違いの面白さに目を向けるようになって

価値観の違いにハッとすることがあります
いいと思うところ
嫌だなと感じるところ
そこに対してどう反応していくか?

大切なのは相手に関心を持って、
違いを楽しむこと
その人を知って受け入れていくこと
何を大切にするか選ぶこと

そう思います

 


人との違い
前はいちいちイライラしてました
自分のやり方がいちばん正しい
自分の見方が絶対
そんな傲慢さから発していたと思います

自分の正しさは自分にあるから、
自分が正しいと思うのはいいんですが
排除は不寛容に陥るだけ
我ながらちっちゃい話だったと思います

 


違いに対して不寛容になると、
発展性が失われていきます
新しい道って、
互いが思いもしないところにあるもの
否定の応酬からは何も生まれません

不寛容は相手への無知と無関心からきます
違いを許せないのは、
その人を知らないから
自分が関心を向けていないからです

ああこの人こんな風に思うんだ
わたしと違うけど、
ぶつかる部分もあるけど、
面白いね
何でそんな風に思うんだろ?

こう思えれば、
不寛容に支配されることはなくなります

 


まあ人ですから、
関心を向ける対象にも限りがあります
誰にも関心を持つなんて不可能だから、
選択があるのはむしろ普通のこと

昨日のエントリーでも書きましたが、
選んだものを大切にするために、
捨てる選択も大切なことです
関心を向けたくないものに、
ムリして関心を向ける必要はありません

捨てたものに無関心になるのは必然です
そこに不寛容にならないようにするには、
『自分の価値と他人の価値は別』
と思うのが楽な方法です
自分の価値の証明のために、
他人が間違いである必要はありませんから

 


不寛容に陥らないように気を付けて
大切にしようと決めた相手に、
関心を向けるようになって

違いって面白いな、
今はそう思うようになりました
違いをそのままに、
相手を「そんな人」と見られるようになった
未来は必ず最良になると知って、
こころに余裕ができたのかもしれません

自分の目とこころが自分のものであるように
他人の目とこころは他人のもの
違いがあるから発展性も広がります

違いが面白いと気付くと、
イライラしていた自分がおかしくなります
そこでますますイライラしなくなって、
違いを楽しめるようになる

 


人は共通する部分もあるけど、
みんな違うものです
その違いをそのままに、
分からないけど想像すること
そしてそれを受け止めること

違いがあるから面白い
そう思う自分を、
選べる余裕を持って生きてゆきたい
そう思うのです

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