人は独りで死ぬということ:1

ここしばらく、
ブログの更新ができていませんでした
ずっと考え込んでしまって、
この文章がまとまらない


いつまでも区切りが付かないから
先にまとめた部分だけ、
上げてしまうことにします

 


川崎の殺人事件に関して

これ以上の凶行を起こさないために
「死にたいなら1人で死ぬべき、と言うな」
という文章を目にしました
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/

『社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う。』

凶行に及ぶ人が、
社会に一方的な恨みを募らせていて、
その恨みの表現として凶行が起きる
こころない言葉は人をさらに追い詰める
だから不用意に「ひとりで死ぬべき」は、
言うべきではないと

 

ある程度事実かもしれませんが
賛同できる部分と賛同できない部分、
両方あるなと感じます

 


命は孤独なもの

わたし死にたいと思ったことがありますが
誰かと一緒は考えたことありません

命は1人でこの世にやってきて、
1人でこの世を去ります
誰かを巻き添えにしても何をやっても、
最期は必ず1人です

命がどこまでも孤独であること
それゆえにこそ、
他者の存在は軽視できないこと
死ぬときは1人以外ありえないこと

そういう意味での「1人で死ぬべき」は、
伝える必要があると思います

 


言葉をかけ続けること

命の孤独を伝えるのと並行して、
メッセージを発する必要はあるでしょう
ここはわたしも賛成です

犯罪に走る人の気持ち
分からないではないところがあります

寂しくて希望が持てない
自分はどうなってもいいと思っている
世の中の何に対しても期待できない
そんな気持ちが怒りになって外に向かう

まあ身勝手以外の何者でもないんですが
視野が狭くなっているし、
独りで考えることには限りがあります
人は見たいものしか見ないから、
なかなか他の可能性には気付きません

そこに声をかけていく
ほんの一言
その一言で救われた経験があるから
言葉をかけ続けることは大切だと思います

 


もとの文章で言われていることだけで見れば
こんな感じですが
ちょっと気持ち悪さを感じてもいます
そこをまとめ次第次を上げようと思います

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