がんばらなきゃいけない病だったわたし

がんばらなきゃいけない病

がんばらなきゃいけない
まるで病気みたいに、
そう思っていたことがありました

好きなことは、
がんばらなくても力が出るものです
そのつもりが全くなくても、
燠火のように燃えるものがあるからです

がんばってることは、
そうしないと出来ないこと
燃やし続けるには燃料が要るのです
続ければ続けるほど自分は減って
余裕もなくなって

上手くいかない状況を呪い、
周りに対するトゲばかり出して
そんなわたしには誰もついてきませんでした

そうするとますます自分だけで、
がんばらないといけなくなって

悪循環です
機能不全を起こしてる自分
病気と言っても差し支えない状態でした

 


不寛容

簡単に言えば、
わたしには寛容さが無かったのだと思います

まず他人への寛容さ
自分ががんばるのは構わないけど
他人が分かるとは限りません
その違いを「違うものだ」と知り、
それも正しいと思えなかった

いいか悪いか
正しいか正しくないかで考えていたから
答えは二者択一です

正しさは人の数だけありますから
他人を黒く自分は白い
そんなものが根底にある状態で、
上手くいく訳がありません


次に自分への寛容さ
自分の中にも、
理想に合わない部分というのはありました

正しいはずの自分の中
認められない部分に、
わたしは気持ち悪くて蓋をしました

蓋をしている人は、
どこか行動が不自然になるものです
自分を大切にしないのだから、
他人を大切に出来るはずもありません

自分は自分なんだからそれでいいのにね
白黒分けようとするから苦しくなる
結果自分だけが抱え込んで、
がんばらなきゃいけない!となってました。

 


出来る自分じゃないと価値がない?

別に出来なくたって、
その人の価値は変わりません
人の価値は何かが出来るかどうかじゃなくて
そこにいるその事実が全て
人はそこにいることだけで最上なのです

自分独りががんばってたわたしには、
言われてもすぐには分からないことでしたが
赤ちゃんを考えて理解できました

赤ちゃんは何か出来るから価値がある?
違います
赤ちゃんはただそこにいるだけで最高の価値
これは大人になっても変わりません

これが分かったとき気付きました
自分ががんばることの影にある、
頑張れない自分への恐怖
出来ない人を見下す自分にも、
どこかつながっていたと思います

がんばっていたわたしは、
『そうであったら素敵な自分』
『出来るから価値のある自分』
に酔っていた

これが分かって独りでがんばるのを止めたら
すごく楽になりました

 


まとめ:がんばりたいならがんばろう

「しなきゃいけない」が多いほど、
苦しくなると思います
そうでなきゃいけないってことは、
正しいか正しくないかで分けていますから

そんなことよりも大切なのは、
自分が本当にそうしたいか?ですよね

自分に寛容になれば、
上手くできない自分もいいって言えます
そこが充足すると他人にも寛容になれる

がんばりたいならそれもいいけど
独りで抱え込んだりとかしないで、
しんどくない方がいいよなぁ

過去を振り返って
今のわたしはそんなこと、
思ったりするのです

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