許せないなら忘れてしまえ

ずっと許さない
許せないことはそのままでいい
そんなお話を聞きました

自分のつらかったことを思い返すと、
許せない気持ちも分かります
でもわたしは別の道を選びました
許すとか許さないとか、
どうでもよくなる道

その気持ちについて考えてみました

 


いつ過去から卒業するのか?

許さないことは、
自分をつらい瞬間に縛り付けること
その時を反芻して、
自分を傷つけ続けることです

ハッキリ言ってしんどいです
けっこうエネルギー使いますからね
そこから力が生まれることもありますが

ある時思いました

いつまで相手に依存すれば気が済む?
許さず恨み続けることは、
「その人がいなければ力が出せない」
と言っているようなもの
自分はそんなに弱いの?って

 


許せなくていいけど

とは言え相手を許せるか?と考えると、
なかなか難しいものがありました
感じたつらさもまた事実だからです

わたしいじめられていたことがあります
つらかったです
毎日逃げたいと思ってましたが、
死ぬ勇気もなければ生きる勇気もない

そこには自分がありませんでした
だからかどうか分かりませんが
その頃の記憶はほとんどありません
残ったのは暗い怒りだけ
当然相手も許さなくていいと思ってましたが

つらいことは普段忘れていても、
思い出すと囚われます
許せなければ許せないほど集中してしまう

そうなると力を吸い取られます
力を振り向けたいことはいっぱいあるのに

怒りは一時的な起爆剤にはなっても、
結局は後戻り
一文の徳にもならない
なんとかしようと思いました

 


無関心がいちばんこたえる

いじめる人は関心がほしいんですよね
その歪んだ表現がいじめ

人にとってつらいのは、
完全に忘れ去られることです
忘れてしまえば、
世界にその人の居場所はなくなる

正直な話、
自分が楽しくなると相手なんてどうでもいい
考えもしません

別に相手を許さなくたって構いませんが
忘れることはできます
これを常態化すればいいわけです

好きも嫌いも関心があるってこと
無関心になって忘れよう
そう考えました

 


まとめ:忘れると新しいものがやってくる

忘れるとこころに余裕が生まれて、
新しいものがやってきます

今はいじめられたことを思い出しても、
こころが騒ぎません
いじめた人の居場所はわたしの人生にはない
どうでもよくなったのです

つらかったこと悲しかったことは、
そうだったよな、
よく耐えたなって思います

立ち向かう勇気はその時無かったけど
折れない自分がいたことは分かります

相手に依存し続けなきゃいけないほど、
自分は弱いのか?
しがみつき続けるほど大切なことなのか?
そうじゃないなら

忘れても構わないんじゃない?
力の使いどころはきっとそこじゃないから
そう思うのです

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