年齢で伝えられるものは

お友達の誕生日を祝ってきました
その人とはもうずいぶん長く一緒にいて、
大ゲンカもしたけど仲良くしてもらってる
わたしのお友達を思うと、
年齢と人の深みは関係ないなって感じるけど
この人もそんな人です

 

わたし子供の頃校区の外れに住んでいて、
近所に友達がほとんどいませんでした
だから大勢で遊ぶ経験もなくて、
関係性も基本「あなた」と「わたし」
名前を呼ぶ大切さとか、
分かっていませんでした

普通大きくなると、
こういうことは誰も注意してくれませんが
この人真っ向からぶつかってきました
最初はイラッとしましたよ
「生意気にうるせーな」
そんな傲慢なことも思いました

でも考えてみて
名前呼んでいけないことがある?
ないんですよね
大勢になれば必要なことでもある
アイコンタクトが大切なように、
名前を呼ぶことも相手とのコンタクトです
自分が変わる方がいいことなんだって、
それを教えてくれたんだって気付きました

 

別の見方をすれば、
育った環境の違いでしかないかもしれません
きっと誰もそんなこと言わないし、
気にしない人だっている
自分が正しいと言って変わらなくても、
全然構わない

でもわたし柔軟性は失いたくないです
世界は大きくて、
自分は何も知らないのだから
変わることを捨てなければ、
人は広い可能性を持ち続けられます
こんなことを言ってくれる人は、
耳を傾けなきゃいけない人
わたしはそう思います

人は変わる事への怖さを抱えています
変わらなければ死なないことは知っている
変わればどうなるか分からないから、
動きたくない
ひどい場合は耳を塞いじゃったり
これが同じことの繰り返しの正体です

自分が変わればそれまでのことは関心の外
意識に上ることもなくなります
そうなると世界が変わる
手放したことに対して、
新しく気にすることも入ってきます

名前を呼ぶようになって、
わたしの世界はずいぶん明るくなりました
人との距離感や、
相手をひとりの人として認めることの大切さ
この人が教えてくれたのは、
そういうことだったと思います

 

お酒飲まない人だから、
ゆっくり食べて話を楽しんで
お互いの思うことや、
近況を伝え合って

この人からはいっぱいいろんなものもらって
何もお返し出来てないような気がするけど

年齢だけなら先を行くものとして、
未来は楽しいんだって、
そうするつもりがあれば必ず良くなるって、
伝えられたかな

一緒にご飯食べながら、
そんなこと思うのでした

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