正しいことより痛みの共有がいい

正しいことが、
いつでも正しいとは限りません
 
多数派も少数派も、
みんなが多様な社会の一部
正しさはみんなにあるから、
正しさを振りかざしても上手くはいかない
 
それぞれの視点で何を感じているか
どんな痛みがあるか
大切なのってそれを共有すること
そう思います
 
 
 
お友達と会って、
しばらくぶりにゆっくり話しました
身の周りがずいぶん動いたみたいで、
時の流れを実感します
 
わたしが自分のことを話したのは、
5年くらい前のこと
こっちはそれなりの覚悟で話したけど、
「そうは言っても、たけやんはたけやんだからなぁ」
で終わっちゃって笑
外側じゃなくて人を観てくれてるなって、
すごく嬉しかったのを思い出します
 
 
 
その頃はLGBTという言葉も知らなかったけど
最近よく耳にするようになったそうです
そこから社会に対して感じることも、
お話しました
 
この友達の考え方は、
「多数に合わせて社会は作られるから、
少数派が生きにくいのは仕方ない」
「自分が少数派になって、
そのことで不便を被っても仕方ない」
かなり古風ね
 
わたしの考えは、
「多数派と少数派は簡単に逆転する」
「少数派も楽に生きられないと、
その社会は力を失っちゃうから
仕方ないで済ませない方がいい」
 
実感がないのは大きいのでしょう
互いの違いを認めながら話していくと、
こちらの言うことも分かるみたい
感じることや痛みについてお話すると、
ふんふんと聴いてくれました
 
 
 
少数派の問題って、
最初は多数派の目に見えないことが多いです
見えてても自分に重ねられなくて、
大切なことと思ってない
共感できてない
 
多数派の人のほとんどは、
たぶんこの友達と変わらないと思います
悪意じゃなくて、
分からないだけ
 
目に見えないことは無いことと同じ
だから社会に問わないといけないんだけど
痛みに立脚した要求だと、
責められてるように感じるんじゃないかって
わたしはそう思います
 
責められたら守りたくなるのが人情
『正しさ』は人の数だけあるから、
錦の御旗で掲げても意味はありません
 
人が動くのは、
感情に訴えられたときです
 
営利が絡むと、
人よりお金が重視されたりもするけど
個人が発信出来るようにもなってるから、
人をないがしろにするデメリットは、
これからどんどん大きくなります
 
もっと痛いと感じてることを伝えれば、
正しさことをただ『正しい』と言うより、
すんなり行くこと多いと思うんですよね
 
 
 
お腹いっぱいご飯食べて、
少し散歩して
次会えるときは、
お互いどんな風に変わってるか?
楽しみになりました
 

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