歪んだ好意は誰にも伝わらない

歪んだ表現は誰にも伝わりません
いちばん伝えたい相手はもちろん、
自分さえも望まぬ未来へ連れて行くから

自分の思いはどこにあるのかを知り、
素直に表現していくこと
大切だと思います

 


相手を見ない
話さない
興味を持たない
返事をしない
近くにいるとあからさまに逃げる
自分のこと知られるのをすごく嫌がる

端から見ていて様子が不自然
相手が大嫌いなんだなって思う人がいます

嫌なら離れればいいのに
なぜだかそうしない
相手が離れられないと思ってるのか
「いることを相手に許している」
そんなことまで言う

言われる方も何を思うのか
どう見ても嫌われていて、
軽んじられてるのに離れない
身体に変調を来して、
こころもこわれてしまってるのに

 


自分を否定し続ける人、
好きな人はいないでしょう
自己評価下がりますからね

世の中何しても好いてくれる人と、
何しても嫌う人がいます
嫌う人に関心を向ける必要はありません
大切なのはこちらを好いてくれる人

. . . なんですけど
自分の気持ちに蓋をして、
本心を感じないようにしてしまう
そんなこともあります

わたしがいじめられてた時、
自分にかけていた幻と同じ
『嫌われたくない』
『人を嫌っちゃいけない』という囚われから
嫌いなはずの人を好きだと思ってたような
そんなこと

 


別に嫌いな人は嫌いでいいし、
誰かに嫌われたって構わない
わたしはそう思います
無理してそこに蓋しようとするから、
おかしなことになる

嫌いな人のそばに居続けて、
お互いすり減るような毎日を送って幸せ?
それはありませんよね

案の定この関係は終わりました
蓋をしていた自分に気付き、
軽く見られていた方が動いた
水は低きに流れる
当然だなって周りは思いました

 


ところが
軽んじていた側の人だけは違いました
離れるのが確定的になってから慌てて、
相手を大切にするような素振りをしたりして

周りは呆れました
今までどれだけ相手が苦しんでいたのか、
みんな知っていたから
もちろんそこに留まる選択をしたのは、
軽んじられ嫌われているように見えた人
責任はそれぞれにあることだから、
呆れるのも違うかもしれないけど

もしかしたら
嫌っているように見えた行動は、
その人の歪んだ好意だったかもしれません
素直に表現されない
「自分を分かって」
「言うことをきいて」

相手は離れない
本気でそう思っていたのかもしれません
だから不機嫌をぶつけるようなことも、
平気で出来たのかもしれません

もし本当にそうなら
大切さに気付くのが遅かったとしか、
言いようがありませんが

 


今でもこの人の気持ちは分かりません
誰もが嫌っていると思っていたし、
落胆の様子は見て分かるくらいでもあった

何であれ、
その思いは誰にも伝わりませんでした
相手にも周りにも、
誰ひとりとして
この人自身にも、
実は分からないのかもしれません

素直でない表現が習慣になると、
自分が分からなくなります
本心と逆の表現を毎日聞き続けることで、
自分も騙されてゆくからです

 


好きなら好き
嫌いなら嫌い
人の思いは本来シンプルなものです
人の受け止め方も、
素直に受け取るように出来ているもの
歪んだ表現は誰にも伝わりません

自分はどうなのか?
つまらないこだわりから、
素直じゃない表現をしてないか?

そんな表現は大切なはずの相手も、
自分も傷付けてしまうから
気を付けていこう

そう思うのです

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