どんなに時間が少なくても

お休みの日の朝、
お風呂に入るのが好きです
平日はシャワーだけになりがちだけど、
それだと疲れがとれないから
湯船に浸かってゆっくりする
 
可能なら飲み物と音楽
スマートフォンも持ち込んで、
ブログの記事を書いてみたり
今の携帯は防水もしっかりしてるから、
少しくらいは平気です
 
 
 
今日はGregory & the Hawk の
『Moenie and Kitchi』
もうけっこう前のアルバムだけど、
シンプルなギターとボーカルが好きなのです
 
今何やってるのかと思って調べたら、
パトロン募ってちゃんと活動してました
クラウドファンディングも知られるようになったし、
こういう形で活動するアーティストさん、
増えるんでしょうか
なんであれ新曲聴けるのは嬉しいですね
 
 
 
リラックスしながら、
好きな音楽を聴いて過ごす
幸せ感の高い時間です
こんな時間の方が、
自分の核に近い考えもわいてくる
 
疲れが危険なのは、
やっぱり間違いありません
何かを決めたり選んだり
そんなことをするのなら、
一時的にでもこころの重荷を取り去って
その方が喜びに近いこたえが出てきます
 
全ての選択は、
自分で下すものです
何かするのもしないのも、
喜びに基づいた選択がいい
その方が広がりも生まれるし、
行動が苦痛になることもないでしょう
 
 
 
わたしやりたいと思ったことがあって、
他の行動を抑えてたことあったけど
それは自分の中の一部分を閉じこめること
結果としてストレスへの耐性が落ちて、
よくない影響を呼んでしまいました
 
一度に出来ることは一つだけ
それは変わらないから、
行動を選ぶ必要はあるけど
 
好きなことは止めちゃいけない
どんなに少しでもいいから、
楽しむ時間を忘れない
大切なことだなって、
そう思います
 

 

 

いつもそこにいてくれて

いつもそこにあって、
支えてくれる
水や空気みたいに、
失くしてはいけない存在
 
狐の言うように、
大切なものは目に見えないから
そこにあることへのありがとう
伝えていきたいなって
そう思います
 
 
 
身近な人が喜ぶ顔を思いながら、
何か準備する
楽しいなぁと思います
美味しい食事
お花
もしかしたらプレゼントも
 
なんでもない日に思い立って!
それもいいですよね
想像しなかった驚きは、
嬉しさに花を添えるでしょう
 
 
 
人は一緒にいる人に、
大きく影響を受けます
 
いつも文句を言われていたら?
自分は要らないのかなって感じてしまうかも
自分の価値は自分で決める
分かっていても、
寂しいことでしょう
 
ありがとうや、
ただそこにいるだけで嬉しいこと
必要とされてること
伝えてもらってたら?
 
無条件に肯定してくれる人の存在は、
この世を明るくしてくれます
つらいこともいっぱいあるけど、
ここまでがんばってきてよかった
そう思える
 
これはきっと、
みんな大きくは変わらないんですよね
だから記念日でもそうでなくても、
ありがとうの気持ちを伝えるのは大切
そう思っています
 
 
 
もともと自分は、
相手に何をしてあげたかったのか?
それを思うと、
喜びを伝えるのは自然なことになります
 
長く一緒にいると相手の存在に慣れて
そこにいることが特別
そんな何よりはっきりしたこと、
見えなくなるかもしれません
でも健康と同じで、
見えないものほど失くしてしまうと取り返しがつかない
 
嬉しかったはずの関係が壊れていく
それがどれほどつらいことか、
知らない人はいないでしょう
身近な人がそこにいてくれる幸せは、
水や空気のように大切なのです
 
 
 
喜びを伝え続ける
それだけで、
お互いが必ず幸せになります
大切なのは何を積み重ねるか、
その一点でしょう
 
見たいのは、
身近な人の悲しむ顔か
それとも喜ぶ顔か
 
ありがとうを伝えてゆく
大切だなって思うのです
 
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ダメな自分なんてどこにもいない

この世の中
ダメな人なんていません
何かやって上手くいかないことはあっても、
それはその人と行動が合わないだけ
 
自分の姿は自分で選ぶものです
人から何を言われようと、
『ダメな人』はいない
自分でそれを選ばない限りは
 
そう思います
 
 
 
人は毎日、
たくさんの選択を繰り返しています
選択があるから価値が生まれる
選ぶ余地がないと人は慣れてしまうから
適度に選択の機会があるのは、
よいことだと思います
 
人が選ぶのは、
なにも周りばかりではありません
自分のイメージも、
その時々で選び続けています
 
なりたい自分
目標とする姿
でも悲観的になって、
好きにもなれなければ、
嬉しくもない姿
『ダメな自分』を選んでしまうことがある
 
 
 
人のいちばんの価値は存在そのもの
だからダメな人はありません
 
上手くいかない経験はあるでしょう
長い人生ですから、
力が出せないとき、
大きな挫折を経験するときもある
でもそれは何かに対して自分が合わなかっただけで、
その人がダメなことにはなりません
 
挫折や痛みは人に深みを加えてゆくもの
なにかをやって上手くいかない経験は、
人を魅力的に輝かせます
 
 
 
最初から好きではない、
『ダメな自分』を選んでしまう
これは何かが上手くいかないこととは、
明らかに違います
 
ダメな人はいない
それが分かっていれば、
人から何を言われても自由を保てます
自分の姿は自分が決めるもので、
他人に決められるものではないから
 
でも自分でそれを選んでしまったら
現実は思いが作るもの
結果は恐ろしいものになります
可能性に満ちた自分が、
自分の手で朽ちていってしまう
 
わたしは出来ない自分を正当化するために、
そんな姿を選んでいたことがあります
思い返しても全くいいことなし
そうなる現実を選んでるんだから、
当たり前ですね
 
 
 
もちろんそれを選ぶからには、
それなりの理由があるでしょう
そうしなければ生きられないから選ぶ
それも間違いないのだと思います
 
でもその状況も、
ずっと続くものではないはずです
『ダメな自分』に慣れきって、
自分に無限の可能性があること、
忘れないで欲しいのです
 
挑戦を続けるのは、
力も要るし傷つきもするけど
 
ダメな人なんていない
そう思うのです

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『かきゆめ』で思いを叶えていこう

月曜日のこと
お友達の書家春陽先生と、
ソーシャル講師山田トモミさんの開催する
『かきゆめ振り返り忘年会』
行ってきました
 
墨を使って毛筆で紙に書く
わたしたち日本人はお習字があって、
馴染みもあるけど
西洋の人からすると、
けっこう驚きらしいです
 
含ませる墨の量
筆のやわらかさ
紙のにじみ
 
わたしたちはそれをクリアして、
縦に文字をかいてゆく
紙全体を見て、
まず一文字目
続く文字は収まりとの関係で、
位置と大きさを決めて
 
 
 
夢も思いも、
形にするところから叶ってゆきます
言葉にして伝え、
知ってもらう
このステップを経ずに、
夢を形にするのは難しいと思います
 
普段の気持ちは瞬間ごとに変わって、
姿を与えられることなく消えてゆきます
わたしたちは自分の思いを、
明確に知らないことが多いのです
 
思いを言葉にするのは、
気持ちに確かな姿を与えること
紙に書くことは、
現実にも姿を与えることです
こうして思いは、
現実の世界に形を結びます
 
思いを現実に表し、
紙と向かい合うことで表現するのが書
願いに現実の姿を与え、
自分の未来を作り出していこう!
それが『かきゆめ』の教えてくれること
わたしはそんな風に感じています
 
 
 
今年の初め、
わたしは『かきゆめ』に参加しました
ここでは自分の弱さと向き合って、
前に進むことを選びました
 
6月初めの『かきゆめ』
どこまでも自分の人生を生きて、
こころ定めた場所を守ろう
そう思いました
 
12月初め、
わたしの願いは叶ったように思います
 
行き着く場所は分からなくてもいいから、
見つめる星は明確にする
そこに現実の姿を与えて進み続ければ、
より未来は近いものになるでしょう
 
『かきゆめ』
いいものに出会えたなって思います
新年には書き初めもあるので、
また参加するつもり
 
来年の今頃
どんな自分が待っているか楽しみです

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疲れを軽くみちゃダメよ

全速力で走った後も、
考え過ぎるほど考えた後も、
人は間違いなくクタクタです
 
どちらの状態でも余裕は持てず、
本来の力は発揮できません
大切なのはベストの選択を下すこと
そのためには、
疲れたら無理をしちゃいけない
そう思います
 
 
 
わたしより一回りも若い後輩くん
どうしても力仕事が多くなりがちです
筋肉落ちて非力になっちゃったわたしを、
がんばってカバーしてくれてて
そんなお仕事が重なると、
少し気付きが遅くなるのを感じます
 
疲れの影響って、
身体→身体 こころ→こころ
だけじゃなくて、
身体→こころ こころ→身体
もある
 
身体とこころは、
互いに影響を与えあいます
身体の疲れは頭が感じさせている
そんなお話もあるくらい、
身体とこころは不可分です
 
身体が疲れた状態では、
気付けることにも気付けなくなる
些細なことに気落ちしたり、
怒りっぽくなったりもする
その結果出せる答えが、
自ずと限られたものになる
 
頭を酷使し続ければ判断力は低下して、
身体の状態が良好でもミスは増える
抑うつがこころの過労状態で、
身体活動にも影響を与えることは知られていますね
 
どちらも考えてみれば当然だけど、
意外と軽視されている気がします
 
 
 
疲れてた時に下した選択
ああすればもっと良かったと思うこと、
いくつか思い当たります
一番と信じて選んだことだから、
後悔はないけど
選択肢を探る余裕すらなくしていた
 
疲れは余裕を奪います
身体的なことは言うに及ばず、
こころの余裕もなくなっちゃう
こころはトゲが出て、
傷つきやすくなってしまう
 
こういう状況は、
相手にも同じものを投げかけます
互いがトゲに触れれば痛いから、
壁が出来てしまう
相手にも感情があることを忘れちゃう
 
それが自分にとってのベストの選択?
たぶん違いますよね
自分だけじゃなくて、
相手にもよい選択
そんな判断を下すためには、
こころにも身体にも余裕が必要なのです
 
どうしてもその状態で判断しなきゃいけない
そんな状況でもない限り、
疲れは過小評価しちゃいけない
疲れを自覚出来るなら、
重要な判断はムリに下さない方がいい
 
そう思うのです


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存在価値を疑うことなんてないよ

その人がそこにいる、
それだけで嬉しくなる
 
人は存在そのものに価値があります
何かが出来るからでも、
役に立つからでもない
全てはその人がただそこにある、
その一点
そう思います
 
 
 
 
わたし自身が囚われていて、
素直に受け入れられなかったこと
人の存在価値
 
世の中に出ると、
何かしら役に立つことを求められますね
それでお給料もらったりするし、
無視するのは難しい
どうしても、
頭の隅に残っちゃうけど
 
赤ちゃんにはどんな価値がある?
そう言われて、
疑問は吹っ飛びました
赤ちゃんは存在価値そのもの
何が出来るわけでも、
誰かの役に立つわけでもない
 
世話をしてもらわなければ、
生きてゆくことも出来ないけど
赤ちゃんはそのままで愛されます
そんな赤ちゃんの存在価値を疑う人、
少ないでしょうね
 
 
 
「役に立つ大人になれ」
そう呪文のように言われ続けて、
わたしたちは大人になります
言葉は鎖になって、
わたしたちのこころを縛ろうとするけど
 
存在価値は大人になったって、
何も変わりません
役に立たないといけないように思うのは、
経済活動に都合がいいからとか、
せいぜいその程度の理由でしょう
 
 
 
何があってもなくても、
人はそのままで最高なのです
それを忘れないで
この世には、
あなたの存在だけで幸せを感じる、
そんな人が必ずいるのですから
 
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許せない自分は小さくて嫌だ

常識とか気づかいとか
自分が気にしてるからやっていること、
他人がやらないと腹のたつこともあるけど
 
義務じゃないから、
しなくたって悪いわけじゃない
他人の常識は違うもの
それは忘れちゃいけないんだって
そう思います
 
 
 
人の多い電車の中、
荷物が当たっても気にもとめない
複数で間隔をあけて立って話してて、
人が入れない
座席があいても、
前をふさいで立ったまま
 
わたしこういう人が嫌いです
 
人が多くなってきた電車では、
荷物は邪魔にならないように持ち方を変える
間隔もつめる
席が空いたら、
近くの誰かが座れるようにするか、
自分が座る
 
そうすることで、
周りは狭かったりきつかったり、
そんな思いをしないで済むから
自分が狭かったりきつかったりは嫌だから、
周りにもそんな思いをさせないようにする
 
それが当たり前って教えられたし、
自分もそう思ってるから
そうしてきた
だからそんな人を見ると、
イライラしてしまうけど
 
 
 
常識と思ってることをしない
他人からしたら、
「そんなの知るか!」
なんですよね
 
自分が思うことで、
何かをするのはいい
だけどそうしない人がいても、
それは仕方のないこと
 
自分のしていることは、
自分が勝手にしているだけ
そう思うべきことです
 
 
 
最近はこういう『常識』の圧力、
感じることがあります
わたしはタバコやらないけど、
喫煙への風当たりは相当なものでしょう
食事の場で吸われると味分からなくなるし、
髪や服につくニオイは嫌だし、
健康にもいいことないけど
どんどん追いやられてるの見ると、
もっとうまくできないのって思ったりします
 
少し見方を変えれば、
これは自分の問題にも重なります
わたしいわゆる『常識』から外れて生きる人
電車でイライラして常識を振りかざすのは、
トランスフォビア(トランスへの恐怖)と変わらないんじゃないかって
 
常識や気づかいは、
みんなが気持ちよく生きるためのもの
声高に要求したり強制するのは、
お互いの心を削ってしまうから
 
違う常識を受け入れられる寛容さ、
忘れたくないなって思いました
 
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