どんどんしてあげよう

人の元には、
行動しただけのものがやってきます

ウサギを穫りたいのなら
仕掛けを用意して山に行かなきゃいけない
いくら待ってみても、
切り株にウサギはぶつからないから

先を征して、
出来ることをしていく
そうしてイニシアチブを自分におくこと
それが大切だって思います

 

行動は自分のものです
大切なのは、
相手がどうかではなく、
自分がどうするか

「わたし」のすること
そこに自分そのものがあります
言い訳は必要ないし、
誰かの強制でもない

誰かが何かしてくるのを待つのではなく、
「わたし」が何かをする
そうすると今まで見えていた景色が、
まるで違ったものになります

自分から動くと、
先を征することになります
相手の行動は全てリアクションになる
これってすごく大切なこと
相手はコントロールできないけど、
自分と場はコントロール下におけるから

こう言うと少し攻撃的に聞こえるけど
「してあげる」を選んでもいいんですよね
笑顔でも挨拶でもいいし、
思いを伝えるんだって構わない

不思議なものだけど
自分があげたものを越えて、
人は受け取れないのです

他人に分け与えない人は、
結局そこからは何も受け取れない
器は空っぽのまま
与えることは、
与えられることなのです

 

自分も相手も、
それぞれの人生を生きています
人生のイニシアチブを他人にとられる?
そんなの変ですよね

機先を征して、
可能なら与えあえるサイクルを作ってしまう
どんな行動をとるにしろ、
他人に自分の人生を決めさせない
それが大切なんだって、
そう思うのです


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本物に触れると受け取れることが増えてゆく

高いレベルで調和を実現しているものは、
いろんなことを語りかけてきます
受け取れることは、
こちらのこころの容量に合わせて変わる

本物に触れるとこころの容量が広がるから
よいものを見ていきたい
いろんなものを、
より楽しむために
そう思います

 

日曜日のこと
装丁家の伊藤篤さんの作品展示を見に、
銀座まで行ってきました

一点ものの本を作る工芸装丁は、
西洋ではルリユールとして知られています
革や布で装丁された美しい本
そんなイメージが分かりやすいでしょうか

聖書の存在もあって、
本の持つ意味が日本とは少し違うのでしょう
こういう技術がしっかりと継承されている
日本国内ではあまり知られていませんが、
素晴らしいものです

会場には布を使った作品が多く展示されていましたが、
やっぱり凝ったものに目が行きます


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木枠にオーガンジーを複数枚張った表紙
中にはオーガンジーの間に人物や風景の絵がはさみこまれたものもあり、
それが光を透かして見えてきます
透かし見えるってぜいたくな表現ですよね


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金箔やパラジウム箔の輝きも、
異なる素材の表情の違いを見せてくれます

光の当たり方でも表情が変わるから、
いろんな角度から眺めたくなります

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会場は土屋ホーム銀座ショールーム
いろんな表現と合わせた展示をすることで、
住空間の提案を行っているみたい
わたしが行ったときは、
何かのワークショップも開かれていました

 

高いレベルで調和を実現した物に触れると、
こころの容量が広がるのを感じます
それは芸術や工芸作品かもしれないし、
工業生産品かもしれない
商業表現のこともあるし、
子供の無心の表現のこともある

どんな表現も調和があって、
一度高いレベルに触れると、
そこまでの表現は感じられるようになる
本物に触れることの大切さって、
こういうことだと思います

ルリユールに興味はあったけど、
触れる機会はありませんでした
今回の展示はまさしく本物、
よいものを見た

そう感じた日曜日でした


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製本家 伊藤篤『世界にひとつしかない手製本の世界』
2月25日日曜日まで
木曜日から月曜日までの10時〜17時開場
火曜日と水曜日は定休日
東京都中央区銀座3丁目8-10 銀座朝日ビル3F土屋ホーム銀座ショールーム
0120-406-211
https://www.google.co.jp/amp/s/ja.eventbu.com/city/event/9136670.amp

 

伊藤篤さんのSTUDIO LIVRE
https://www.studiolivre.org

土屋ホーム銀座ショールーム
https://www.hometopia.jp/staffblog/category/ginza/

こころの力は要らないところに使わない

1日に使えるこころの力は限られています
小出しに使ってしまうと、
大きなことに使う力が削がれてしまう

何かをするときも、
何かを変えるときも
要らないところに力は使わない
できるなら習慣で楽をするのもいい

そう思います

 

自分の意志なんて信じない
先月朝の目標設定の朝活で、
そんなお話を聴きました

人は誘惑に弱くて意志も弱いから、
決めたことをずっと出来るなんて信じない
仕組みを作って軌道に乗せた方が上手く行く

これすごーく分かります
がんばると言ってみても続かない
でも何かとセットで決めちゃうと、
習慣になってできてしまう
そんな経験が確かにあるのです

電車に乗ったら本を開く
喫茶店では本やパソコンを開く
家に帰ったら走る
目が覚めたらサッと起きる

その後の選択でお休みしてることもあるけど
短いものでも1年くらい
長いものは今でも続けることができています

 

単発の行動では人は変わりません
簡単なことでも積み重ねること、
それがいちばん効く

変わりたいと願うなら簡単なことをひとつ
すでに習慣になっていることとセットで、
それがうまくいく鍵だと思います

人は判断に使う力を省くために、
思考や行動の単純化をします
人を鋳型にはめるようなのは嫌だけど
反復からの習慣化は楽でいいなと思います

ムダのない行動は美しくもありますし

何かを変えるのは小さくてもたいへんです
無理はしない
がんばらないのがいいのです

 

こころの力は使いどころがあるから、
必要のないところには使わない
自動化や定型化も、
うまく利用すれば力になる

そう思っています


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何度も同じことを伝えてよいのか?

伝えたいことは、
何度でも伝えていい
大切なことだからこそ、
重ねる意味もある

同じ内容だからって悩むことはない
必要な人に、
必要なメッセージが届くように

そう思います

 

同じことを何度も伝える
良いのかなって疑問に感じていました
しつこいと思われないかな?
またかって呆れられる?
何となく考えてしまって、
いろいろ試したりしていたけど

お友達のイベントに出て分かりました
同じ内容を伝えるのは、
それが大切だから
重ねて伝えることに大きな意味があるから
迷う必要はないんだって

 

何か伝えたいことがあると、
内容はテーマに沿ったものになります
重ねて伝えたいと思う大切な事柄は、
表れる回数も多くなる

人は忘れる生き物でもあるし、
みんながいつも見てくれてる訳でもない
そこでためらって、
大切なことを伝える機会を逸してしまう?

メッセージは必要な人に届いて、
初めて効果を発揮する
お薬みたいなものです
積み重ねることに大きな意味がある

 

試行錯誤の過程で、
ここしばらく書く頻度を落としてみて
考えることはできるけど、
結局書けなくなる自分にも気付きました

毎日書いていれば、
いつでも新しいことを届けられる
毎日書くことには、
ちゃんと意味があるのだと分かりました

思ったことを自分の言葉で
同じことが出てきたとしても、
それは大切なことだから構わない
可能なら毎日続けて書くことが大切

そう感じています


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水道凍結対策してみた

今年の東京、
寒さの底に入って冷え込んでいる印象です

この間も雪が積もってたいへんなことに
寒い地方の人からすれば、
噴飯ものかもしれないけど
雪に不慣れな人が対策なしに動き回るから、
けっこう危なかったりします

わたしは新潟の生まれで、
幼稚園の頃には群馬に引っ越しました
群馬と言っても雪深いところではなく、
平野部の雪のほとんど降らないところ
雪道の歩き方や凍結対策も、
寒い地方で育った両親から聞いただけ

さすがに40年以上生きてると、
多少の経験はあるけど
それでもほとんど知識はありません

 

1月に入って
水道が凍って朝シャワーが浴びられない、
そんなことがしばしば起きました
いちばん寒かった時は、
窓や扉が凍って開かなかったり、
トイレの水が流れなかったり
水道が凍って出ないくらいはまだしも、
トイレが流れないのは初めてです

最近ヒゲ脱毛をサボってたのもあって、
朝のシャワーは大切な時間です
身体を温めて要らない体毛を落とす
自己イメージ維持には欠かせない習慣
水道凍結はかなーり痛いです

夜お風呂に入るようにすれば?
やってみたけど翌朝の身体の冷えがしんどい
起きるのに時間がかかるし、
着込んでも寒いのが分かりました
しばらく前の起立性低血圧の経験で、
あんまり温度差があるのも怖いけど
やっぱり朝シャワーはほしい

 

そんなわけで定番と言われる水道凍結対策、
試してみることにしました
少し水を出しておく
それだけ
加減が分からないけど、
氷点下1~2度ならポタリポタリでいいかな?

今朝は雪が降って寒い朝
全く問題なく水が出ました
拍子抜けするくらい

放射冷却がないから、
さほど寒くなかったのかもしれませんが
これからも翌朝が寒い予報の日は、
試していきます

生活の積み重ねの知恵
サッサと試せばよかったかな
そう思っています


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言わなければ伝わるわけがない

伝えたいことがあるなら、
ちゃんと言わないと分かりません
人はみんな違うものだから、
できるのは推測まで

曖昧さが許容できるなら構わないけど、
お仕事みたいな場面でそれは困ります
間違われて困るのなら、
どうしてほしいかハッキリ話す
それが大切だって思います

 

ぼんやりしたことを言って、
「分かるよね?」

こんな言い方をする人
特に年齢であったり、
立場であったり、
権力に差のある人に多いけど

分かんないです
超能力ないですし、
わたしはあなたじゃないから

目上の人に同じように振る舞うこと、
絶対にないでしょう?
力の差を分かって甘えている
なんだか子供みたい

 

分かってほしいんでしょう
気持ちは分からないではないけど
そりゃムリってものです

わたしは男性で生まれたけど、
女性ホルモン身体に入れて
胸が大きくなったことや、
女性ものの服着ることで喜んでる人
そんな気持ちや考えが分かる?

わたしも分かったつもりで、
相手を決めつけてる時があるみたいで
それを言われる度に思うけど

他人の気持ちや考えは、
正確には分からないのです
前提条件があっても無くても、
それは同じこと

 

言葉を尽くしても不完全で、
間違いが起きることも多いのだから

正確に伝えたいなら、
出来ることはする
相手に甘えて間違いが起きても、
それは誰のせいでもない
そう思うのです

 
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いつか消えゆくのなら

死ぬときには、
何も持っていけません
せいぜいが三途の川の渡し賃、
六文銭が関の山

こころの問題も、
置いてゆくことになります
怒りや憎しみ、
喜びや悲しみも

もしそうなら、
自分が旅立つとき何を残したい?
周りの人の死から何を感じ取る?
よく自分に向ける問いです

 

これを意識していると、
細かいことは気にならなくなります
死ぬのが分かって気にならなくなることは、
単なるワガママなんですよね

物に対する執着も、
人に対する執着も
このフィルターを通すとよく分かります

人の執着は生きる原動力にもなるから、
あんまり捨てすぎるのもどうかとは思うけど
知るのは悪いことじゃない
身軽な方がいいのも事実でしょう

 

人の生が死と隣り合わせなのは、
変わることのない事実です
無闇に怖がっても仕方ない
むしろ死ぬ存在だから何を選ぶか?
それが大切だと思います

自分であれ他人であれ
死に面した時の姿勢で、
世界に与える意味が決まります

世の中に傷跡を残すか、
残された人の人生を豊かにするか
世界を暗くするなら、
その人の死は存在以上の闇となるし、
世界を明るく照らすなら、
死は単なる喪失を超えたものになる

 

 

意味は人によって与えられるもの
答えはいつでも選ぶことができる
そう思うのです


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