夢は見ないで

見ているだけの夢は幻のままだけど
少しでも動けば、
夢は手の届くものになります

夢は見るものではなく叶えるもの
そう思います

 

先週の木曜日、
スタート力がテーマの朝活に参加しました
何かを始めるのって、
思いのほか力の要るもの
どうしたら上手く続くのか?
みんな悩むことですよね

ちょうど考えていたこともあって、
とってもタイムリ
しっかりお勉強してきました

内容的には言い訳の要素を潰して、
継続を苦にならなくする感じ
失敗したくないのはみんな同じで、
出来ない理由を付けがちだけど
それじゃ何にも始まりませんからね
始めると決めたら5分以内に何かひとつ!
これは効果あるなーと感じました

 

わたしずっと夢ばかり見ていました
ああできたらいいな
こうなったら楽しいかな
でも動かない

言うだけで動かないのは、
そうしていれば安心だから
状況が許さないとか
そんな理由をつけていれば、
何かをした気にだけはなれるからです

夢は見るものじゃなくて、
叶えるものでしょう
このまま行けば夢を語るだけの人
ずっと「そうしたい人」で終わってしまう
そんなの嫌だなって思いました

 

今のお仕事は物作りに関わるもの
わたしの好きなことの延長です
1日なんとなく続けていれば、
苦もなく終わってゆく

でもここにあるのは自分の楽しみだけ
誰かの幸せにつながっている、
そんな喜びはありません
同僚が自信をもってプレゼンできるように
それをいちばんに考えてたけど
同僚にとっては空気みたいなもので、
何でもないことみたい

わたしには人を助けたい気持ちがあります
承認欲求かもしれないし、
愛着障害に突き動かされてるのかもしれない
いろいろ理屈を付けてはみたけど
気持ちがあることは変わらないから、
わたしのやりたいことなのでしょう

以前勉強した介護や、
ずっと興味のある看護
人の話をただただ聴いてあげること
わたしがもらって嬉しかったことも、
少しでもお返ししたいなって思います

 

自分の外に手の届かない夢を置くのは、
ないものに幸せを求めるのと同じです
語り続けるだけなら、
夢は外にあるまま
何も変わりません

叶えるために少しでも動けば
それがどんなに遠くても、
夢は手の届くものになります

動き始めた車輪は、
勢いを付けて回転を早めることも出来る
スピードの出た自転車が、
初めての時怖かったみたいに
ちょっと怖さもあるけど

もしかしたら自分も変わるかな
そんなことも少し感じて
ワクワク半分怖さ半分
そんな気持ちの日曜日です


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怒り出す人に思ったこと

感じたことと、
そこから移す行動
これは直結することも出来れば、
間に選択を挟むことも出来る

何を選んでも、
それは生きた道筋として残るのだから
自分にも相手にも、
よいと思えるものを選びたい
そう思います

 

「お前に指図される謂われはない」
いきなり怒り出す人に会ったことがあります
気付いたことお願いしてた時だから、
こちらただただびっくり

わたしは失礼のないように話したつもりでも
問題ありと思ったのでしょう
これから関わることもなさそうな人に、
怒りで対応するって
どんな気持ちだったのかな
いろいろ考えました

 

お願いした内容って、
「列が長くなるから詰めていただいてもいいですか?」
たしかそんな内容です

みんなが楽な方がいいと思っただけだけど
上から目線と取る人もいるでしょう
白黒で物事見る人なら、
『自分が言われること=自分が悪い』
となるかもしれません

怒り出したのは年上の男性
年下から非があるかのように指摘される
そう感じたのかもしれませんね

 

わたしが変われることがあるとしたら?
そう思います
この人と話すことはもうないけど
わたしがここから何かを得るなら、
それは意味があるでしょうから

まず自分は同じことしたくないなと思います
相手の態度を快く感じなかったとして、
そこにイラついたとしても
何を返すかは自分で選べます

選択が積み重なって、
その人のこころは形作られます
表情も言葉遣いも、
毎日の感じ方もこころによって変わるから
けっこうバカになりません

その人と会うのがその時限りというのも、
無視出来ないことでしょう
どんな形であれ、
人との触れ合いはこころに残ります

怒りにかられて痛みを残すか
分かろうとして別のものを残すか
これは相手のこころだけではなく、
自分のこころにも影響を与えます
誰かの人生に何を残すか?
選べるのなら、
痛みを残す人にはなりたくありません

 

結局のところ
誰かのためにしたことは、
全て自分に返ります

わたしはこの人のこころに、
あまりよいものを残せなかったと思うけど
人の受け取り方までは、
どうすることも出来ないから

わたしはわたしに出来ることを、
人生によいと思うことを選んでゆく
そう思うのです

 
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気にせず描いちゃえ! ともらぼ&おもしろアートコラボ参加その2

承前

後半は松永泉さんの『おもしろアート』
先入観を捨ててアートを楽しんで、
固くなったこころをほぐすもの
上手い下手は関係なし!
もう何でもありのお絵描き体験です

 

まだ小さい頃、
図工の時間が好きでした
粘土で何かを作ったり
好きなものの絵を描いたり

子供の作るものって味がありますね
「上手く描かなきゃ」とか、
とらわれがないから伸びやかで
感じたものがストレートに表現されている

ここに他人の目が入り込んでくると、
途端につまらなくなります
自分以外の影響を受けて、
その子の絵は消えてしまう

これ、
自分でも覚えがあります
上手くできたと思って見てもらったら
返ってきたありがたいアドバイスの数々
結論は「お前の絵は下手」

そこから人の目が気になって、
なんだか楽しく描けなくなりました
「よく描けたね」って、
言ってもらいたかっただけなのにね

 

絵に限らないと思うけど
本来表現はごくごく個人的なもの
上手いか下手かって、
たいして重要じゃありません

自分の見えたように、
楽しく表現できたか?
大切なのはそこですよね

上手いか下手かは何かと比べた時、
浮かび上がってくるもの
絵を描くとき上手いかどうかが気になるのは
小さい頃から比べられ続けているからです

 

さて泉さんのアート体験、
使用するのはクレヨンです
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面でも描けるように、
回りの紙は外されてます

ハガキにまっすぐ直線
次にぐねぐね曲線
その次にきざぎざ折れ線
幅は自由で色も自由
次は線で囲まれた部分を色で塗ってゆきます

色は重ねてもいいし、
硬いもので引っかいてもいい
やっちゃいけないことはないから、
人によってどんどん違う方向に進みます
ある程度出来たらシッカロールでこすって、
定着させて完成!

クレヨンのにおいと手触り
紙とすれる音
描き進むにつれて表れる色とかたち
はじめは考え考えで手が動かないのが、
しばらく経つと面白くて止まらなくなる
そうすると音もにおいも消えて、
自分と紙がつながるのを感じます

 

囚われていることはたくさんある
描き始めと終わりの気持ちを振り返ると、
そう思います

できた絵は今のわたし自身
意外と勢いもあって、
悪くないかな

自分を見つめる機会にもなった
『おもしろアート』
また開催する予定もあるみたいだから、
今から楽しみです
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愛される自分を作る方法? ともらぼ&おもしろアートコラボ参加その1

月曜日のこと
SNSで『愛される』には?
そんなセルフブランディングを扱った、
ソーシャル講師山田トモミさんの『ともらぼ』と
上手下手は関係なし!
何も考えず思う通りに描いてこころを緩める
松永泉さんの『おもしろアート』と

ちょっとないコラボイベント、
参加してきました

 

山田トモミさんは、
ソーシャルを始めた人が迷いやすいことや、
楽しく進めるための注意点、
iPhoneを使いこなす方法、
そんなことを伝えているお方

歯に衣着せず切り込んだかと思えば、
細やかな気遣いを教えてくれたり
その幅の広さも魅力的な人です

 

今回のテーマはSNS上での自己表現と交流
その目指すところを、
トモミさんは「愛され」と表現しています

「ソーシャルに魔法はありません」
トモミさんはそう言います
他愛ないお話や共感
そんな地道な積み重ねだけが、
信頼を作れるからです

今回もそうですが
トモミさんの講義を聴いていると、
内容がソーシャルに限定されたものではない
そう思うことが多いです

効率だけでアプローチすれば、
誤解やすれ違いが生まれるのは当然でしょう
以前FBでお友達になったばかりの人が
「LINE登録で~プレゼント」なんて内容を
最初に送って来たことがあるけど
そんなの誰が信用するのかと笑
本人だって分かりそうなものなのに

 

自分の会いたい人に自分がなるようにする
ソーシャル空間を楽しく泳ぎ抜けて、
「愛される」にはそれが大切みたい

最近のわたしはひとりの世界で遊んでたから
ちょっと貯金足りなくなってきてるかな
わたしが会いたいのは、
自分の弱さを知ってなお、
周りを力付けられる勇気のある人
こういう人は、
芯に強さと優しさを持っているから

自分がそうなるには、
どうしていけばいいのか?

なくなってきた貯金は、
1からまた積み直せばいいだけのこと
さてそれじゃどうしていこうかなって、
考えるのでした
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ひとりと集団は対立するわけじゃない

周りのために個人が犠牲になるとか、
個人を貫いて周りが無視されるとか

どちらかが犠牲になる必要はありません
自分と他人の境界を認めて、
どちらも生かす
それが大切だと思います

 

このところひとりで動いてたけど、
そろそろ飽きてきました

ひとりは内面を見つめるには必要だけど、
発展性に限界がある
あまりひとりでいすぎても、
周りの気持ちが見えなくなる
そんな風に感じてきて

人は個として存在しているけど、
集団の一部であることも変わりません
これは排他的な関係じゃなくて、
互いに補い合うものです

個としての輪郭を意識することは、
自他の境界を意識すること
自分を尊重して、
同時に他者を尊重することです

他人への態度って、
自分への態度と共通しているように感じます
いろんな表現の「自分」と「他人」
入れ替えるとその人のことが見えて、
面白いものです

ひとりの時間が長すぎると、
他人の気持ちが見えにくくなる
自分に出来ることは自分で
それも大切だけど、
難しいなら他人が助けるのも悪くない
他人へ優しく接することは、
自分への優しさでもある

他人の気持ちを見えにくいと感じるなら
自分の気持ちも見えにくくなってるでしょう
自分と他人は響き合う
久しぶりの友だちと一緒にいて、
分かりました

 

個としての人がしっかりすれば、
集団はより強固になります
互いにもたれ掛かるのではない、
弱さを補い合える関係

大切なのは、
どちらかが犠牲になることじゃありません
自分も耐えてるんだからお前らも甘えるな!
そんな連帯は変ですよね

それぞれの境界を尊重して、
他人には多くを求めない
自分が集団の一部であること、
助け合えることも忘れない
どちらも対立するものじゃなくて、
生かしあえるものだから

そう思うのです


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美しさに触れて思うこと

なんてきれいなんだろ
そう思う経験は、
生きてて良かったと思わせてくれます

小さな喜びの機会を増やして、
大きな喜びも感じられるようにするために
美への感度を上げてゆくこと
大切だと思います

 

美しさに触れて、
言葉を失うことがあります
なんだか自分が子供に戻ったみたい
気の利いたことなんて言えなくて、
簡単な言葉しか出てこなくなる

喜び悲しみや恐れ
根源的なものに近い感情は、
こんな風に感じることが多いですね
美しさに触れたときの感動も同じ
人が古くから感じていた気持ちなのでしょう

毎日の小さな美しさも、
当たり前と思えば無いのと同じ、
喜びもありません
でも見つける気になれば、
美しさはそこここに隠れています

お日さまの光
青い空
遠く広がる海
水のひとしずくや、
咲きこぼれる花も

こころの感度を上げてゆくと、
美しさを感じる機会はどんどん増えて
毎日の彩りは豊かになります
そしてより美しいものに触れたとき、
受け取れる喜びも大きなものになる

 

能動的になにかの要素を探そうとすると、
くさしたりする人もいるけど
そんなの大きなお世話
毎日を彩り豊かにして、
その人なりの意味を見いだしてゆく
それは他人に口出しされることじゃありませんから

色を失った世界は虚しいものです
自分で色を捨てておいて、
他人を巻き込もうとする人はいるものです
でもそんな人に引き込まれて、
自分の世界まで色を消してしまう必要はない

 

暮らしを色彩豊かにして、
毎日を意味あるものにするのも
小さな驚きを捨てて、
灰色に塗り込めるのも
決めるのは自分のこころです

美しさへの感度を上げておくことは、
喜びのキャパシティを増やすことです
周りに惑わされず、
自分の暮らしを豊かにすること
美しさに触れる喜びを感じること

大切だと思うのです


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何を信じ何を伝えたい?

虎が死んで皮を残すなら、
トランスのわたしは何を?

目の前の人を信じて、
相手の可能性を殺さないこと
誰にとっても大切だと思います

 

嫌なことがあると、
相手を一面的に見てしまうことがあります
「なんてイヤなやつ」
一言で片付くからすごく簡単
今まで散々やってきことだけど

イライラして相手を断ずるのは簡単
でも相手との間に残る可能性の半分は、
その時死んでしまいます

人生の重なったほんの一瞬
そんな僅かな時間でも、
人は人に影響を与えます

現実は思いの影響を受けて変わってゆきます
何を感じ、
何を信じるかで未来は変わる
これは人の可能性も同じです

 

いつかこの世を去るとき
以前は何も残さなくていいと考えてました
でも周りに救われたことを知ってる今は、
少しでもよいものを未来に伝えたい
そう思います

俯瞰して見れば、
わたしたちが残せるものはたくさんあります
子供を残せる人は、
血を未来につなげられますね

血だけが人の残せるものでもありません
続く人たちが生きやすい社会?
隣人が笑いあえる街角?
大きなことは簡単なことから
目の前の人の可能性を信じることは、
すぐに手の届くことの1つでしょう

相手の言葉や態度にただ反応して、
決めつけるのではなく
相手の視点で状況を見てみると、
何を言いたいのかが見えてきます

 

自分を抑えろと言う訳じゃありません
こちらの意思は伝える必要はある
かと言って、
相手を折るのが目的じゃないのも確かです

互いの可能性を生かす方法
見つける気さえあれば、
新しい答えは必ずあります

相手を断じて可能性を殺していったら、
未来にたいしたものは残せないでしょう
本当にそれがやりたいこと?
今変える選択がそこにあるなら、
何を選ぶか

何かを残したいなんて、
単なるエゴかもしれないし
偽善と言う人もいるでしょう
ただそれで笑顔が残るなら、
エゴでも偽善でもいいんじゃないかな

同じ苦しみを知る子供たちに、
何を残したいのか?
諍いか?
喜びか?

そう思うのです


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