中華ベアボーンPC楽しいよ

最近のわたしのPC事情で思うこと
新しいことは危険もあるでしょう
でもやってみるのも面白い
選ぶのはその人だけど、
新しいことを知るのはやっぱり楽しいのです

このところ、
出費がかさんでおとなしくしています
お出かけしたいし飲みにも行きたい
あれもしたいしこれもしたい. . .んだけど
重なるときは重なるもので

PCのBIOSが立ち上がらなくなりました
マザーボードがダメになったみたい
EeePCのおかげで環境は維持できてるけど、
さすがに非力は否めません
そんなわけで、
いろいろ模索してたのでした

・出費はできるだけ抑えたい
・高スペックじゃなくてもいいけど、
 選択肢の中でよいものを

まずはここからスタート

Intelの一般向けCPUのランクは、
ざっとこんな感じ
世代差なんかもありますがー

処理速度速くて高価
  Core i7
  Core i5
↑ Core i3
  Pentium
  Celeron
  Atom
処理速度遅くて安価

新品は前の世代のCeleronくらいしか手がでない. . .

中古は性能いいのが意外と安価!
http://store.shopping.yahoo.co.jp/oa-plaza/pro13.html?&pid=icx&bid=2&sc_e=mshp_nc_auto
でもマザーボードや電源は古いまま
結局どのくらい使えるか分からない

自作は意外と高くつくらしいから、
勉強するに留めて

MiniPCはどうだろ?
Voyo V1とかApollolakeのPentiumで安い~
http://m.gearbest.com/tv-box-mini-pc/pp_569437.html

そんなことやってるうちに、
RAMとストレージ以外組済みのPC、
いわゆるベアボーンに行き当たりました

https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B01JZ0M4S6?psc=1
東雲社の中華製ファンレスベアボーン

CPUは第5世代のCore i5 5200U
4GB RAMと64GB SSD搭載で¥33000
とてつもなく怪しげだけど、
面白そうなので購入
待つことしばし、
この間届いたのでしたー

立ち上げてみると速くて静か!
ファンがついてないから、
全く音がしません
お試し版Windows10もキビキビ動きます

パーティションの名前が漢字になってるー
系統はシステム(OS)
軟件はソフトウェア(Data)


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デスクトップから離れてもう5年くらい
ずっとAtomとかCeleronのノートだったので、
Core i5はとっても快適

分からないことにもぶつかるけど、
どうにもならないことは少ないもの
やってみるのは楽しい!と思いながら、
悪戦苦闘しとりますー

間違ったってぜんぜん構わないのよ

君自身はどう思うんだ?
そう思うことがあります
飼い慣らされたように、
自分の考えを持たない人
間違うこと
そんなに怖いのかなって思います
 
たった1つの正解に答えること
そこに価値があると考えると、
間違うのが怖くなります
答えられない、
間違った自分には、
価値が無いことになるから
 
この世の中、
答えが1つしかない問いは少ないのです
ほとんどの問いは、
人の数だけ正解がある
 
そんな世界で大切なのは、
自分の答えを持つことだと思うのです
誰かから答えをもらうのではなく、
自分自身の答えを探すこと
それが自分と他人を分けるからです
 
間違いは悪いことではないのです
子供が間違いを繰り返して覚えるように、
試行錯誤から得られるものは大きい
 
むしろ大人は、
間違ってもいいと思います
進み続けることで、
それはゴールへの課程になる
いくらでも修正はきくのです
 
人と違うことを恐れないで下さい
自分だけの答えを見つけたとき
 
あなたの人生は何よりも輝くのです
 
 

 

 

怒りや悲しみはその人を知らせてくれる

悲しみの影には愛
怒りの影には悲しみや恐れ
怒りも悲しみも、
それ自体で存在することはありません
何かに呼び覚まされて表れるものです
 
 
怒りや悲しみに支配されると、
周りが見えなくなります
そんなときは、
当の本人も周りも、
どうしていいか分からない
お互い空回りしている状態に陥ります
 
わたしは怒りや悲しみがよくないとは思いません
どちらも難しい感情だけど、
大切なこころの求め
影にある思いに気付くことが出来れば、
空回りは回避できるからです
 
愛のないものに、
悲しみは感じません
悲しみや恐れがなければ、
怒りもない
 
目の前の人
あなたのこころ
感じる悲しみや怒りの中心にあるのは、
どんなものでしょう?
圧倒的に見えることの影では、
本当の気持ちが声を上げているはず
 
耳を傾けてみて下さい
 

小さなことに痛がるのがブスだとして、それをどーすればいいのか

些細な言葉や出来事
つまらないと思っても、
痛みを感じることがあります
そんなときはまず、
事柄と解釈を別にしてみて
 
落ち着いたら、
何を感じたのか見つめて、
自分を大切にすることも思い出して下さい
 
 
一部を除けば、
言葉や出来事に色はありません
同じ事柄に痛みと喜びと、
どちらも感じることがあるように
色を着けるのは、
いつも受け取る人のこころです
 
だからまず、
他人の言葉や行動に痛みを感じたなら、
色を取り去ることが大切
誰からされても、
同じように感じますか?
 
 
誰からされても、
一般的に些細なことと思うのに、
痛みを感じるのなら
それはあなたにとって、
些細ではないということ
そこには何か囚われがある
 
体験したことで、
あなたのこころを痛くしたのは何でしょう?
 
 
ここまで振り返って、
なお痛みを感じるなら
もしかしたら、
ムリに周りに合わせてませんか?
 
違いはあって当たり前なのです
わたしはわたし
あなたはあなた
誰かが間違っているのではなく、
みなが正しい
合わせるのが居心地よくないなら、
距離を変えていいのです
 
 
痛かったことも、
見方を変えれば幸せを導く種
自分を間違っていると思わないで、
相手を責めないで、
客観的に見ればいい
 
自分のことを振り返ると、
こんなのばっかり笑

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言葉や行動に惑わされず、
囚われは手放して
自分を大切にして、
楽しくいきましょうね
 
 

 

 

答えのない問いに答える勇気を

未来へ進んでいくことは、
答えのない問いに答え続けることです
たとえそれが小さなものでも、
人を作るのは決断するこころ
決断を下す勇気は、
力をふるうことより大切なのです
 
 
この世の中
ほとんどの問いに明確な答えはありません
全ての人に違う答えがあって、
全てが正しい
 
だから人は悩みながら、
その時の最良を選びます
みなが満足する答えを探すのは難しいから、
小さな決断にも勇気をふるいながら
毎日の小さな決断の連続は、
こうして人のこころを作っていきます
 
こころのありようは、
人によって大きく違います
幸せのあり方
勇気のかたち
 
大きな視点で見たとき、
わたしは人は変化する方がいいと考えます
変化するには自己決定が欠かせません
 
選択から逃げることも、
時には必要かもしれません
でもそのままでいることは、
自分作りを捨ててしまうこと
いつか向かい合う方がいいと思うのです
 
小さな勇気をもって、
明日に進んでみませんか?
大きな決断は、
きっとこんなところから導かれるのだと思うのです
 
 

持ち物ひとつを選ぶとしたら

物事は正反対の側面を持っています
弱点は最強の武器にもなるけど、
とらえ方によっては単なる弱点のまま
自分の持つ力
どんな風にとらえていますか?
 
 
わたしは思い込み強いです
こうありたいと思ってたことや、
ほしいと思っていたもの
突き詰めるとそうでもなかったり
失敗するときも自信満々
自分が一番びっくりするの(^_^;)
 
思い込みで突っ走ると、
視野が狭くなります
柔軟さを失い、
周りの声も耳に入らなくなる
こころはかたく、
もろくなってゆく
 
反面で、
思い込みの強さは意志の強さにもなります
決断して未来へ進む力
意識してコントロールすれば、
柳のようにしなやかな強さにもできる
 
おおよそ物事は、
正反対の側面を持つものです
長所と認識して伸ばしていくか、
短所として背負いこむか
 
思いによって、
自分は形作られます
持っている力をどう評価するかで、
未来の姿まで違ってしまう
 
持てる物は限られているのです
短所と長所
どちらか一方を選ぶのなら
どちらを選びますか?
 

 

 

自分のためってどんなこと?

誰のためと考えようとも、
どんな結果になっても、
最後に自分が満足できると信じて選択をする
あくまで主体が自分にあること
それが「自分のために生きる」ことだと思います
 
 
わたしは、
自分のために生きることは素晴らしいと考えています
これは他の何かのために生きるのが間違い、
と言っているわけではありません
 
自分以外の何かのために生きるのは、
意義のあることだと思います
子供のため
家族のため
理想のため
今の豊かな生活があるのは、
そんな思いのおかげでしょう
 
スタートが何のためであっても、
結果は全て自分に返ってきます
結果が思い通りじゃなくても、
それは何か(誰か)のせいではない
思ったのと違ったというだけで、
対象に責任はない
 
誰かのためと思うとき、
陥りやすいのはここなのでしょう
自分を見失って、
対象に失望したりする
 
思い通りにいかない可能性を知り、
それでも最良を信じ、
傷つく覚悟をして選択を下すこと
「自分のため」というのは、
こんなことだと思うのです
 
 
人生は自分のもので、
他の誰も生きてはくれません
そこだけは、
なにがあっても変わらないのです
他人のためでもいいから、
自分のために生きましょう