こういうスピリチュアルは嫌いだ

自分の人生を生きてない人は、
スピリチュアルでも宗教でも、
何をやっても同じこと
依存して人生から目を背けて、
自分を明け渡していて言葉も軽い
 
自分の人生を生きている人は、
何をやってもそこに在る
人生を見つめていて、
言葉はしっかりその人の言葉
 
自分の人生を生きる人が好き
結局わたしの答えは、
そこなのだと感じます
 
 
 
 
スピリチュアルが好きか嫌いか?
そんなテーマのお友達のブログを読んで、
自分の態度も一定でないことに気付きました
胡散臭く感じる人もあれば、
一言一句漏らさず聴きたい人もいる
 
イセリアル、
アストラル、
アウタープレーン、
ディビネーション
高次の存在
 
AD&Dのマスターなんてやってたから、
言葉にはなじみがあるけど
わたしは理が勝ちすぎていて、
素直に信じるのは難しい
 
かと言って、
自分の中に論理的でない存在が無いかと聞かれれば、
そんなこともありません
お墓参りで感じる亡くなった人の存在
神社やお寺での清澄な気
歳月を経た自然への畏敬
不在が語る存在
 
これから理論的に説明されることだって、
あるかもしれない
根拠がなくて判断は保留するしかないから、
好きか嫌いかでしかない
 
 
 
好きか嫌いか
たぶんわたしは、
スピリチュアルに抵抗がある訳じゃないのです
何かに傾倒して、
そこしか見ない人
他人までそこに当てはめる人
全てをそれで片付けようとする人
 
自分の人生を生きていない人、
わたしは嫌いです
自分意外に責任を転嫁して、
そこにいない人だから
 
精神的な世界は、
逃げ込むのには楽かもしれません
理屈じゃないことは隠れ蓑になる
深めようと思えば果てしなく深いのは、
たぶん他の世界と変わらないけど
 
 
 
正しいかどうかじゃなくて、
好きか嫌いか
そこで考えると答えはシンプル
 
どんな世界に生きていようと、
人生は自分が生きるもの
わたしはそう思うのです