自分の中の悪意は悪いわけじゃない

自分の中の悪意は、
自分を守るために必要だから存在します
だから否定する必要はないけど
 
思いは世界を作ります
自分の中に育ったものが他人に反映して、
周りには思いに沿った人が増え、
自分もそうなってゆくから
 
悪意さんには「ありがとう」を言って、
近付き過ぎないのが大切
悪意さんは自分のマスターじゃありません
自分のマスターは自分なのです
 
 
 
「こう考えているに違いない」
「あいつはバカにしている」
こんな話を聞くことがあります
 
よくよく聞いてみると、
根拠がうすい
何か言われたことは事実でも、
相手の行動のベースは分からないことが多い
 
他人の言動に色を着けるのは、
受け取る側の人です
人は天の邪鬼なもので、
他人の動機に悪意を読み取りたがるけど
 
実際のところ、
悪意がない場合も多いし、
それどころか善意の場合だってある
 
確かに悪意というのも存在するけど、
ほとんどの人は利害にそって行動してるだけ
だからこちらの行動が敵対的でない限り、
相手も無闇に悪意を向けては来ない
聞いてみなければ、
人の真意など分からないのです
 
 
 
思うのは、
「こうに違いない」の内容が、
その人の内面を反映しているということ
自分がそう考える部分を持っているから
他人に同じものを投影して、
自分に向かうと考える
 
自分の中にないものに、
人は気付けません
自分の内に悪意が育っていると、
他人の行動にも悪意が見えてくる
 
 
 
悪意も自分の感じること
それがあることで、
つらさを乗り越えられています
だから否定する必要はありません
 
否定は自分のこころにフタをすること
フタをしてもこころはなくならないから、
悪意は無差別な憎しみになってしまう
 
フタをしてもしなくても、
育ち過ぎた悪意は世界を染め上げます
自分が変わり、
世界も変わってしまう
 
 
 
それじゃどうしたら?
自分の中にある悪意を認めて、
適度な距離を学べばいいのです
適度な距離さえ学べば、
悪意は自分を助けてくれる悪意さんになる
 
どんな時に悪意さんは顔を出すのか
どんな時に声が大きくなるのか
それを知れば、
自分の気持ちを知ることに留めて、
悪意さんの好きにさせないことができる
 
悪意さんはお友達であって、
自分のマスターは自分
それが大切なんだって、
そう思います