人に問題はないのだから

個人に問題はない
働きかけるべきは、
問題を起こさせる枠組みそのもの
 
生け贄の山羊を作るのは無益です
個人に原因を求めるのを止めれば、
みなが生きやすくなる
わたしはそう思います
 
 
 
トラブルが起きたとき
誰かのせいにするのは簡単です
自分であれ他人であれ、
責任という名の鎖で縛って、
逃げられないようにすれば済みますから
 
結果からさかのぼって原因を探ると、
誰かの失敗に行き着く
人は必ず失敗するものです
原因は人に帰せられる
こいつが悪い
よくある流れですね
 
この考え方
わたしは大嫌い
簡単に解決してるようで、
何も変わらないからです
 
 
 
よく言われることですが、
『人が問題ではない』のです
その問題が人にそうさせている
問題を個人の外に置くことで、
人は責める視点から解放されます
 
例えば. . .
 
うつやADHD/アスペルガーは、
人に働きかけて問題と見られる行動をさせる
周囲との関係にも働きかけて、
本人とみなを困らせてしまう
うつを黒い犬に例えた動画は有名ですね
 
性別を二元的に捉える社会の考え方が、
個人に性別違和を感じさせる
性役割を押し付ける
 
問題を起こしうるシステム上の欠陥が、
人に失敗をさせる
 
 
 
個人に原因を求め続ける限り、
問題はなくなりません
働きかけるべきは、
問題を起こす枠組みそのものです
 
うつやADHD/アスペルガーは、
どんな状況で現れて、
どんな行動をとらせるのか
本人と周りを困らせるのか
 
男女二元論的な考え方は、
どんな状況で性別違和者に困難を感じさせるのか
 
システムの不備は、
どんな状況でミスを誘発するのか
 
こういった視点で見ていくと、
問題を客観的に捉えることができて、
どんな時に気をつければいいのか、
コントロールが可能になります
 
 
 
個人的なことから、
大きなシステムまで、
幅は広いけど
 
個人に問題を押し付けるのは、
なんの解決にもならない
変えるべきは外側
 
わたしはそう思っています

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