白髪があったー

時を経て変化するものには、
その時々の美しさがあります
人は溢れ出る力が落ち着いて、
心の(身体も?)まるみが出てきます
身体が時を重ねたしるしは、
内面も豊かになったあかし
ワインが熟成して紅くなるように、
人も深みを増すのです 
 
今朝シャワー浴びていて、
抜け毛に白髪をみつけました
ヒゲに白いものがまじることはあっても、
長い髪の毛で見つけたのは初めて
自分の身体も順当に年を重ねてるなーって、
愛おしさを感じました
 
わたしの父はグレーで直毛
祖父も同じでした
母はほとんど白髪なくてウェーブかかってる
おじさんはツルッと(^_^;)
 
わたしは父の直毛と母の髪の毛の濃さを受け継いでいるみたい
自分の60過ぎた姿
あんまり想像したことなかったけど、
考えたら可笑しくなりました
 
わたしは年を重ねることに、
あまり抵抗がありません
身体の美しさは大切だけど、
時とともに刻まれる知恵の光は、
もっと人を輝かせることを知ってるから
 
これから増えていきますね
トランス専門の介護業者も出てきました
年をとるとどうなるのか?
声を発する先輩も増えるでしょう
 
まん中
あんまり変化ないかしら?
面白いことがあったら、
声を上げてきますね
 

心配なんてするだけ時間のムダだー

これほめ言葉ですよ笑
言葉は手段です
思いが届くのなら、
こんな表現だってアリ
大切なのは、
それを可能にする関係性です
 
専門学校時代からの友達
もう20年以上の縁です
ここ一年くらい連絡とらなかったら、
そんな風に言われちゃいました
こっちも心配なんてしとらんかったわー
 
お互いしぶとく生きていて、
変わらない有り難さを思いました
行き違うこともあったけど、
そんな全てがあって今がある
お互いの強さにも信頼があるから、
そんな風に言えます
 
自分で扉を閉ざさない限り、
こういう友達に出会う機会はあるでしょう
それでも積み重ねた時間が消えることはありません
そばにいてくれる友達は、
得がたいものなのです
 
もう40代半ばにもなると、
また次に会える保証があるわけじゃないから
会えるときには会いに行こうと思うのです
そしてまた会えたら、
その時は言えばいいんですよね
心配なんてするだけムダだーって

ヒゲの永久脱毛でめんどくさかったこと

レーザー脱毛、
いろいろ手間だったのを思い出しました
備忘録も兼ねて書いておきます
 
・施術前はひげ抜いちゃダメ
 毛根から出るひげの色素に反応することで、
 レーザーの熱は毛根を焼きます
 ひげを抜くと活動期にある毛根にダメージを与えられなくなる
 と言うわけでひげは抜いちゃダメ
 私の場合は4回目の施術まで半年以上、
 青い顎にガマンしないといけませんでした
 4回目でかなり毛根が減ったのか、
 青さが目立たなくなりました
 
・レーザー当てるのけっこう痛い
 特にひげの濃い部分が痛いです
 私は鼻の下とか顎の先のほう
 単にヘタレなだけかもしれませんが笑
 痛みは毛根が減るにつれて弱まります
 施術回数を重ねる毎にレーザーの出力を上げるので、
 2~3回目くらいが一番痛かったかな
 4回目で急に痛みが弱くなったのを覚えてます
 
 
・施術後は肌が弱ってケアが必要
 施術当日は顔がかなり赤くなります
 これはレーザーの光で日焼けと同じ状態になっているから
 紫外線は弱ったお肌の大敵
 施術後のお肌の保護に、
 日焼け止めがいいって聞いたこともあります
 そういう意味では、
 夏より冬の方が脱毛にはいいみたいですね
 
・施術当日はお酒飲んじゃダメ
 血行が良くなるのもあって、
 施術当日はダメって言われます
 わたしは飲んでましたけど
 …良くないんでしょう笑
 
・カールおじさん
 レーザーを当てることで毛根が死んで、
 ひげは固くなって透明感がなくなります
 多くのひげはこの時点で抜け落ちますが、
 抜けないで残るものもあります
 このため口の周りがカールおじさんみたいに見えます
 「ドロボウひげ」なんていう表現も見た覚えがありますね
 
・施術後もひげ抜いちゃダメ
 点々と残った施術後のひげ
 「抜いちゃダメ」って言われます
 理由は雑菌が入ってしまうから
 これ精神的にかなり苦痛でしたね
 私は引っ張ってスルリと抜けるのは抜いちゃってました
 …たぶんこれも良くないでしょう笑
 
・毛膿炎出やすくなります
 見た目はニキビみたいな感じです
 原因は弱った毛根部分に雑菌が入るから
 私の場合は基本的にひげ剃りしたとこに出ました
 ひげ剃りがどれだけ肌を傷めてるか、
 再認識したものです
 これは化膿止めクリームをもらって対応
 
こんなもんだったかなぁ
 
 

生きてる間しか生きられないから

「その日」の朝は、
みんな普通だったのでしょう
愛する人とあいさつをして、
ご飯を食べて
でもその日常は、
一瞬で消えてしまう
 
人の命は短いものです
どんな生き方でも幸せになれる
だから命ある間は、
生きている間は、
あきらめないでほしいのです
 
2011年の3/11
地震の時、
わたしは勤めている会社の地下でお昼休みをとってました
地下って思ったほど揺れないもので、
この地震もたいしたことないと思ってた
だから夕方にニュースを見て、
津波の映像に愕然としたのを覚えています
 
わたしは小さい頃から人の生死に関心の強い、
ちょっとヘンな子でした
死への恐怖
図書館で見た災害や戦争の犠牲者の写真
いつも心の片隅に
そんなものを持っていました
 
命の尽きるとき何を思うのか?
子供の頃から考え続けている疑問です
 
答えを知るとき、
恐怖に負けないように
生きている時間は、
したくないことに自分を沈めないで
毎日を生きようと思うのです
 

ただそこにいて

人は存在していることに、
最上の価値があります
ただそこにいてくれるだけで嬉しいこと
この世で出会えてつながりを感じられるのは、
気の遠くなるほどの縁
そこにお互いを縛る鎖はいらないのです
 
 
執着を捨てて、
人との距離があまり気にならなくなりました
前のわたしは見捨てられるのが怖くて、
人との距離をうまくとれませんでした
 
離れられる不安でしがみつき、
しがみつかれると突き放す
人を見捨てていたのはわたし
今はそう思います
 
自分も他人もそのままでよい、
それが分かると、
距離の意味が消え去ります
 
ベタベタするわけじゃありません
そこにいることを知ってさえいれば、
幸せでいてくれればいいのです
存在価値ってこういうことなのかもしれませんね
 
心と心のつながりは、
人を自由にさせる力を持ちます
お互いを縛るのは契約の関係
心には時も距離も関係ない
そう思うのです
 

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言葉は心を映し出しているということ

たった1つの言葉でも、
そこにはその人の心が表れます
 
「教える」という言葉
わたしは何の疑問もなく使ってましたが、
「教えるんじゃなくて、同じ高さから伝える方が上手くいくよ」
とあるとき言われました
 
「教える」ことと「伝える」こと
行動は同じでも、
心は別の方向を向いています
教えていると思っていた自分は、
自分にできて相手にはできない、
そんな上下関係を作って、
小さな自尊心を満足させていたと知りました
 
言葉は心の鏡です
思いは言葉に表れるし、
逆に言葉が現実を作りもする
 
自分と相手をフラットに置いて、
伝えることに心を注ぐと、
責める心もあなどる心も消えて、
尊敬が生まれます
 
上下があると、
相手の言葉は「言いわけ」「くちごたえ」、
時には反逆にすらなります
上下をなくすと、
同じ言葉がこちらを導く言葉に変わる
 
普段使っている言葉には、
その人の心が隠れています
自分を上に置くような弱い心、
私は好きじゃないので、
捨てることにしました
 
 

知ることは変化の第一歩

知ることから人は変わります
だから気付くことは変化の第一歩
そこから変わるか変わらないか
それはその人次第です
 
わたしは好きなことに集中するところがあります
他がおろそかになっちゃうくらい
 
人の長所短所は表裏一体
「他が見えなくなるのは良くないなぁ」
といつも後になって思いますが、
おかげで知識は深めることができています
これもバランスなんでしょうね
 
最近はノートパソコンの中身を換えたりして、
いろいろ遊んでました
 

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ハードディスクをSSDに換装
 
最近はずいぶんSSDも安くなって、
手を出しやすくなりました
交換もけっこう簡単なものですね
安価なモデルだけど、
SSDに換えたことで立ち上がりが格段に早くなりました
 
あとは古いネットブックのOSをLinux
いろいろ試してLinux Mintに落ち着いてます
けっこういい感じで、
まだまだ活躍してくれそう
WindowsXPの終了からほったらかしててゴメンなさいですね
 
で気づくわけですよ、
他が進んでないぞー(^^;)
時間は限られてるんですよね
しっかり遊んだので、
しっかり線を引いて
切り替えていこうと思いました