城壁か牢獄か

やだなぁと思うこと

嫌だなと思うことがありました
本人にそのつもりはないのかもしれないけど
お金で釣ってるようなやり方をしていると、
わたしが感じる人

わたしはお金に対して、
あんまりいいイメージがありません

これは勝手な思い込みで、
お金自体にはいいも悪いもありません
結局のところお金はモノでしかなく、
イメージを付与しているのはわたしだから

それも分かっているから、
「多くを助けようと思ってもお金は必要」
「お金は信用が形になったもの」
と今は考えていますが
引っかかりを感じるということは、
まだ執着があるのでしょう

なんとなく不快に感じて、
積極的に交流する気になれないまま
様子を見ています

 


価値観という牢獄

抵抗感を超えた先に新しい世界がある
最近思うことの1つです

抵抗を感じることは自分の外壁みたいなもの
自分を強固に守ってくれるのと同時に、
一つところに閉じ込める牢獄でもあります
領土を広げようと思ったら、
外に出る必要があるわけですが

変わらない現実は甘美な牢獄です
一見安全なように見えるからです
壁を乗り越えるには、
居心地のいい壁の中から動く必要があります

 


気持ち悪さをガマンする価値はあるのか

抵抗感があるってことは、
自分の価値観に反するということですよね

これをどこまで、
どんな風にやるか?
居心地の悪さは折り紙付きでしょう

そんな居心地の悪さの中続けていけば、
それはいつか習慣になり、
行動の変化は環境を変えます
未来は確実に変わるでしょう

それじゃこれが出来るかどうかは、
何が決めているかと言えば
その価値観の語る未来を信じられるか?
ということですね

わたしは自分の価値観から見て、
未来を信じる選択をしていない
だから動いていないのだと分かります

 


まとめ:判断は自分で下そう

今はその人の言葉の一部しか知らないから、
判断を下すのは早すぎるでしょう
よく知りもしないのに、
一方的に決め付けるのは好きじゃありません

自分にとって大切なのは何か?
それは牢獄ではないのか?
決め付けで相手を見ていないか?

これは自分で下さねばならない選択
自分の人生は、
誰にも決めることは出来ないから

そう思うのです

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