周りがみんないけないと思ったら

話していて延々と出てくる不満
飽きずにグルグル回り続ける愚痴
そんな人がいます

話して解決したい訳ではなくて
自分にはどうしようもない
そう思い込んでるストレスの捌け口として、
わたしに話してるみたい

面白くない状況は誰か他人のせい!
誰かが悪いから自分はこんなに気分が悪い!
覚えがあります
その頃わたしの頭を占めてたのは、
周りへの恨み言ばかりでした

 

こころが周りへの恨み言に占められてると、
人生は自分じゃない何か翻弄され続けます
こんな風に言うコイツが悪い
給料少ない
態度が気にくわない
なにこの人ぜんっぜん使えないっ

おかしな話ですよね
誰もそこにいることを強制しちゃいないし、
感じることの強制もしていません
誰かの人生を、
どうにかしてくれとも言われてない
全部自分で選んでることです
なのに上手くいかないことは誰かのせい?

自分の感じることに、
他人は関係ありません
感情だけじゃなく、
自分の幸せ、
自分の居場所、
自分のやること、
全て自分が決めることで、
決定に他人の入り込む余地はありません

言われたことに何を感じるかも、
自分が決めています
同じ言葉でも人によって意味が違ってくる
これは過去の関係や先入観で、
自分が意味を決めているから起きることです

だから答えにも「何かのせい」はない
他人のことは他人のこと
自分のことは自分のことです

 

とまあここまで書いてきましたが、
それでも出てくるのが不満でしょう

思うのは全然構わないと思います
調子が悪い時ってあるものだし、
何やっても上手くいかないこともある
大切なのは不満を感じていると知ること
コンディションが良くないと知ることです

そんな時、
愚痴のひとつも聴いてもらえたら
嬉しいですよね
きっと最初にお話した人も、
そんなことを感じていたのでしょう

自分が何を感じているか知り、
話を聴いてもらえたら
あとは前に進むだけです
愚痴を言うのにも力は必要だけど、
つまらないことに力を割き続ける必要はない
自分の大切なことに力は振り向けた方がいい
異論のある人はいないと思います

愚痴をこぼしてどうなるわけでもない
言ってる本人だって分かっているでしょう
それでも言わずにいられない悲しみがある
それを自分が知り、
周りも知ってあげる
そこから前に進む力も生まれます

 

正しいことがいつでも正しいとは限りません
愚痴を言うのが良くないとしても、
なんとか吐き出したいことはある
それなら言えばいい
そしてすっきりしたら

つまらないことは忘れて、
自分の人生を生きよう
そう思うのです

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