「その服いいですね」はほんとにダメ?

相手を誉めることになるから、
「その服いいですね」より、
「その服似合いますね」の方がいい
よくそう言われるけど
 
「その服いいですね」って言うこと、
実はわたし多いです
 
伝える側と伝えられる側
言葉は違って当たり前
大切なのは、
気持ちを伝えたいと感じていること
そう思うのです
 
 
「その服いいですね」
今まで聞いた相手がどう思っていたのか、
正確には分かりません
 
わたしは「その服を選んだセンスがいい」
「服を大切に思っている姿勢も好き」
そう思って伝えてました
服好きさんたちには、
けっこうちゃんと伝わってましたね
まさか「相手を落とすことになる」なんて、
考えもしませんでした
 
人のコミュニケーションは、
言葉だけで成り立ってるわけじゃありません
身振り手振り、
表情、
声の調子
 
わたしは服が好きだから、
相手にもその気持ちが、
相手の服への思いを賞賛する気持ちが、
伝わっていたのだと思います
 
 
とは言え、
世界が違えば表現も違うもの
もしかしたら気分を悪くした人、
今までいたのかもしれません
 
一番伝えたいのは、
相手が素敵だということ
 
気持ちをこめて話せば、
たいがいのことは伝えられる
型どおりの「似合いますね」より、
気持ちのこもった「服いいですね」の方がいい
でも言葉が壁になってしまうのなら、
そのときは伝わる言い方を
 
せっかく思った気持ち
伝わらないのはもったいないなーと思うから
 
 
 
 

 

 

きっとだめ?

そんなことはない
きっと大丈夫
そう思います
 
 
きっとだめ、
こわくてできない
お話してて、
そんな風に聞くことが多いけど
 
ほんとにそうなのかなって、
わたしは思います
そりゃわたしだって、
誰かとまっすぐ向かい合うのは怖いですよ
傷つけば、
二度とゴメンだって思います
 
でもこうも思うのです
この世に生きる時間はわずかなもの
大切な人と一緒にいられる時間は、
もっと少ない
その間に自分の気持ちを伝えないで、
いつ伝えるのかって
 
傷つくことで捨てるものなんて、
考えてみればたいしたことありません
過去のつらい経験を思えば、
乗り切れないとも思えない
 
一歩踏み出してみれば、
世界は変わります
踏み出さなければ、
何も変わらない
痛みもないけど、
喜びもない
 
世界の色彩って、
すごく鮮やかなものです
その彩りは、
目をつむっていたら見えることはない
 
人の中には強さがあります
喜びも悲しみも、
全部手にして歩いていける
だからきっと大丈夫
 
そう思うのです
 
 

 

 

自分の弱さに気付いたら

気が付くことは大きな前進です
気付かなければ対処も出来ないけど、
見えていれば注意することが出来る
 
弱さも見方を変えれば強さに出来ます
ただの欠点にしてしないために
弱さを知ってコントロールしていきましょう
 
 
自分を大切にしていないわたし
弱さのいろんな側面、
ずいぶん向き合ってきたつもりだけど
気が付くと目の前に表れて、
驚かされることがあります
 
わたしは寂しさから逃げるために、
何かに依存する傾向があることに気付きました
意志の弱さを感じることもあれば、
一生懸命と思ってるだけのこともある
すぐには分からないことが多いけど
 
買い物、
お酒や食べ物、
恋愛
娯楽
勉強
 
過ぎたるは及ばざるが如し
バランスを欠いた事柄は、
良いとは言えない影響を及ぼします
 
いつでも後悔しない選択をしてきたし、
最良を選んできたと思っていますが、
生活や健康に影響しちゃ本末転倒ですよね
 
気が付いたのは、
先を見据えるよいきっかけ
わたしが依存していたと思うことも、
バランスを保てばよいスパイスです
 
なりたい姿と合わない生活は捨てて、
やり過ぎに注意して
生活も洗い直して、
やり方変えていくことにしました
 

トランスだってありのままでいい

他人の「ありのまま」と、
あなたの「ありのまま」
同じである必要はありません
 
幸せになるために選んだ人生です
他人の価値観に無理して従う必要、
ないですよね
自分のありのまま
胸をはって生きてほしいです
 
 
トランスジェンダーのお友達が、
「ありのまま」という言葉に抵抗があるって言ってました
 
ありのまま
難しいですよね
生まれた身体との折り合いをどうするか、
悩んできた人生ですから
 
ありのまま
わたしは気持ちのこととして捉えています
感じることを否定することはない
まっすぐな、
ありのままの気持ちでいればいい
 
何を選ぶのか?
それも含めて人生があります
「ありのまま」という言葉だって、
捉え方は人それぞれ
 
言葉に意味を与えるのは自分です
そこに何を投影するのかだって、
自由に選んでいい
 
わざわざ不幸になる要素なんて、
選ばなくいいのにって思います
烙印を作り出して、
自分を責める必要はない
 
そう思うのです
 
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人を結ぶのは弱さを知ることから

相手のこころは見えなくても、
自分との関連を見いだして、
気持ちに寄り添うことはできます
 
それは思いやりになって、
相手との関係の橋渡しをしてくれる
人を結ぶのは強さではなく、
弱さを知ることから始まるんじゃないかと思います
 
 
完璧な人はいません
完璧を目指す必要もありません
弱さはあって当たり前
それは悪いことじゃないです
 
むしろ人の弱さは、
そのまま強さでもあります
与えられたものをどう見るか?
これはその人次第です
 
 
わたしには苦手がいっぱいあります
例えば手放すこと苦手
だから捨てること苦手
物が多くなって大変になる
片付け苦手です(^_^;)
 
弱さを知る人は、
他人の弱さに寛容でいられます
自分だって出来ないから、
人に強く求めるのも「なんか違う」となる
わたしの場合、
片付け苦手な人には親近感みたいなもの覚えます笑
 
弱さを持つことは、
時に辛さだってあるでしょう
その辛さを知れば、
他人の弱さを軽く見ることもありません
 
理解してもらえるのって、
すごく安心するんですよね
逆に「こんなことも出来ないの?」みたいに言われるのは、
すごく辛いものです
 
誰にでもある弱さ
弱さはそれぞれ違っても、
そこに感じるやりにくさは同じ
 
相手のこころって、
道に気付けば意外と近い
そんな風に思うのです
 
 

敗北宣言なんかするな

嫉妬にかられて行動することは、
敗北宣言でしかありません
人としての魅力も下がる一方
つまらないから止めましょう
 
 
嫉妬する側は、
持っていないと感じること全てを特別視してしまいます
より以上の価値を置いて、
自分で距離を遠くしてしまう
 
嫉妬される側からすると、
今あることは特別ではありません
それがどんな経緯で手元にあるとしても、
それ以上ではない
だから気兼ねなく行動できるし、
周りも気兼ねなく応えられる
 
特別でないから、
最初から勝負にすらなりません
だから嫉妬は敗北宣言
向けた時点で負けを認めているようなもの
 
持つ者と持たない者
違いは決定的ですが、
その違いを作っているのは敗北者自身
さらに嫉妬は人を醜くして、
魅力も下がる一方
皮肉なものです
 
人が輝くのは、
自由な自分の表現をしているときです
 
ないものに目を向けるのは止めましょう
手元にあるものこそが、
他には持ち得ないもの
 
自分を花開かせましょう
壁を作って自分の輝きを遮ることは、
何の役にもたちません
 
必要なのは、
あなただけの輝きを届けることなのです
 

 

 

人に何か言いたくなったら

誰かにひとこと言いたくなることは、
自分の囚われを教えてくれます
 
気にも留めないことは、
何を見ても気にならないもの
気になるということは、
そこに価値を置く自分がいる、
そうできないことに恐怖する自分がいる、
ということです
 
他人に何かを求める人は、
自分への要求も高くなります
これは成果にも結び付きますが、
あまり楽しそうには見えません
 
そうでなければならない
そうでなければ価値がない
そう思っているのは自分です
社会が求めてるとか、
モラルがどうとか、
それは理由付けに過ぎません
 
価値観の違う他人が、
言うことを聞かないといけない理由
ないんですよね
 
例えば昨日の覚悟のお話
わたしの囚われだと思います
別に覚悟なんてなくてもいい
その人がそれでいいのなら
わたしがイヤなだけなんですよね
 
 
他人に文句を言いたくなったら、
その時の自分のこころを見つめてみましょう
「こうでなければ価値がない」
そんな囚われのあることが、
見えてくるはずです