つまづくのも悪くない

自分はどんな循環を起こして、
どんな環境を作っていきたい?

人を傷付ける行動をしていたら、
大好きな人たちも巻き込んでゆくから

つまづいて気付くのも悪くない
そこから未来を考えて行動を選びたいね
そう思います

 


歪みはいつか溢れ出す

人生いろいろ
調子よく飛ばせる時があれば、
つまづく時もあります

調子よく飛ばせる時が続くと、
それが本当の自分みたいに錯覚して
他人の気持ちに鈍感になって、
抜き身の言葉で傷付けちゃったりする

ここしばらくのわたし
実はそんなメッセージも届いてましたが
無視していて、
結局人を傷付けてしまいました

傷付く可能性の高い言葉というのはあります
何を思ったにせよ
そんな言葉を投げつけるように使うのは、
何か違うと言わざるを得ません

つまづくのって、
そんな自分の歪みが溢れ出した状態です
「お前そのままだとヤバいぞ」って、
神さまが石を置いてくれたのかもしれません

 


このタイミングで良かった

今このタイミングでつまづいて良かった
そう思います

人生の流れを変えたこのタイミング
ここで傲慢な自分のまま進んでいたら?
考えると怖いものがあります
わたしが言葉で人を傷付けたこと
これは起こるべくして起きたことです

出来事は偶然の積み重ねだけど
そこに意味を与えるのはやっぱり人です
「まあそんなもんだよね、
だって言葉に意味を与えるの相手だもん」
今までと同じくそう考えても、
ちっとも構いません

でも傲慢の種も抜き身の言葉もそのままでは
同じことが続くのは間違いありません
今つまづいて良かった
もっと踏み込んで言えば、
つまづかねばならなかったのです

 


因果応報

「因果応報」って言葉があります
物事には原因と結果があって、
行動には相応しい報いがある
そんな意味です

「情けは人のためならず」も同じ
人にしてあげたことは巡って、
自分に返るものだって意味です

因果は巡るものです
してあげたことが返る
これは相手にも同じ事が言えます
原因と結果の輪は循環して、
その人の周りの環境を作り出します

良い行動には良い結果
逆もまた然り
よいものをあげればよい循環が起こり、
よい環境が築かれます
人を傷付ければそれも巡って、
悲しみの多い環境に落ちてゆきます

怖いのって、
これが自分だけに止まらないということ
自分の周りの大切な人も巻き込んでゆきます
大好きな人を不幸にしたい?

選ぶことから環境が作られてゆくのだから
自ずと答えも出るということです

 


まとめ:つまづくのも悪くない

選んだもので人は変わってゆきます
選ぶことにはもっともな側面と、
その裏の面があるものです

似たような問題が続くなって感じるなら
それは歪みの存在を教えてくれています
今の自分には、
人に何かを強いる面がある
それが問題となって顔を出してるということ

「そのままだと、
大好きな人たちまで不幸にしちゃうよ?」
これはそういうメッセージ

気付いたら?
変わればいいんですよね
それを選べるのも知っています

だからつまづくのは悪いことじゃない
そこから未来を作る選択をすればいいんだ
そう思うのです

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どんなこともチャンスに変えたいなら

どんなこともチャンスにしたいなら、
まずものの見方を変えてみる

つまづいたって、
後戻りしたっていい
思い続けたことがいつか習慣になって
好機を見つけられる自分に気付けるから
そう思います

 


相手を待つのは何でだろ?

相手が動けばいいのに
よくそんな言葉を耳にします
ケンカとか恋とか友達とか
相手が言い出してくるのを待ってる人、
多いんだなって思います

自分から話しかけて拒否されたら?
痛いのはイヤ
悲しいのもイヤ
みんな傷つくのは怖いからなんだけど

待ったところで、
相手が動く保証はありません
話しかけて何か失うものがある?
騒ぐほどのものはありません

それなら先に動いた方がよくないですか?

 


待っても得るものはないぞ

相手が言い出すのを待つって、
やらない理由を考えることです
やらない理由なんてそれこそ何でもいいから
いつまでだって動かないでいられる

これの恐ろしいところは、
「やらない理由」で動かない経験が、
徐々に積み上がっていくこと
動かないでいるのって楽です
上手くいかないのを他人の責任にしてるから
こころも痛まない

積み上がった経験は習慣になります
主体性のない、
やらない理由で動かない人の出来上がり

もちろんこういう習慣が、
待つことだけから始まる訳じゃないけど
無関係とは言えません

 


これからは動く理由を考えよう!

これからは動く理由を考えよう
お仕事辞めると決めた時に考えたことです
かく言うわたしも、
やらない理由を考える人でした

待ってたって死にはしません
だから理由をつけて動かない
それが積み重なって、
変わらない現実になってることに気付いて

自分を変えたい
トランスと一緒にそんなこと考えてたから
考えとして定着するまでに、
15年くらいかかってることになりますが
徐々に積み重なって、
道がついてきたのを感じます

動く理由を考えることも、
積み重なれば習慣になって
人生を変えてくれるのです

 


見方1つが結果を変える

見方1つ、
捉え方1つの問題なのです
どんな物事にも好ましい面と、
そうでもない面がある

人も生き物だから、
本能的に身を守ろうとします
自分にとって良い面と悪い面があったら、
悪い面をより印象に捉える
それはある程度仕方のない部分でしょう

ただ人は、
それを変える力も持ちます
自分にとって有り難くない面があっても、
より上手くいく可能性を信じて、
良い面に目を向けることが出来ます

好機を捉える目もこうして培われます
出来事の中から良いものを積極的に捉える
こんな見方を定着させていくことで、
拾い上げられる好機は増えてゆきます

好機を捉えるものの見方も、
人は選ぶことが出来るのです

 


まとめ:どんなこともチャンスにしよう

どんなこともチャンスに変える
それは見方を変えることから始まります

毎回出来なくたって構わない
心がけることから経験が増えて、
やがてそれは習慣につながっていきます

人は楽な方に流されやすいから、
後戻りすることもあります
でもそれだって構わない
気持ちさえあれば、
また進めばいいだけだからです

つまづくことがあっても、
また立ち上がって進むことが出来る
人のいいところですよね

タツムリとか牛みたいでもいいから、
自分の見方を信じて
誰かが来るのなんて待ってないで、
進んでいこう
そう思うのです

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神田明神に行ってきた!

神さまこんにちは

ちょっとお参りしたくなって、
神田明神に行ってきました
いつもの通りお願い事はなし
こころの中で、
「見てて下さい」って言うだけです

大崎二人会でマリコ先生も言ってましたが
願いはエゴ
祈りは神さまや自分との約束

お願いしたって仕方がありません
行動するのは人ですからね

 


神社の空気は気持ちいい

20頃のわたしは、
神社もお寺もその他宗教も、
全部押し付けがましく感じて嫌でした

本当のところは押し付けでも何でもなくて
全部自分で感じて、
敬うかどうかを選べばいいことなんですけど

いつの頃かそれが分かって、
神社に行くのが好きになりました
信心深くはないけど、
気持ちのいい空気に触れられる
こころの中のよどんだものも、
溶け出していくのを感じます

 


あいさつに行くのも悪くないよ

神さまって言ったって、
実際に姿を見ることはありません
科学的に根拠はないし、
神道を生活の中心に置く人も少ないでしょう

それでも神さまは、
日本の生活に結び付いています
折々のお祭りや行事に、
仏さまやキリスト教の神さまと同じように、
八百万の神さまが息づいています

だから気持ちが向いたら
お隣さんにそうするように、
あいさつするのも悪くありません

人に対する尊敬と同じことで
敬う気持ちは自然に出るから尊いもの
あいさつしたくなったらそうすればいい
したくないなら無理しなくていい
周りにはそんな風に思っています

 


まとめ:あいさつしたら行動するのは人

行動するのはいつだって人です
神さまは見ててくれるけど、
全てを決める訳じゃない

だから大切なのは、
自分がやると決めること
それを行動に移そうとすることです
そんなこころもちでいれば、
周りの全てが有り難く思えてもきます

やることをやったら、
後は自分を超えた世界
昔の人はそういう人を超えた部分に、
神さまの姿を見たのでしょう


行動を決めて、
神田明神であいさつして
なんだか澄んだ気持ちになりました

行動するのは人
いつだってそれは変わらないよね

そう思うのです

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みんな愛される価値があるから

人には愛される価値があります
助けを求めても、
価値がないことにはならない
自分が大切な人を心配するように、
周りもこちらを心配してくれてるから

1人で背負い込もうと思わないで、
もっと頼っていい
それはお互い嬉しいものなのだから

そう思います

 


自分に見えないことが見える人

自分に見えないこと
やっぱりあるなって思います
どうしたらいいのかなって、
散々迷ったことの答え
身近な人がスッと出してきたり

わたしみたいに思い込みの強い人は、
気付かないことが多いように思います
信じる力が裏目に出る時、
考え過ぎて視野が狭くなってるような時は、
固定観念を外せず苦労することになります

 


ワークスペースには限界がある

自分の考えは、
自分の頭を出られません
普段からたくさんの本を読んだり、
人と会って話してれば引き出しは増えるけど
それだって限界はある

違うテーブルと引き出しを持ってる人は、
ひょいと飛び越えて答えを見つけます

何で気付かなかったのか考えちゃうけど
余裕の無いときの人の頭って、
そんなもんだということでしょう
実際に散らかったテーブルで作業していると
簡単な探し物にも時間がかかるものです

考えだって同じこと
とり散らかった考えをまず片付けるか、
ちょっと俯瞰して眺める余裕を持つ
そうでもしないと、
自分も散らかったテーブルのただ中
まとまらない考えをかき分けて、
答えを探すハメになります

 


もっと他を頼ってみよう

考え事をするとき
わたしは1人でじっくり考えたくなります
自分の考えを突き詰めることに、
価値があると考えてるから

ただこのやり方は、
上で書いたジレンマから抜けられません
思い込みの強い人が、
なかなか答えの出ない自分に気付いたら
ちょっと深呼吸して、
外に注意を向けるのがいいみたい

身近な人に話してみてもいい
音楽を聞いてもいい
自然を見るのもいいですね
要は凝り固まったこころをほぐしてあげる
そのために、
他の誰かや何かに頼るってことです

 


まとめ:人には愛される価値がある

人には愛される価値があります
身の周りにいてくれる人は、
みんなそれを分かってくれてる人です

1人で何かをやりたいと言いながら、
人に頼っちゃいけないと思ってる
人に頼るのは、
自分に価値がないと言ってるようなもの
価値がない自分は愛される価値もない
そう思ってる人

わたしはその典型でした
今も抜けきらなくて、
なかなか助けを求められないけど

頼っていいんですよね
わたしが周りの人たちに、
ただそこにいるだけで嬉しいと感じるように
身近にいてくれる人は、
わたしを分かってくれてるから

自分が大切だと思う人ほど、
苦しい時には助けてもらおう

大切な人に気持ちを話してもらえたら、
何か力になれるなら、
嬉しいものだから
そう思うのです

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自分の価値が落ちたように感じる時は

価値が落ちたように感じる自分

自分の価値を感じられない
そんなことがあります
状況はいろいろあると思うけど

こういう時はなんとかしたくて、
つい動きたくなります
失地回復したい気持ち
早く目指すものを見つけたい気持ち
ありますもんね

でもそういう行動ってたいがい的外れ
普通の判断が出来なくなってるから、
導き出す答えもズレていて
結果ますます自己嫌悪に陥ったり

若い頃よくやりました

 


つまづいても価値は変わらない

人はいくつになってもつまづきます
ナントカは死ぬまでとか、
三つ子の魂って言うように
たぶんこれって、
死ぬまで変わらないのだと思います

そういうことがあればガッカリするし、
自分を信じるのも難しく感じたりする
でもそれで人の価値が変わるかと言えば、
何も変わりません

逆に言えば、
最初からそんなもんだということで
調子のいい時
それが自分だと信じたくもなりますが
そんなこともありません

晴れる日もあれば雨の日もある、
それが自分
周りの人たちも、
それが分かってそばにいてくれてます

 


感じることに目を向けよう

こういう時こそ焦らないで、
感じることに気持ちを向けるといい
そう思います

起きたことは変えられません
もがいてる時は、
外にばかり目が向いていませんか?
答えは自分の中と、
目の前にあるものです

まずは落ち着くために深呼吸
焦る気持ちを抑えて少しゆっくりすると、
見えなかったものに気付いたりします

人は見たいものばかりを見て、
本当に身近にあるものに気付きません
つまづいた時はチャンス
普段気付かないものに、
目を向けるチャンスだと思います

 


まとめ:そして毎日は続く

何があったって、
毎日は何事もなく続いて行きます
だからそんなに心配はしなくていい

自分がそこにあることの価値は、
照っても降っても変わりません
そういう自分の存在の価値
それを好きで周りにいてくれる人の気持ち

信じる目を向けるのはそこでしょう
調子よく飛ばしてる時の自分だと、
見えにくくなってるかもしれない
何があっても変わらない部分

自分の好きな人がつまづいても、
その人への態度は変わりませんよね?
それと同じことです

そんな風にして、
毎日はそのまま続いて行くから
焦らないで腰を据える
なるようになると自分も周りも信じる

それが大切なんだって、
そう思うのです

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1からやると決めればいい

また1から始めよう

そう思うと、
かえって気持ちは楽になります

過去の行動は変わりません
後悔したところで始まらない
出来るのは新たな一歩を刻むだけです

 


大きな試練が来る
今年に入って言われたことが、
分かってきたように思います

ものすごくたくさんのもの、
失うのかもしれません
でもそれも、
あまり怖くはありません
必ず良くなると知っているから

物事は必ずいちばんいい結果に落ち着く
上手くいかないことは、
そうならない方がいいから上手くいなかい
上手くいくことは、
自然とそこに落ち着いていく
この世には待っている何かがある

今まで生きてきて、
時々で知ってきたこと
そんなことの一つ一つが、
今のわたしを助けてくれています

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昨日より一歩出たい

わたしはわたし
それは変わらないけど、
そのわたしは変わっていけるから

痛くても縮こまったりしないで、
自分の選んだことを信じて
一歩ずつ進んでいこう
そう思います

 


分かっていても凹むよね

昨日の一件で思ったこと
意思がハッキリするとぶつかる人が出てくる
ハッキリすればするほど顕著になる
すごく好いてくれる人が出る反面で、
合わない人が出てくる

これは気にしても仕方がないことです
他人は変えられない
感じることも選ぶことも、
全て他人が決めることで
自分にはどうしようもないからです

とは言うものの
上手くいなかいとやっぱりモヤモヤします
言葉に意味を与えるのが聞いた人で、
関係はその人と自分だけのものと分かっても
それで全てが割り切れる訳じゃないからです

 


自分を信じられる?

こういう時は試されているのだと感じます
人との違いは仕方ないことで、
衝突もある程度は避けられません

そのまま突き進むこともあるでしょう
違う意見にぶつかって考えることや、
軌道修正だってあるかもしれない

折れてしまうなら?
思いを折るのは他人ではなく自分です
希望を持てなくなったり、
疲れたりして投げ出す選択をする
マイナスに捉えられがちだけど、
時にはそれが必要なこともあるでしょう
何かを捨てれば何かがやってくる
これも真理です

何を選ぶのも構わないのです
大切なのは、
それは誰のせいでもないと知ること
全て自分が選んでいると知ること
その自分の選択を信じられることです

 


これでいいのだ

昨日の出来事で、
けっこう自分のあり方を考えて
「わたしはこれでいい」
という結論に至りました

自分がいることで邪魔してないかな?
ほんとにこのままでいいのかな?
いろいろ考えましたが

わたしはいつもの自分を信じています
そりゃ完璧にはほど遠いから、
つまづくことだってある
それでも大切にしたいものがあって、
そこに向かっていく自分を知っています

前のわたしよりも、
今は自分の強さを信じられます
切れたように見える縁が、
よみがえる経験もしました

だから大丈夫
このままおっけーで進めばいい
そう思います

 


まとめ:一歩でもいいから

人は死ぬまで生き続けます
その時間の使い方を、
誰かと比べても意味がない
比べるなら昨日の自分と
わたしはそう思います

衝突が起きたのは、
自分が変わったから、
ハッキリしたからというのもあるでしょう
周りの様子が変わったとしても、
変化する自分を考えれば起き得ることです

ただ無用の衝突は避けたいから
やり方を考える必要はあります
昨日のわたしの行動は、
どう考えてもベストじゃない
これは変えていきます

わたしはわたし以外になれないけど、
そのわたしは変わっていけるから

一歩でもいいから踏み出そう
信じる自分を大切にして、
進んでいこう
そう思うのです

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