簡単でいいから源流を知ろう

理由ってあるよね

人の言動を見ていてよく思いますが
たいがいのことには、
何かしらそうする理由があります
まあ中には全く理由がないこともありますが
たいがいは何かある

この理由に自覚的であることは、
行動に主体性や一貫性を持たせるでしょう
自分がなぜそうしているのかを知っていて、
他人の行動についても、
同じ見方ができるからです

こういう見方が身に付いてくると、
考えていない行動というのも、
だいたい分かるようになります

 


見えているようで見えていない理由

理由は見えているようで、
意外と見えてない部分が多いように思います
河の流れみたいに、
源流まで長く続くものだからです

わたしは考え過ぎなところがありますが
源流を探れてないなと思うことが、
よーくあります

なんでそれをしているのか?
タテマエで語っていないか?
気持ちに対して正直か?

辿れば辿るほど気付くものが出てきます
問い続けていると精度も上がって、
少しずつ源流に近付いていけます

 


理由と結び付かない行動

源流と結び付かない行動は、
刹那的なものとして表れます

例えばわたしが、
トランスジェンダーとして生き始めた頃
自分が幸せに生きる未来を思い描けず、
人生終わったように感じていて

好きな人から自分で離れたり、
自暴自棄になってケンカしたり
何がしたいのか分からないことやってました

周りや自分を傷つけるような行動
それはなんのためでしょう?

わたしの行動は、
自分を「それでいい」と思えない
そんな自分を責める気持ちが、
外に向かったものだと今は思います

自分がなぜそれをするのか?とか、
気持ちを正直に表現できているか?とか、
そんなことは考えてもいませんでした

 


目的はなに?

理由は自分の目的と結びついています
目的は短期的なものでも、
長期的なものでも構いません

自分がやっていることの目的が見えたら、
その源流を探ります
そうして辿っていくと最後には、
人生の目的みたいなものに行き着くでしょう

趣味を持つのは
勉強するのは
働くのは
お金を貯めるのは
欲しいものを買うのは
誰かを好きになるのは
なんのためでしょう?

源流を探ると、
自分が人生に求めるものが見えてきます

 


まとめ:源流を知ると自分が明確になる

わたしがたどり着いたのは、
「死ぬとき『いい人生だった』と言える」
でした
けっこうざっくりでしょ?
でもこのくらいで十分です

わたしは死ぬときに反省だの後悔だのに、
首まで浸かっていたくありません
だから自分が楽しむことを大切にします
周りの大切な人にも、
そうなるといいなと思うことを言います

何かに挑戦する人の背中を押せるように
膝をついた人が立ち上がれるように
ダメじゃないよってことを伝えます

わたし自身も弱い人ですから、
上手くやれないこともあります
そんなときも源流である目的を知っていれば
すぐに自分のズレに気付くことができて
ゴメンナサイも楽に言えます

本当にこのくらい簡単でいいんです
一貫してればしてるほど姿は明確になって、
楽に生きられるようになります
上手くやれない自分もダメじゃありません
人は生きているだけですごいんですから

まあこんな感じで
源流を探ってみるのは、
悪くないやり方なんじゃないかな
そう思うのです

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