障害ってなんだろう?

障害という言葉に隠れる、
『ここまでできるのが普通』という基準

見えない価値観が人に影響を与えるなら
人を苦しめる価値観は、
変えたっていいんじゃないかな
そう思います

 

身体障害とか、
知的障害とか
発達障害
愛着障害
性同一性障害もそうだけど

障害って何だろう?
そう思うことがあります

障害の定義をWikipediaで見てみると、
『機能的に問題が生じている状態。』
身体的な障害は一般的にはdisabilityで、
『機能障害の結果、ものごとを遂行するための能力障害』
と書かれています

精神障害は厳密には「変調」で、
disorderと呼ばれるものはここに入ります
性同一性障害は「Gender Identity Disorder」

変調ってのも変な話ですよね
「Gender Dysphoria(性別違和)」と変更になったのも頷けます

 

『問題が生じている』とあるけど
それは問題が発生しない、
一定の状態を想定してるから
どこかに『できる』基準があるからです

今『障害者』と呼ばれる人にしてみれば、
それがその人の常態です
変調であれば復調することもあるけど
変化は新しい現実
望むと望まざるとに関わらず、
その現実と生きてゆくということです

『常態』と『できる基準』の幻想は、
変化した現実の肯定を難しくするでしょう
今までなら出来ていたことが出来ない
それを劣ったことと捉えるかもしれない
自分を肯定出来ないのはつらいこと
基準への固執が強ければ強いほど、
生きるのはつらくなります

 

もう一度最初の問いに戻るけど
障害ってなんだろう?と思います
みなが生きやすくなることを目指すなら
基準あっての『障害』という価値観に、
どれほど意味があるだろう?と思うのです

言葉狩りしたい訳じゃありませんよ
ただ何かの達成に、
何かの優劣や間違いは必要ないと思うのです
人それぞれに正しさがあるように、
人それぞれの常態が違うだけと考えれば、
少し違った見方ができるようになります

今までの社会は最大公約数の社会
それはこれからも、
形としては変わらないかもしれないけど
人の考え方は変えてゆけます

人が変わるのは、
自分から変わろうと思ったとき
他人からの強制で変わることはありません
『障害』という基準が変わるとすれば、
みなが自分から変えたときでしょう

言葉や考え方は、
世代とともに変化します
今の世代のわたしたちが、
少しだけでいいから自由になれば
それが次の世代の共通認識になり、
彼らがまた少し変えいってくれるでしょう

 

愛された人は、
愛することができるようになります
人はみな思いやりを持つものだから
お互いのこころを大切にすることは、
難しいことではないはずです

人はみんないびつだけど、
だからこそ愛おしい存在です
考え方や言葉が今より少し優しくなって
それをみなで分かちあえるようになって

もっとみなが生きやすくなるといいな
そう思うのです


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