たとえ根拠がなくても

何を考えているのか
見えるかたちでしか分からない相手
それを信じようとするのは、
怖いことでもあるけど

必要なのは根拠じゃなくて、
人を信じることだから
まず自分が相手を信じないとな
そう思います

 


信じてくれない人

この人は自分を信じてくれない
けっこう最近まで、
そんな風に考えていたことがあります

話をしてくれないし
どこか壁があるのを感じる
そう思って見ると、
どんなこともそう見えるもので
細かいことが気になって、
警戒ばかりしていました

 


信じてないのは誰だよ

ある時自分の内面を見ていて、
その人に向けるこころの言葉に気付きました

「この人はこうだからな」
「話せないよそんなの分かってくれないし」
「きっとこんな風にはしてくれないな」
「だってこの時だってこうだった」

書き出してみて分かりました
自分がいかに相手を決め付けているか
だいたい「話せない」じゃなくて、
「話さない」のを選んでいるだけです
話しもせず勝手に相手を決め付ける
そこに信頼はありません

信じていないのは、
その人ではなくわたしでした

 


流れは自分で変えられる

過去誰かが何かをしたとしても、
それはその時のこと
人は弱いものだけど、
今から変わることができる存在でもあります

過去を根拠に決め付けてしまう
世間ではよくあることだと思うけど
自分がされたら?
やり直そうと思っているのに、
誰も信じてくれなかったら?

そんなことを考えると、
あまり人を決め付けたくないなと思います
過去が人を否応無く流してゆくのではなく
人は今から変わることができる
流れは自分で変えられると思います

 


まとめ:根拠がなくても

「信じよう」と言うのは簡単ですが
なかなか難しい部分も含んでいます
信じることに根拠なんてないからです

「根拠があるから信じる」というのは、
相手を信じていることになりません
そこにあるのは根拠にしている事実だけ
人ではありません

そういう意味で信じるのは孤独なことです
何かが保証してくれることもない、
自分のこころだけが源の行動

感じていることに対して、
自分と同じやり方をするとは限らない
頭の中を覗けるわけじゃないから、
姿も言葉もかたちしか分からない
それを信じようとするのは、
怖いことでもあるけど

自分が信じてもらえたら、
それだけで世界の色合いが変わる、
それも知ってるから

根拠じゃなくて相手を信じる
他人がどうかじゃなくて、
自分が信じていくこと

大切だと思うのです

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