かなってない願い事への気持ちの向け方

「こうなったら幸せだな」
そう思うことがあります
「こうなったら」と言っている時点で、
思い通りにはなっていないことですね

こういうとき
「自分のこと」か、
「他人と関わること」かで、
気持ちの向け方は少し違いますが
基本的な考え方は同じです

 


自分のこと

自分のことなら、
どのくらい気持ちが強いか?が、
かなうかどうかを決めます

何年後かの時点で、
自分はどうなっていたいか?
思い描けば描くほど、
これからやることは明確になります

時間×資源×自分のやる気
決めるのは自分で、
実行そのものに他人は関係ありません

 


他人とのこと

他人と関わる部分が大きい、
あるいは他人との関係そのものが対象だと、
不確定な要素が強くなります

自分にやれることは変わりません
相手の出方に関わらず精いっぱいやればいい
逆にそれ以外やれることはありません
他人は変えることができないからです

相手に働きかけても構いませんが、
聞いてくれるかは相手次第
気をもんでみたところで、
自分の気持ちが不安定になるだけ
精いっぱいの妨げになるだけです

 


忘れてしまえ

自分のことは思いの強さが決める
それは事実ですが
強過ぎる思いは、
バランスの取れた状態とは言えません

意識を向けるって凝視しているようなもの
それじゃ柔軟性はなくなるし、
(もしいるなら)
意識を向けられる人は疲れちゃうでしょ?

そんな理由から、
自分の意思をはっきりさせて、
精いっぱいやると決めたなら
あとは「こうなったら幸せだな」は、
テキトーに忘れてしまうのがいちばん
わたしはそう思っています

100パーセントじゃなくていい幸せは、
最初からゴールの形を決めてしまうと、
見えなくなってしまいます

きれいさっぱりじゃなくてもいいのです
意識に上らない時間を増やせばいい

幸せは行動の結果で目的じゃない
そのためには肩の力を抜いた方がいい
方向を定めて進んでいるのなら、
テキトーに忘れていい
そう思います

 


まとめ:肩の力を抜いていこう

自分でそんな風に考えていたら、
昨日受けたスピリチュアル系の講座でも、
似たお話が出てきました
願い事をしたら、
その後は忘れた方がいいと

スピリチュアルでは文脈も違いますが
凝視していても仕方がないんですよね

かなわないかなーと見つめ続けて、
目をそらすことも出来ないのではなく
適度にテキトーに
それが大切なんだって、
そう思うのです

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