何を信じ何を伝えたい?

虎が死んで皮を残すなら、
トランスのわたしは何を?

目の前の人を信じて、
相手の可能性を殺さないこと
誰にとっても大切だと思います

 

嫌なことがあると、
相手を一面的に見てしまうことがあります
「なんてイヤなやつ」
一言で片付くからすごく簡単
今まで散々やってきことだけど

イライラして相手を断ずるのは簡単
でも相手との間に残る可能性の半分は、
その時死んでしまいます

人生の重なったほんの一瞬
そんな僅かな時間でも、
人は人に影響を与えます

現実は思いの影響を受けて変わってゆきます
何を感じ、
何を信じるかで未来は変わる
これは人の可能性も同じです

 

いつかこの世を去るとき
以前は何も残さなくていいと考えてました
でも周りに救われたことを知ってる今は、
少しでもよいものを未来に伝えたい
そう思います

俯瞰して見れば、
わたしたちが残せるものはたくさんあります
子供を残せる人は、
血を未来につなげられますね

血だけが人の残せるものでもありません
続く人たちが生きやすい社会?
隣人が笑いあえる街角?
大きなことは簡単なことから
目の前の人の可能性を信じることは、
すぐに手の届くことの1つでしょう

相手の言葉や態度にただ反応して、
決めつけるのではなく
相手の視点で状況を見てみると、
何を言いたいのかが見えてきます

 

自分を抑えろと言う訳じゃありません
こちらの意思は伝える必要はある
かと言って、
相手を折るのが目的じゃないのも確かです

互いの可能性を生かす方法
見つける気さえあれば、
新しい答えは必ずあります

相手を断じて可能性を殺していったら、
未来にたいしたものは残せないでしょう
本当にそれがやりたいこと?
今変える選択がそこにあるなら、
何を選ぶか

何かを残したいなんて、
単なるエゴかもしれないし
偽善と言う人もいるでしょう
ただそれで笑顔が残るなら、
エゴでも偽善でもいいんじゃないかな

同じ苦しみを知る子供たちに、
何を残したいのか?
諍いか?
喜びか?

そう思うのです


f:id:ichapy:20180416074310j:image