自分の季節を知ろう

人はその時々で、
できることが違います
元気なとき
そうじゃないとき
 
少しくらい変わったっていいんです
今の自分が感じることを大切にする
それがいつでも、
次の季節へのステップになります
 
 
 
元気なとき、
周りに明るく接するのは楽なものです
細かいことは気にせず、
先に進むことが出来る
 
落ち込んだときは?
いつも出来たことが出来なくなって、
余裕もなくなって
同じように行動するのはムリですよね
 
外からは分からないけど、
コンディションによって人の内面は大きく変わります
統一感はあるに越したことはないけど、
こだわることもありません
要はバランスで、
その時々で課題が違うと考えればいいのです
 
 
 
こころの反応が鈍っているときは、
お休みする時期
芽吹きの力を蓄えましょう
ここでの性急な判断は禁物
大切なのは感じることですからね
 
周りへの感度が高まってきたら、
世界を感じる時期
自分が本当に必要としていることにも、
気付くチャンスです
 
元気で細かいことが気にならなくなったら、
周りを照らしてあげる時期
こころに余裕もあるでしょうから、
助けてもらった恩返しもできますね
 
こうしたことを積み重ねていくと、
収穫の時期がやってきます
自分がしてあげたことが、
何倍にもなって返ってくる
 
そして疲れて回復が必要になったら、
またお休みすればいい
お休みなしに、
活動を続けることは出来ませんから
 
 
 
人は自然の生き物で、
サイクルも時と似たところがあるのです
出来ないことを、
無理にする必要はありません
冬にマツユキソウを欲しがっても、
叶えるのは難しい
 
大切なのは感じること、
自分の季節を知ること
今、
何を感じますか?

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生命の河は血だけで運ばれるわけじゃない

人がこの世にあったことを伝えるのは、
こころの跡、
人の思いです
こころは生命の河にのって、
あなたの存在を伝えてくれるのです
 
 
トランスジェンダーとしての生を選び、
わたしは男性であることを止めました
それほど女性側に寄せるつもりもないので、
外見的には男性でも通るでしょう
ただどう見えるにせよ、
子供は残せなくなってると思います
 
このことは長く悩んだし、
今も確かな答えは出ません
きっと正解はないのだと思います
 
生命の河から外れた自分には、
生きる資格ないんじゃないか?
そう考えたときもありました
 
でも、
血を残すことだけが人の生きる姿じゃない、
そう教えてくれた友達がいて、
自分の傲慢さを知りました
今はその時とは、
違う考えを持っています
 
 
 
人は存在することに一番の価値があります
生物として子孫を残すことが、
誰かの役に立つことがその人の価値ではない
だからどんなにつらくても、
生きづらさを感じても
子供を残せないことも、
問題じゃない
 
わたしはわたし
あなたはあなた
ここにいることが全て
それでいい
大丈夫
 
 
わたしは生きづらさを感じる人に、
この「大丈夫」を伝えたくて、
ブログを書き始めました
 
つらくて倒れそうなとき、
わたしの元に届いた「大丈夫」
それは誰かからの思いでした
 
もし同じように悩むことがあったなら、
周りに「大丈夫」を伝えて下さい
誰かからわたしへ
わたしからあなたへ
そして時も場所も飛び越えて、
あなたから誰かへ
 
生命の河は、
血だけで運ばれていくのではない
そう思うのです
 

 

 

わたしはこれでもマイノリティ

普段あまり意識せずにいるけど、
わたしはこれでも性的少数者です
男性的な姿で好きになるのは女性だから、
社会的に困ることは少ないけど
 
ビアンさんもゲイの人もバイの人も、
違いを受け入れて生きる仲間
そう考えています
 
 
 
お友達と話していて、
急に差別がコンニチハ
びっくりして、
どうしていいか分からなくなることがあります
 
例えば口元に手をあてて「コレ」
表現する人はたぶん意識してませんが、
ものすごく蔑みの要素を含んだもので、
わたしもそのカテゴリーに属しているのです
 
目の前の人が自分を指してなくても、
ひるんでしまうわたし
突然現れる高い壁
「自分が壁を作ってしまう」
と言うほうが正しいでしょうか
正直途方にくれます
 
 
 
 
人は理解出来ないものを排除しようとします
「理解出来ないもの」と括ってしまうと、
本質は見えなくなって、
関心も届かなくなる
無関心と恐怖は差別の根になります
 
困ったことに、
差別の存在は指摘された側もひるみます
本質的に醜い部分だから、
社会派を気取る人ほど激しく怒り出す
 
こちらにそんな気はなくても、
責められていると感じるようですね
怒りは悲しみや恐怖の表現
怒るってことは、
その時点で認めてるんですよね
自分の内面に存在することを
 
 
 
 
無関心の根は、
誰の中にもあります
理解できない文化
理解できない障害
理解できない指向
わたしの中に感じることもある
 
自分の中の恐怖や醜さ
ないと思うから、
自分が清いと思うから、
見えなくなる
自分にもあると認めると、
見えてくる
 
わたしは自分の醜さを認めてから、
自分のことも他人のことも、
理解出来るようになったと思います
 
わたしはMtX
わたしはマイノリティ
同じ人なんだし、
括りを作ることに意味はないけど
 
他人に無関心でいないために、
そんな視点も持てて良かった
そう思うのです
 
 
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幸せな人に疲れたら

強すぎる日差しが肌を焼くように、
まぶしすぎる幸せが弱ったこころを焦がすことがあります
余裕がないとき
力の差が大きな関係に身をさらさないのも、
思いのほか大切だと思うのです
 
 
 
 
気心のしれたお友達
元気なときなら、
気持ちを共有して楽しくできる人
そんな人とでも、
なぜか気持ちのしんどいことがあります
 
当たり前の幸せの話が、
暴力のように感じられる
元気なら笑ってスルー出来ることに、
痛みを感じてしまう
そんなことがあったなら
 
それはこころが余裕を失っているサインかも
しれません
 
 
 
 
ケガをした後、
痛みに疑問を持つ人はいないでしょう
目で見て分かるから、
ああこりゃ大変だと思う
ケガがひどければ、
回復も長引きますね
 
こころは?
わたしは同じだと思っています
目に見えなくても、
癒えるまで痛みを感じやすいのは当たり前
 
余裕を失っているときは、
自分を守る壁にほころびが生じているのです
ツルハシの一撃が、
大きく壁を崩してしまうこともある
 
 
 
 
身体のケガをケアするように、
こころもケアしましょう
痛みを感じる自分を、
責める必要なんてない
傷に手を当てて
ゆっくりと休めばいい
 
痛みに慣れるときは必ずやってきます
そのときは
 
日差しを楽しみましょう
そして同じような痛みがこの世に存在することを、
忘れないでいましょう
 
 

あなたはだあれ?

決めつけられるの、
いやだなぁと思います
わたしとあなたは違うのに、
こころの中だって知らないのに
 
人は自分の物差しで計ることしか出来ないから、
最初は仕方がないと思います
でも重ねて決めつけ続けるのって、
失礼じゃないですか?
 
心配してるって言葉は、
免罪符じゃありません
もちろんその気持ちに嘘はないでしょう
でもあなたとわたしは違うの
それは忘れないでほしい
 
そしてわたしも、
人を決めつけることはしたくないなって、
そう思うのです

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つらさはアップグレードしたしるし

どんな人にも、
思い通りにならない時はあるでしょう
力がなくなって膝をつく時
どこへ進めばいいのか考える時
そんなときは自己肯定も難しくなるし、
不安に揺れたりもしますね
 
100/100に近付くと、
人のこころも窮屈になって、
アップグレードが必要になります
揺れる不安定な時間は、
その後にやってくるのではないでしょうか?
 
立っている場所が広がって100/200になる
結果50/100になって、
慣れるまでが揺れる時間
そんなイメージです
ゲーム好きな人は、
レベルアップの訓練期間みたいに考えるといいかも
 
 
 
 
完璧なんかじゃないのは、
自分も変わりません
それでも人は高みを目指そうとするし、
それ故に自分の狭さに苦しむこともある
 
苦しむことは、
自分の心が成長した証
その後には必ず、
より大きな視点で世界を観ることの出来る自分が待っています
 
強さや優しさ
自分を肯定して、
他人も包み込める気持ち
こういったものも、
苦しみを経て積み上がっていきます
 
 
 
今苦しみのなかにいるのなら、
それは永遠に続く闇ではありません
階段はもう昇りきっている
 
羽ばたき方さえ分かれば、
広い空が待っているのだと思います
 
 
 

人生が特別と教えてくれるのは

自分を大切にしていれば、
かけがえのないものを見出すことができます
最初から完璧で、
かけがえのないものなんてないけど
 
時間と小さなことの積み重ねが
真の価値を教えてくれるのです
 
 
 
自分を大切にしていないと、
自分が唯一無二ではなくなります
何もかも全てが代替可能
かけがえのないものは、
見えなくなってしまう
 
かけがえのない存在をこころに持つことは、
自分を生きている証です
 
 
 
かけがえのないもの
唯一無二の、
他ではかえられないもの
それを教えてくれるのは、
当たり前のような顔をして、
そこにあることです
 
ひとつひとつは小さくても、
気が付くと集まって、
明るいともしびになること
 
完璧は、
求めすぎない方がいいのでしょう
誰もが光り輝く宝石を探すけど、
最初から特別なものなんてない
 
どんな存在も、
時間をかけて、
ちいさな特別が積み重なって、
確かなものになります
 
もしこころにかけがえのないものがあるのなら
 
大切に守りましょう
それは暗いときも明るいときも、
変わらず道を照らしてくれるのですから
 
 
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