人を結ぶのは弱さを知ることから

相手のこころは見えなくても、
自分との関連を見いだして、
気持ちに寄り添うことはできます
 
それは思いやりになって、
相手との関係の橋渡しをしてくれる
人を結ぶのは強さではなく、
弱さを知ることから始まるんじゃないかと思います
 
 
完璧な人はいません
完璧を目指す必要もありません
弱さはあって当たり前
それは悪いことじゃないです
 
むしろ人の弱さは、
そのまま強さでもあります
与えられたものをどう見るか?
これはその人次第です
 
 
わたしには苦手がいっぱいあります
例えば手放すこと苦手
だから捨てること苦手
物が多くなって大変になる
片付け苦手です(^_^;)
 
弱さを知る人は、
他人の弱さに寛容でいられます
自分だって出来ないから、
人に強く求めるのも「なんか違う」となる
わたしの場合、
片付け苦手な人には親近感みたいなもの覚えます笑
 
弱さを持つことは、
時に辛さだってあるでしょう
その辛さを知れば、
他人の弱さを軽く見ることもありません
 
理解してもらえるのって、
すごく安心するんですよね
逆に「こんなことも出来ないの?」みたいに言われるのは、
すごく辛いものです
 
誰にでもある弱さ
弱さはそれぞれ違っても、
そこに感じるやりにくさは同じ
 
相手のこころって、
道に気付けば意外と近い
そんな風に思うのです
 
 

敗北宣言なんかするな

嫉妬にかられて行動することは、
敗北宣言でしかありません
人としての魅力も下がる一方
つまらないから止めましょう
 
 
嫉妬する側は、
持っていないと感じること全てを特別視してしまいます
より以上の価値を置いて、
自分で距離を遠くしてしまう
 
嫉妬される側からすると、
今あることは特別ではありません
それがどんな経緯で手元にあるとしても、
それ以上ではない
だから気兼ねなく行動できるし、
周りも気兼ねなく応えられる
 
特別でないから、
最初から勝負にすらなりません
だから嫉妬は敗北宣言
向けた時点で負けを認めているようなもの
 
持つ者と持たない者
違いは決定的ですが、
その違いを作っているのは敗北者自身
さらに嫉妬は人を醜くして、
魅力も下がる一方
皮肉なものです
 
人が輝くのは、
自由な自分の表現をしているときです
 
ないものに目を向けるのは止めましょう
手元にあるものこそが、
他には持ち得ないもの
 
自分を花開かせましょう
壁を作って自分の輝きを遮ることは、
何の役にもたちません
 
必要なのは、
あなただけの輝きを届けることなのです
 

 

 

人に何か言いたくなったら

誰かにひとこと言いたくなることは、
自分の囚われを教えてくれます
 
気にも留めないことは、
何を見ても気にならないもの
気になるということは、
そこに価値を置く自分がいる、
そうできないことに恐怖する自分がいる、
ということです
 
他人に何かを求める人は、
自分への要求も高くなります
これは成果にも結び付きますが、
あまり楽しそうには見えません
 
そうでなければならない
そうでなければ価値がない
そう思っているのは自分です
社会が求めてるとか、
モラルがどうとか、
それは理由付けに過ぎません
 
価値観の違う他人が、
言うことを聞かないといけない理由
ないんですよね
 
例えば昨日の覚悟のお話
わたしの囚われだと思います
別に覚悟なんてなくてもいい
その人がそれでいいのなら
わたしがイヤなだけなんですよね
 
 
他人に文句を言いたくなったら、
その時の自分のこころを見つめてみましょう
「こうでなければ価値がない」
そんな囚われのあることが、
見えてくるはずです

お試しの覚悟なんてしなければいいのに

「戻れるからいい」
始めからそんな風に考えてたら、
何やっても上手くいかないんじゃないか?
そう思います
 
 
二度と帰らないくらいの覚悟もない、
ポーズを捨てきれない人
かっこ悪いのがイヤな人
投げ出すだろうなって、
感じちゃいます
 
もちろん人生何度でもやり直しできます
何一つ無駄なこともありません
自分を翻す勇気があるなら、
どんな選択だってできる
 
自分を翻せば、
笑われるでしょう
それでも、
たとえ笑われようが選べるのって、
かっこ悪くても自分を受け入れる覚悟があるから
自分の選択を大切にするからだと思うのです
 
生きるのって、
かっこ悪いものだと思うんです
上手くいかないこともあるし、
間違うこともある
かっこ悪いの、
そんなにいやですか?
 今のままじゃ、
進むも退くも中途半端じゃありませんか?
 
やり直しにもエネルギーは使います
始めから中途半端な覚悟なんて、
力を分散してるようなもの
 
しない方が、
マシじゃありませんか?
 
 

してくれないことを数えるのではなく

その人が自由な表現で、
自発的にしてくれたこと
それは何よりも嬉しいことです
欠けたこころを埋めるために相手を利用するのではなく、
してくれたことを大切にしましょう
 
 
他人は自分とは違うものです
感じることも違えば、
表現も違う
だから他人が思い通りになることは、
基本的にはない
 
そんなの当たり前
分かっているつもりでも、
こころの距離の近い人には、
わがままをぶつけてしまいがちです
 
相手が自分の思うようにしてくれなくても、
自分を大切にしていないことにはなりません
その人なりに、
自分を大切にしているのかもしれない
「欲しい」にばかり目を向けていると、
思いやりは見えなくなります
 
相手を枠にはめて、
その人の自由な表現を否定したいのなら、
してくれなかったことを数えればいい
してくれなかったことなんて、
無限に出てきます
相手は死んでしまうか、
生きるためにあなたの元を去るでしょう
 
本当にしたいことは何ですか?
望むのが相手の自由、
幸せにあるのなら
 
自分にしてくれたことを数えましょう
その人が思いやりで、
あなたに示してくれたこころ
それが一番大切だと思うのです
 
 

水のように柔らかく強く

通り過ぎてみれば、
辛い経験も未来の幸せに必要だったこと
そう分かるものです
 
人生に無駄はありません
相手にあわせて姿を変える水のように、
柔らかく今を見つめる
それが強さなのだと思います
 
 
人は水の巡りに似ています
ぶつかって音をたてて流れ、
ときに離れ、
また合わさって、
高らかに歌いながら下ってゆく
凍りつくこともあれば、
雲にもなり、
雨になって他を潤しもする
 
水には自分がどこへ向かうのか、
選ぶことは出来ません
流れが変わるときも、
どこへ流れるのか分かることはないし、
逆らうことは難しい
 
わたしたちが水と違うのは、
感じるこころを持つことです
その時々で思うことがあって、
流れに乗ることができる
 
ただ流されるのでは、
人生を明け渡しているようなものです
泣いてもいいし、
膝をついてもいい
必要なら、
立ち止まってもいい
でもあきらめてしまうには、
あなたの人生はあまりにももったいない
 
水は弱いようで、
柔軟に姿を変えます
時間をかけて石に穴を穿つこともあれば、
岩を砕くことだってある
 
水のように柔らかく強く
そんなのも、
素敵だと思うのです
 
 
 

ていねいに生きて自分を好きになろう

ていねいに積み重ねられたものは、
容易には崩れません
ゆっくりと積み上げたあなた自身
目立たなくたって全然構わない
大切なのは、
それをどうしたいか知ること

その先にあるのは、
好きな自分でいられる幸せだと思うのです

華やかでも、
変化に富んでいるわけでもない、
日々の繰り返し
誰の目に止まるわけでもない、
たくさんのこと

どんな風に食べて、
どんな風に眠って、
どんな風に愛するか

これは人によって違います
大切にする順番も、
そこにかける手間も違う

変わらないことは、
それぞれが礎になって、
わたしたちを支えているということ
わたしたちは、
わたしたちのやり方なりの、
人生のベテランなのです

無駄のない動きは、
積み重ねから生まれます

身体やこころに刷り込まれた、
流れるような連なり
これはたくさんの時間、
無心の繰り返しで生まれたもの
誰かがマネしようったって、
簡単にはいかないものです

今の自分、
好きですか?

その思いは積み重ねに反映して、
あなたを作っていきます
ていねいに過ごす毎日は、
自分の好きな自分を作ってくれるのもの

簡単なことから、
ていねいに
これから、
どうなっていきたいでしょう?