自分が出来ることは当たり前じゃない

人と自分は違うもの
自分の当たり前が、
他人にはすごく難しいこともある

みんなそれぞれに違って
出来ることと出来ないことがある
忘れたくないなって思います

 


何でこうしないの?
早くこうすればいいのに

そんな風に思うことがあります
たいがいはイライラを伴って、
眉間にシワを寄せながら

自分が当たり前だと思うことを、
何故だかしない人がいる
それが許せなくて、
自分の正しさを振りかざして

表立って言葉にしなくても、
表情は全てを物語っています
嘲るような目
煽るような態度
他人のそんな様子はイヤなものだけど
同じ自分に気付くことがあって
イヤだなって思います

 


相手を決めつけてイラついてる状態
ここには理解も関心もありません

よく知っていて関心のある人には、
どうしたんだろう?って気持ちが働きますね
出来ないことを責めることはないし、
自分と違うことも前提に考える
そこには相手への理解と関心があります

無理解と無関心の度が過ぎると、
相手が人であることを忘れてしまいます
こころが無くて、
それぞれの違いもない
自分の思い通りになる存在
人ではない『物』です

人を物にしてしまうと、
相手のこころは見えなくなります
こころのない物に気遣う人はいないでしょう
理不尽なことを押し付けたり、
こころを無視するような行動
これは相手が物だから出来ることです

 


最近目にするようになったヘルプマーク
目に見えない障害やつらさを抱える人が、
理解されることを願って作られたものですね

「他人の苦痛は分からないことがあるよ」
ヘルプマークは教えてくれます
目に見えないものは分かりません
こころの苦しみや悲しみも、
出来ること出来ないことも

人が物であったら、
見えないものは見えないまま
感じることもないでしょう
でも現実は違います
人は人
物ではないのだから、
見えないものも見えるはずです

 


自分が当たり前にしていることが、
難しい人もいる
みんな違う存在で、
出来ること出来ないことは違う

こころを無視して決め付けたりしたら、
悲しいのだから
身近な人のように考えるのは難しくても、
どんな人も物じゃない
見えないものだって見えるはず

忘れたくないなって
そう思うのです

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