違いはあって当たり前だから

表面的なことに目を瞑っても、
人には絶対的な違いがあります
 
分からないのは当たり前
それでもなお、
人は違いをこえて、
相手を分かろうとすることができる
 
大切なのは諦めないこと、
分かろうとする姿勢を捨てないこと
それをお友達から教えてもらいました
 
 
 
昨日お友達と飲みに行きました
わたしよりも女性寄り
好みも違うお方
 
お互いの近況について話すうち、
けっこう長くお友達でいるのに、
今まで自分たちの価値観について、
あまり話したことがないのに気付きました
 
 
 
性的マイノリティ以外の目から見ると、
LGBTは似たり寄ったりに見えるんでしょうか
いわゆるマジョリティな人と同じで、
マイノリティもみんな違います
 
同性愛(LG)、両性愛(B)の視点は
「どんな人を好きになるか」
「自分の性別をどんな風に捉えるか」
LGBTでもそれぞれ違うし、
同じトランスジェンダーの中でも、
いろんな人がいる
 
わたしは . . .
男性で生まれて、
今の性別は男女どちらでもなく感じている人
好きになるのは女性
身体や服装表現は中性的
どちらかと言えば周縁にいるタイプです
 
違いを無視して「分かる」と言われたり、
価値観を押し付けてきたり
そんなのにはウンザリしてたから、
わたしは他人を諦めてたのかもしれません
それはこのトランスのお友達に対しても同じでした
 
 
 
でもこのお友達、
諦めない気持ちの強い人みたい
だからわたしみたいな跳ねっ返りのお友達も務まるんでしょうね
 
話してみると、
違いの中から共通点も見えてくる
そこから価値観を分かろうとしてくれてる
分かるはずもないと思ってたのに、
とても嬉しく感じている自分がいました
 
 
 
違いの中にこそ、
互いを尊重する種があります
 
このお友達には何度も助けられてるけど、
これからもそれは変わらないのかな
 
そんなことを感じた土曜日でした
 
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好きに理由なんて要らんのよ

『好き』に理由は要りません
思考のフィルターを捨てると、
感じることは鮮やかになるから
理由探しを止めると、
好きなこともハッキリします
 
大切なのは考えより気持ち
あることで感じる喜び、
失うことで感じる悲しみは?
 
好きなことって、
シンプルでいいのだと思います
 
 
 
好きなこと
前は理由を探していました
「ここが好き」とかなんとか
そんなことの有る無しが、
こころの強さを決めると思ってた
 
人に説明するときも、
理由があれば便利です
簡単に良さを説明できるから、
自分の「正しさ」も伝えやすい
 
 
 
だけどここ数年でしょうか
感じることと考えのズレ、
そんなものに気付きました
 
理由のないことの方が強い
「~があるから好き」じゃない
ただ好きだから好き
 
もーこうなっちゃうと、
理由では太刀打ちできません
考えてみれば当たり前のお話です
理由が無ければ好きでいられない?
つまらん話ですよね
 
誰かから見て「正しい」かどうかにも、
興味はなくなりました
全ては自分の人生の選択
他人に口出しされるいわれもありません
 
 
 
余計な思考を捨てて、
感じることを研ぎ澄ます
感じることにつながれるのなら
 
好きに理由なんて要らない
そう思うのです
 

支えられてるのは自分だけじゃない

ただそこにいるだけで、
人は誰かを支えています
それは「なれたらいい」のではなく、
もう現実にそうであること
 
気付かないことも多いけど
誰もがその存在だけで、
他の誰かを肯定している
 
わたしはそう思います
 
 
 
人と人は、
影響を与えあって生きています
誰かと誰かが関わるとき、
その影響は双方に表れる
 
他の存在を支えと感じた人は、
ただ相手がいてくれたことに感謝しますね
ただそこにいて、
誰かとともにあること
それは存在そのものの肯定に他なりません
存在を肯定されたと気付く時、
人は大きな喜びを感じます
 
同時に、
支えられた人の笑顔は、
相手を無条件に肯定します
そこにいることで力をあげているのは、
支えた人だけではないのです
支えてもらったと感じている人も、
同じものを返している
 
 
 
ここにあるのは、
『助ける側』と『助けられる側』じゃないですよね
どちらも相手の存在に救われ、
同時に相手を救ってもいる
 
人生は虚ろなものではないのです
さざ波が広がるように、
存在は静かに肯定して、
誰かを支えている
 
だから何があっても大丈夫
自分を否定したりしないで、
ただそこにいてくれれば
それが何よりも嬉しいこと
 
そう思うのです
 
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逃げ道を残すか、逃げない覚悟をするか

何かに関わるということは、
影響が大きくなることです
面倒や、
時にはダメージを受ける可能性が増える
 
身を守るために逃げ道を残すか
逃げない覚悟を持つか
選択は結果を大きく左右するから
 
いつまでも迷わないで、
ちゃんと自分の選択をする
それが大切なんだって思います
 
 
 
逃げ道があること
大切ですね
追い込まれて選択肢が消えるのは、
恐ろしいこと
余裕がないと、
判断を誤ることもある
 
「適度に距離を置く」ことで、
ノイズは減らすことができます
身を守る余地を残そうとするなら、
意味のある選択でしょう
 
 
 
反対に、
関わり続ける気持ちや、
逃げない覚悟を持つことは、
姿勢の違いになって表れます
 
環境をよりよくしようとして、
本気で考えたり
人との関わりを諦めなかったり
挑戦を続けていく姿勢
 
もちろんここには、
逃げ道を残すことと反対の性質があります
追い込まれて選択肢がなくなる
余裕を無くす
視野が狭くなって判断を誤る
そんな可能性が出てくる
 
 
 
困っちゃうのは、
どっちつかずな人
中途半端な場所にいて、
ハッキリしない
いつまでもグズグズしてる人
 
自由って言えば聞こえはいいけど
主体性がないから、
そこにいるだけになる
何がしたいんだ?って思ってしまう
 
猶予期間はあってもいいけど、
あんまり長いのも考え物です
「決められない人」になっちゃったら、
誰からも求められなくなる
それはマズいと思うのです
 
 
 
正しさは人の数だけあるから、
逃げ道を残しておくことも、
逃げずに傷つく覚悟をすることも
尊い選択です
ここで選択を迷い続けることは、
誰にとってもよい結果にはつながりません
 
自分の選択が自分の人生を作るのだから
 
いつまでも迷わないで決める
それが大切なんだって
 
そう思います
 

花開くお互いでいよう

大切にされなければ枯れ、
慈しみを受ければ花開く
どんな人も、
影響を与えあって生きています
 
個々の関係と、
より大きな環境と
人がよく生きるために
環境は無視できない、
大切なことなのです
 
 
 
人はみんな違います
生かしあえる関係もあれば、
阻害しあう関係もある
 
生かしあう関係は、
無理なく与えあいます
こころの境がはっきりしていて、
相手に依存しない
何かしてもらうのは、
嬉しいこと
 
阻害しあう関係は、
消耗して奪われていきます
境がはっきりしなくて依存する
「ここまでして当たり前」があるから、
そこに満たなければ全て失格
当然がっかりしてばかり
 
人と人の関係は、
双方に影響を与えます
生かしあえる人は花開く力になり、
阻害する人は萎れさせる
 
 
 
そんな個々の関係が集まって、
環境は形作られています
 
環境に順応するのは、
生きる上で大切なことですよね
でも感じることを無視して順応し過ぎるのは、
やはりよいこととは言えません
 
なんでも文句言えばいいとも思いませんよ
阻害しあう関係は、
自分が作っている側面だってある
相手への期待
何かして当たり前という感覚
そんなものがあるなら、
環境は思いを反映したものになる
 
でもどんなにやってみても、
条件を変えても結果が変わらないなら、
そこには大きな溝があるはずです
 
 
 
置かれた環境で咲けるのなら、
それは素晴らしいと思います
居場所探しは、
どこまでいっても終わりませんから
 
全ての環境が、
全ての人にとって平等ならそれもいいけど
現実はそうではありません
大きな目で見て自分が死に向かうなら、
それはいちゃいけないんじゃないかって
 
そう思うのです

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ただそこにいるだけで

そこにいてあげること
ただそれだけで、
人は力になることができます
 
手出しも口出しも要らない
ただ見ていてあげればいい
解決する力を信じて、
そこにいてくれる人
その存在は、
どこまでも力をくれるのですから
 
 
 
 
解決に向けて動きたくなったり、
説教したくなったり
替わりにやってあげたくなったり
 
人はおせっかいな生き物です
自分ができると思うと、
何かしたくなる
他者から頼られたい
肯定を求める気持ちもあるでしょうか
 
できる人がやれば早い
それは分かります
できないことを人に頼るのも大切なこと
人は1人では生きられませんから、
それもいいと思います
 
でも自分で生きる力だって、
同じように大切なもの
そう考えると、
いつまでもそのままにはできません
 
 
 
周りにいた人からすると、
心配もあるでしょう
危なっかしく見えることも、
少なくない
 
でも解決する力があると信じるなら、
必要になるまで手も口も出さず、
そばで見てあげればいいのです
 
話を聴いて、
相手の感じたことを自分も想像して、
ただそこにいる
そんな人のいることは、
すごく大きな力をくれます
今まで怖かったことに、
立ち向かう勇気にもなる
 
 
 
本当に必要なこと
それはきっと、
相手を信じて待つことなんじゃないか
 
そう思うのです
 
 
 

大切なものだけに囲まれて生きたいなら

選ばないことのひとつひとつが、
選んだ道をより輝かせてくれます
大切なものだけに囲まれて生きたいなら
 
選ばないこと、
とっても大切なのです
 
 
 
20くらいの頃、
手の届くものは何でも掴もうとしていました
それで分かったのは、
どんなに望んでも掴めないものはある
多く掴みすぎれば大切なものを見失う
そんなことでした
 
 
 
ある程度経験を積んで思うのは、
選ばないことの大切さです
 
1つ選ばないことを決めることで、
選んだものはより輝くようになる
本当に大切なものが見えてきて、
欲しくないのに飢餓感で掴むことがなくなる
 
気持ちってこうすることで、
どんどん強くなります
必要なものがはっきりすると、
掴むものはもっともっと少なくなる
 
 
 
人生をシンプルにするって、
こんなことかなって思います
何でもあることじゃなくて、
本当に大切なものだけに囲まれていること
その方が幸せじゃないかって
 
捨てるの苦手で、
そのくせ要らないものまで欲しくなるけど
選ばないこと、
掴まないことを知るのは大切
 
わたしはそう思うのです

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