『なんにもしない』けどいいお盆

親子とは言え自分とは違う存在
分からないことはいっぱいあるけど
この世で親子の縁にあるのは、
父と母だけだから

どこにも行かないで何もしなかったけど
いいお盆だった
そう思います

 


何もしなかったお盆

お盆の間、
ほとんど何もしない選択をしました

父も母もけっこういい歳ですから、
この暑さで出かければ疲れちゃいます
お墓もかなり遠いので、
買い物以外お出かけはなし

家の中では、
父と母はいつもテレビが点いてる生活です
わたしはテレビを見ない生活なので、
何かをしようとするとかなーり気が散ります
一緒の部屋でヘッドホンしてるのも、
なんだか違うと思うし

と言うわけで、
出かけるでもなく、
いつもと同じようなことは何もせず、
一緒にテレビを見て、
時間になったらご飯を食べて
そんな数日を過ごしました

 


そこにあるのは「違い」だけ

一緒に家にいると、
細かい違いが目に付きます
テレビの件はその最たる部分で、
前はイライラしたのを思い出します
「見てないなら消しとけば?」
なーんて言ったりして

そこが「自分の」テリトリーで、
目の前の人も「分かるはず」が前提だと、
あれこれ言いたくなるものだけど

そこにあるのは「良いか悪いか」じゃない
「違う」というだけです
親子と言っても価値観の違う他人
まして親元を離れてからの時間も、
一緒に暮らした時間より長いとなれば、
違って当然です

どちらも正しいけど、
今は自分が相手のテリトリーにいる
なら「郷に入っては郷に従え」で、
わたしが合わせればいい

自分が選んでいる意識があれば、
普段と同じように過ごせなかったとしても、
それでいいと思えます
今回はいちいちイライラせずに過ごせました

 


たまには違うリズムもいいよ

1人で暮らしてお仕事もしてないと、
ほとんどのことが自分のリズムで決まります
それで困ることもないんですが

社会に生きる以上、
あんまり1人に慣れちゃうのも、
生きづらさを増やすだけでしょう
困らないことが困る状況を作っていくわけで

自分をねじ曲げる必要はないけど
余裕があるなら、
違うリズムに合わせるのも悪くありません
その気さえあれば、
そこから自分のあり方も見えてきます

たまには違うリズムを感じてみること
大切だなって思いました

 


まとめ:よいお盆でしたわ

よいお盆を過ごせたなと思います
どこかに出かけたわけでもないし、
特別に外食したわけでもない
ただ家にいて、
いつものご飯を食べて過ごしただけ
それだけなんだけど

大切に思う人との時間って、
特別じゃなくても特別ですよね

どこかにお出かけしなくても、
豪華なディナーじゃなくても
その人と過ごしているから特別
両親も同じかなって思いました

やっぱり分からないこともあるし、
自分とは違う存在なんだけど
この世で親子の縁にあるのは、
父と母だけだから

何にもしないで過ごせて良かった
いいお盆だった
そう思うのです

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