たとえ見えなくても、何が好きかは自分で見極めていこう

この世界、
見えることよりも、
見えないことの方が多いですね
見えることと見えないこと
どんな風に考えるのが好きですか?
 
 
見えないことを理由に、
否定される事柄は多いです
現代は神々が死んで、
悪魔は去った時代
死者たちも時の彼方
忘れられる存在です
 
 
でも見えないからと言って、
存在しないことにはなりません
気付いてないけど存在するもの
見えないけど存在を疑わないもの
いっぱいあります
 
ひとのこころ
真昼の星
流れていく時間
 
 
研究に関わって教えてもらったのは、
「根拠のないことは検証する」
ということでした
この考え方でいくと、
検証しようのない事柄は、
未だ考えるに値しないもの
判断の下しようがなくて、
保留されます
 
現代の科学で証明できることと、
できないことがあるけど、
証明できないからと言って、
存在しないとは言えません
これから科学が進歩して、
霊魂や神が理論的に説明されるかもしれない
 
否定するにせよ、
肯定するにせよ
自分の根拠をもって、
可能な限り客観的に判断する
これが研究する人の姿勢なんだそうです
 
この姿勢、
普通の生活でもすごく大切だって思います
誰かの意見に左右されたり、
人に操られるのは、
この姿勢を忘れたときだからです
 
発言には意図が隠れています
大切な自分
この世で一番大切な自分を
他人任せにするのはもったいない
 
自分はどう思うのか?
少し立ち止まって考えるのも、
面白いものです
好きか嫌いかも、
きっと見えてくると思います
 
 

寂しさに立ち止まったら

寂しさは、
完全でない気持ち
認めてほしい、
愛してほしい、
必要とされたい
そんな気持ち
 
感じることは、
自分の内奥からの声です
寂しさが伝えるのは、
存在価値を感じたい気持ちでしょう
 
でも考えてみると、
これを他人から満たしてもらうのは、
とっても難しい
 
人はそれぞれ価値観があって、
同じではない存在です
その価値観全てを後ろに置いて、
自分を見つめることを求めても、
相手にも同じ気持ちがあるのですから
 
 
人は孤独だから、
寂しさから逃れるのは難しいですね
 
拒まれれば寂しくなる
わざわざ幸せを壊すことを選んだり
お酒や遊び、
買い物やギャンブル
いろんなやり方で満たそうとする
かと思えば、
ぜんぜん気にならなかったりすることもある
 
結局のところ、
寂しさの種を作っているのは自分です
だから寂しさを何かで埋めてみても、
決して長続きしません
それどころか、
ますます寂しさがつのってしまう
 
寂しさは自分だけのもの
本当に埋めることができるのは、
自分だけです
だからまず、
自分で自分を満たしてみませんか?
 
 
認められていない?
愛されていない?
必要とされていない?
あなたの価値は、
そこにいることにあります
 
あなたはそのままでおっけー
何かにならなくていい
 
誰に何を言われようと、
幸せは自分で決めていい
 
つらいことはつらい
悲しいことは悲しい
ムリはしなくていい
 
 
こんな風に自分を認めてあげると、
嬉しいことや楽しいことが帰ってきます
 
何かになろうとして、
感じることを抑えていると、
ものすごく緊張するのです
こころも身体もガチガチにこわばっちゃう
でも気持ちを素直に感じて、
自然におもてに出せるようになると、
気持ちがゆるみます
 
お茶でも飲んで、
ひと息ついてみませんか?
寂しさも緩んで、
少しずつほどけていくと思うのです

いろんなことを通して本物も磨かれていく

いろんな出来事、
いろんな人に触れることで、
本物への思いは磨かれていきます
自分にとって価値があるのは何か
それを突き詰めていくのは、
簡単ではないかもしれません
 
何かが在るのは特別なことです
物でも人でも、
そこに存り続けなければならない理由はない
粗末に考えたなら、
縁が枯れて、
本当に消えてしまうことだってある
 
「自分にとってどんな縁か?」
「自分はどうしたいのか?」
これを知るのは大切なことです
 
失ったら心は痛むのか、
痛まないのか
失って世界が崩れてしまうような縁なら、
大切にしなければなりません
 
いつも陽が照っている訳じゃないでしょう
冬が来て、
草木が枯れたように見えることもあります
それでもどうしたいかを見失わなければ、
大地の下では力が育まれます
 
寒さに耐えた命が春花開くように、
痛みを耐えた縁は強くなります
磨かれた本物は、
ますますその輝きを増すでしょう
 
 
 

分かっているならやってみよう

分かっているけどやってないこと
手をつけずそのままにしてること
やっていないのでは、
分かっていないのと同じです
どこかで区切りをつけて、
動いてみませんか?
 
 
少し印象の変わったお友達
気持ちのいい変わり方だったから、
いろいろ聞いてみたら
「意識して切り替えたことがある」
そう教えてくれました
 
意識して自分に小さな変化を入れる
自分にも周りにも、
最初は特別な変化
それが時間とともに当たり前になって、
新しい自分になる
普段無意識でやっていることを、
意識してコントロールしたんですね
 
その変化が面白くて、
また新しい変化を入れる
大きな変化はしんどいから、
ちょっとしたことだけど
その積み重ねが、
印象の違いにまでなったのでしょう
 
 
分かっていて手をつけてないことは、
分かってないのと何も変わらない
自分を振り返ってみて、
そう気付きました
同じ時間を過ごしても、
結果の違いを見れば一目瞭然ですよね
 
どんなに小さな変化でも、
やってみれば風を呼び込みます
それは自分を変えて、
世界が変わっていく
 
動かなければ変わらない
口でいくら「分かっている」と言っても、
何も変わらない未来
それはつまらないなーと思うのです
 
わたしは1つ、
決めたことがあります
少しのことで自分がどこまで変わるか
ちょっと楽しみにして、
やってみることにします

気持ちが晴れないときは

感情の起伏は、
こころが元気だから楽しめるものです
疲れているときは、
楽しいこともしんどい
 
そんなときは力を抜いていいの
ゆっくり休むのも、
大切なのです
 
 
ただただ疲れちゃったのか
悲しいことがあったのか
心配ごとがあるのか
 
生きていれば、
上手くいかないことありますね
周りだって、
いつも穏やかとは限らない
 
気持ちの晴れない自分を、
否定的に考える必要はありません
無理に変える必要もないし、
早く元気に~なんてあわてることもない
 
たぶんあなたは頑張りすぎ
周りに気を使って、
それが当たり前だと思われて
歩くの嫌になったんじゃないですか?
 
疲れてるときは、
感情もコントロールしにくくなります
鈍くなるときもあれば、
急に鋭くなるときもある
 
感情は暴れると手がつけられないものです
こころが疲れたときは、
手綱を掴む力も弱まるから
 
外に乗り出すのは、
元気になってからで構わないんです
ずっと耐えるのって大変だったでしょ?
もう頑張らなくていいから
 
ゆっくりしてくださいね
 
 
 

 

 

家族ってむずかしい

血のつながりは強くて、
知らず相手に期待してしまいます
でも家族にだって気持ちがある
他人と同じように傷ついたりする
これは忘れちゃいけないのだと思います
 
 
いつも「正しさ」がこころにある人は、
それを守るために間違いを求めます
世界は白と黒
相手の言葉は反論になって、
自分が否定されたことになる
だから正しさを主張して、
気が付くとけんか腰
以前のわたしがそうでした
たぶん父も
 
父から見るとわたしは間違いだらけなんでしょう
「45で確固たる考えなんてあってたまるか」だそうで(^_^;)
普段機会もないから、
話しておきたいのもあるんでしょうね
 
よくここにも書きますが、
わたし60程度までしか生きないと思ってます
薬入れて身体に負担かけてるから、
60より生きたらオマケの人生
 
今45だからあと15年
自分が死ぬとき後悔する選択はしない
だからしんどくても帰るんだけど
やっぱりつらいもんはつらいです
 
でも考えてみると、
父も傷ついてるんでしょう
いつもわたしは「いい子」だったけど、
今は自分の考えをはっきり言いますし
あんまり父の話を、
ちゃんと聴いていないかもしれません
 
明日はお仕事だから、
これから田舎を離れるのに
なんだか胃が痛いこどもの日です笑
 
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母と話して思うこと

GWで家に帰っています
2月末にカミングアウトしてから、
母とは特に話してなかったけど、
何が変わったわけでもありません
普通に話して、
普通に過ごしてます
 
わたしひとり怖がっていただけで、
自分のことを話すのは、
本当はそんなに難しくなかったのかもしれません
話した後だから言えることだし、
これからだってどうなるか、
ぜんぜん分からないけど
 
 
すごく気持ちは楽です
よく考えてみれば、
普段から自分のことを話すなんて、
そんなにあることじゃないし
一番気にしているのは当事者自身
わたしも例外じゃなかったと(^ ^;)
 
踏み出してみなければ、
何も変わらない
踏み出して変化があったなら、
そこから考えればいい
 
わたしは母に話して、
良かったなと思っています