「ねばならない」は要らない

「ねばならない」は他を排除する考え
そこに柔らかさはないから

自分の好きになれない考えにも、
他人の正しさを見いだせる
そんな柔軟さを忘れないこと
大切だと思います

 

 

逆の方向を向いてるなと思う人

わたしと逆の方向を向いているな
そう思う人に出会うことがあります

「何かにならなくていい、
人はそのままでいい」
わたしが思うのはこうです

違う方向を向いてるなと思うのは、
「これが出来たら認めるよ」という人です
現状は認めない
価値観にそったものなら許す
そういうことですね

役に立つことが重要視される社会です
お仕事の文脈だと、
サービスの質を保つために選ぶ部分もある

こういう人は、
今の社会では上手くやれる人です
ただそれで幸せなのかな?
そう思うことがあります

 


深く根付いてゆく言葉

普段から考えていることは、
その人の言動に影響を与えます
脳は主語を理解しないと言われますが、
ここでもそれは同じこと

発された言葉は、
同時に自分にも向かってくることになり
強力な暗示となって現実を変えてゆきます

「出来たら認める」ということは、
「出来なきゃ認めない」ってことでもあり

「出来たら認めてもらえる」
「出来なければ認めてもらえない」
という価値観が根付くことになります

 


過去の経験に思うこと

「働かざるもの食うべからず」
という言葉が示すように
これは根深く、
普遍的な一面があります

「困り事を解決してくれてありがとう」
これが仕事と報酬の関係ですから
何かが出来て認めてもらえて、
はじめて食べていけるのも事実です
人には承認欲求もありますから、
認めてもらえれば嬉しいのもまた事実です

そういう意味で、
これも正解の1つなんですが


「役に立たなければ居場所がない」
わたし自身も思っていたことがあります
その姿勢は周りにも向いていて、
相手を認めない言動になっていました

現状を否定してあるべき姿を提示する
「こうならなきゃ認めない」と言う
傲慢な話です

わたしがしていたのは、
否定と価値観の押し付けに過ぎません
自分のやっていることが正しいと、
上からものを見ていたのもあるでしょう

わたしは関わった人の可能性を、
摘み取っていたのです
相手が変わることはありませんでした

人は自分がしようと思ったことをします
だから相手が変わる可能性を示したいのなら
現状を認めるところから始めた方がいい
過去から学んだことです

この経験があるので、
「出来たら認める」という考えを、
わたしはあまり好きになれないのです

 


まとめ:「ねばならない」は要らない

まあこれもわたしが好きになれないだけで、
他の考えが間違いってことじゃありません

幸せなのかな?という問いも、
幸せのかたちが人それぞれと考えれば、
答えは出てしまいます

男性で生まれたけど胸の出ている身体
これがわたしの正解だったわけですが、
みんなの正解とは思いません
みんなが正解と言ったとしても、
わたしがなりたくない姿もある
それでいいのです

 

なんであれ思うのは
「ねばならない」は要らないということです

「できたら認める」
「できなくたって構わない」
どちらも
「そうじゃなきゃいけない」
となった時点で他の排除になってしまいます

自分の好きになれない考えにも、
「それもまた正しいのだ」と言える
自分の選ぶ答えがあるのはいいけど、
他人の選ぶ答えにも価値がある

そう思える柔軟さを忘れたくないな
そんなこと思うのです

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