自分を縛って何が楽しいのか

「~だからできない」
そんな鎖が多い人に会いました
楽じゃなさそうだな
そう思うけど、
本人はそれがいいのだから何も言いません

人を縛ることが出来るのは自分だけ
わたしはそう思います
出来ないと思っている鎖は外せないのか?
制限を取り払って考えると、
意外と風通しがよくなるもの
自分の経験で思います

 

まあここまではその人の問題
こちらに関わらないからいいんですが

こういう人は他人も鎖にかけようとします
自分で自分に課した制限、
言葉の感じ方や行動規範
いわゆるその人の常識は、
他人も従うべきものと考えてるからです

こうなると他人事ではなくなってきます
人は違うもので、
その常識も人によって違うのに
よく分からないその人の基準に、
つき合わされるんじゃたまりません

 

人と人の間には境界線があります
他人と自分は違う、
その認識のラインとでもいうものです
ここが明確な人は常識の強制はしません
人は違うと知っているからです

ここが曖昧な人は、
何かと人に干渉します
ああしろこうしろ
それはこうすべき
「それはあなたのため」なんてことまで言う

違いますよね
それは言ってる自分のため
決してこちらのためではありません

 

わたしも前はこんな感じで、
他との間に線を引けませんでした
そのおかげで痛い目にもあった
周りからNOを突きつけられて、
やっと分かりました

自分を制限しているのも、
狭い常識で縛っているのも、
他ならない自分です
それで自分は楽しいのか?
周りは楽しくなるのか?
そっちの方が大切なんじゃないかと思います

こういう人に関わるのもめんどくさい
ちょうどやることいっぱいなので、
しばらくはそちらを優先することにしました

決めたら少しすっきり
わたしを待ってることに向かって、
進んでいこうと思うのです

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