんだと思いますが

もしそうなら優先順位をつけて、
ここだけは譲れないってことをやってしまう
そして自分のことを気にしない時間を、
増やしていくのが得策でしょう

自分のことを気にしないでいられる時間
トランスに必要なのって、
こういう何でもない時間だと思います

 


主体として見てみよう

女性は誰かの目を通した姿で、
自分の外見を評価しているそうです
身体客体化と言われますが、
これはトランスジェンダーも同じでしょう

外見から離れて考えても、
同じことが言えそうです

何も気にしていない時って、
視点は自分自身にあります
自分が評価の主体なのです

『自分を気にせずにいられる時間を増やす』
これは、
『主体としての自分を取り戻す』
と言い換えても良さそうです

 


分けて見るのは差を作る

比べる視点の根底には、
物事を複数のグループに分けて、
把握しようとする視点があります

分けて捉えるのは、
物事の把握には便利かもしれないけど
その時点で差を作ることになる
比べることを止めようとしても、
物事を分けて見ている限り、
逃れるのは難しいでしょう

わたしは以前より個々の人を見るようになり
分けて見ることは減ったと思います

人はそれぞれ違うものだから
おおざっぱな括りをしない方が、
ハズれることは少なくなります
見る部分は多くなるから、
覚えるまで大変だったりするけど

他人への視点って、
自分への視点と重なる部分がありますから
自分を型にはめることは減り、
人と比べることも減りました
『わたしはわたし』だからです

 


まとめ:分けて見るのを止めてみたら?

それなら分けて見るのを止めてみたら?
そんなことも思います

分けるのが間違いとか、
そんなことを言うつもりはありません
分けて見るのが便利な時もありますからね

ただ分けて物事を見ていく中で、
比較に陥りやすいのを知っておくこと
そういうものの見方が、
現代では強いのを知っておくことは、
決してムダではありません むしろそんなことを知った上で、
超えてゆくことに意味があるように思います
ちょうどトランスジェンダーが、
性のあり方を知った上で、
そこを超えようとするように

トランスジェンダーとしての生き方は、
わたしにとっての弱さでも強さでもあるけど
それが全てでもありません
大切なのは、
わたしが「たけもといさお」であること

そんな風に
自分の囚われを超えて、
新しい地平線に立ってみない?

たぶんどんな人にも、
役に立つやり方だから
そう思うのです

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