今に集中して生きよう

自分の今を生きていないと、
余計なことに気が向きます
過去は過ぎ去ったもので、
今を支配することはできません
未来は未だ来たらず
何とでもなるものです
 
今に集中することは、
何よりも自分を豊かにしてくれる
そう思います
 
 
 
 
過去にばかり目を向けていると、
足りないものを数え始める
未来にばかり目を向けると、
今やるべきことが疎かになる
そんな気がしています
 
過去も未来も、
今とつながっています
だから無視することは出来ないけど、
今を面白くもしてくれません
目の前のことを楽しくするのは、
いつでも今に集中して、
今を生きることから始まります
 
過去が良かったとしても、
そうでなかったとしても
今自分がどうするかは今決められます
 
進みたい未来は羅針盤になるけど、
そこだけ見ていたら道を見失います
未だ来ないことは、
目の前のニンジンであればいい
 
過去や未来に目を奪われている間も、
同じだけ時間は過ぎて行く
ちょっともったいないと思うのです
少しの時間でも、
積み重なればいろんなことが叶うから
 
 
 
膝を着く時間があってもいい
立ち止まってもいい
嘆きはこころの平安に欠かせないし、
立ち止まるための時間も人生には必要
 
でもそこは、
骨を埋める場所じゃないと思います
嘆きに立ち上がれない幕切れ
きっと誰も望みはしないでしょう
 
 
 
今を大切にする
言うほど簡単でもないけど
今がつまらないのは、
自分がつまらない人だから
そんな風に言われるのもシャクなお話
 
同じ時間生きるのなら、
今に集中して今を楽しくする
そんな積み重ねが幸せを呼んでくれるんじゃないかって、
そう思うのです
 
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斧から針を作る?

弱さがあるのは仕方のないこと
大切なのは、
自分の弱さを知ってなお、
その弱さに負けて逃げないようにすること
 
斧から針を作るには時間がかかりそうだけど
きっと出来上がった針は何よりも輝きます
言葉のように一歩ずつ、
自分を諦めずに進んで行く
そう思っています
 
 
 
しばらく前の朝活で、
参加したお仲間から名刺をいただきました
裏には四字熟語
これは一枚ずつ違って、
わたしの手元のものには『磨斧作針』とありました
 
磨斧作針
斧を磨いて針を作ろうとしていた女性の故事から、
「諦めずに取り組み続ければ難事も叶う」
そんな意味とのこと
今のわたしを言い当てられたみたいで、
ちょっとびっくりしました
 
 
 
人に寄り添える存在になる
わたしにはそんな目標があります
 
いちばんの敵は自分の中の弱さ
「いつか人は自分を置いて行ってしまう』
小さい頃からそんな囚われがあるのです
 
こころが弱ったときに顔を出し、
わたしと周りを引き離す
つらくなればなるほど、
距離をとって独りになる
きっとそうやって、
自分を守ってきたんでしょうけど
それじゃ寄り添うなんてムリな話
 
寄り添うのって、
何があってもそこにいることですよね
安心をあげるには、
揺れない存在でなきゃいけない
 
自分が弱さに飲み込まれそうになる度、
あーまだまだだなって思います
 
 
 
斧から針を作ろうとしている女性を見て、
李白(弘法大師ってお話もアリ)は自分の道に立ち戻る決心をしたそうです
 
諦めたらそこで終わり
諦めなければ、
全ての出来事は過程の1つ
つらいことは乗り越えた力に、
嬉しいことは自分を支える力になります
 
斧からでも針は作れる
自分を諦めずに進もう
そう思うのです
 

気の合う人と楽しむのがいちばん!

人はリズムが違うもの

だけどそれを忘れることもある

気兼ねなく楽しみたい時は、
気を使う要素は減らしておきたいですね
気の合うお友達がいること
すごく幸せなんだって思います

 

 

お友達とインド料理屋さんに行って、
ワイワイと楽しんできました

わたしは食べるのも飲むのも、
どちらも好きな人です
どっちが欠けても物足りない
コストパフォーマンスは良くないかも笑

前に飲むだけで満足出来るお友達と飲みに行って、
わたし1人浮いちゃったことがあります
「まだ食べるの?」
呆れたように言われて、
すごく居心地が悪かった
もちろんこんな人ばかりじゃないけど、
一緒に楽しむ人は、
好みの近い人がいいなって思います

一緒になった人たちは、
食べるのが大好きな人たちでした
みんなそんなに食べるの?ってくらいスリム

でもそういう人って、
リズムをしっかり保ってる
食べるときと食べないとき、
自分をコントロールしてるから、
きれいを保てるんでしょう
わたしも負けないように食べてきましたよ笑

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タンドーリチキンミックス

緑色のはミントのソースf:id:ichapy:20171021234802j:image

タンドーリベジ

野菜が甘い!

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キーマクルチャ

チーズと挽き肉のピザみたいなのf:id:ichapy:20171021234848j:image

手前から牡蠣のカレー、鯖カレー、バターチキンカレー、ほうれん草とチーズのカレー
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デザートのミルクアイス

食べて食べて、
気持ちもお腹も幸せいっぱい
楽しい時間と美味しいもの
気の合うお友達が揃うと最強だなって思いました
 

 

お店はここ
https://s.tabelog.com/tokyo/A1313/A131303/13128960/

本当に美味しかった!

いい人止めちゃうのもアリ

(承前)
がんばらないと決めたことで、
『いい人』であろうとすることも、
今は適当に止めています
 
 
 
会社とプライベートでは、
求められるものが少し違います
プライベートはその人がその人であることで
会社では役割を果たすことで
それぞれつながってる
 
会社もあんまり事務的だと、
ギスギスしちゃいます
だから周りのこころのケアも仕事のうち
カバーできることはカバーして
そう思ってやってきたけど
 
そんなこと考えないで、
こちらに踏み込んでくる人いるんですよね
許していると、
どこまででも要求してくる
他に担当者のいることまで押し付けて、
「お前が出来ないのが悪い」で片付けようとする
 
改善の提案とか、
仕組みの弱さをどうするか?とか、
そんなことなら歓迎です
大きな会社ではありませんから、
部署なんてあってないようなもの
でもこういう人って、
そんな形で考えないみたい
 
いい人でいようとすることは、
都合のいい人にされるだけ
経験で分かってはいたけど、
どこも変わらないなって思いました
 
 
 
周りからすれば、
わたしの変化は不可解かもしれません
でも『いい人』を止めてみて、
認められるために、
必要以上にがんばってたことに気付きました
 
会社では、
役割を果たすことで居場所ができます
自分の手をどこまで広げるか
周りを助けるのはいいけれど、
本来の仕事が疎かになったら意味がないし、
利用されちゃっても面白くない
 
線引きをしっかりすれば、
やるべき仕事はハッキリします
出来ないことを出来ないと言える人の方が、
信頼もされるでしょう
 
いい人
どこまでが適当なのかなって、
考えちゃってます
 
 

がんばらなくていいのは楽だ

がんばらないでいい
そんな風に言われる人は、
がんばるのが習い性の人でしょう
 
普段がんばっちゃう人は、
思うよりもっともっと、
がんばらない、
役に立たない自分を過ごすといいのかも
そう思います
 
 
 
お医者さんに、
「がんばらないで休め」って言われて
少しがんばらない毎日を過ごしています
そうしてみて改めて、
「がんばっちゃってた」自分に気付きました
 
わたしには小さい頃から、
役に立つことが人の価値、
そんな風に考える部分がありました
 
役に立たない自分は価値がない
他人の気持ちに反すると拒絶される
そう思ってしまうから、
気が付くとがんばってる
気に入られるように行動してしまう
 
こんな考えの無意味さに気付いたけど、
まだ払拭しきれていなかったのでしょう
知らずがんばってたみたい
 
 
 
正直そんな部分が強く出てくると、
大切な人ほど怖くなります
無価値な自分をさらして失うのが怖いから、
近付くことも、
助けを求めることもできない
めんどくさいですね笑
 
今まで弱みは見せられなかったけど、
思い切って大切な人に甘えてみました
ただ毎日の他愛のない話をする
その日思ったことや感じたことを話す
それだけのことで、
驚くほど気持ちが楽になりました
 
役に立たなくても拒否されない
存在が許される
それが大きな安心感になることが、
分かってきました
 
 
 
自分の存在価値を信じられず、
役に立とうと躍起になる
その影にはいつも不安がありました
 
見捨てられる不安
その不安はわたしを突き動かす原動力にもなっていたけど、
何をしても治まることはありません
存在証明を続けなきゃいけなくて、
こころが休まらないからです
 
 
 
大切な人に何でもない話をしたり、
8割くらいでいいやって思ったり
まだ不安にかられることはあるけど
 
がんばらないでいい
役に立たなくていい
今まで思ってたのよりもずっとずっと
そう思うととっても楽で
 
がんばらないことの意味
少し感じています

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慣れでフタしちゃうと大変だ

慣れることで、
人は面倒な判断をショートカットします
楽になることも多いけど、
自分に跳ね返ることもある
 
慣れたつもりで、
気持ちにフタをしていないか?
たまに自分を振り返るのも大切なこと
そう思います
 
 
 
どちらかと言うと、
わたしは定住型です
順応性が高くて慣れるのが早い
 
でも順応性の高さは、
不満足にも慣れやすい
そんな困った側面もあります
会社の先輩に、
「お前そこ慣れちゃってどうする」
ってよく言われたの、
思い出します
 
慣れることで、
ストレスは意識に上りにくくなります
それは一見悪くないことのようだけど
内圧が完全になくなる訳じゃないんですよね
 
この状態は、
こころにフタをしてるだけ
自分を追い込みすぎて調子を崩した経験で、
そのことが分かりました
 
 
 
ストレスを『無いこと』にしてでも、
一時的に楽にしなきゃいけない
そんなことも確かにあります
四六時中重圧と戦ってたら、
人は壊れちゃいますから
 
その状態にあると、
押し込めた重圧のダメージは見えません
でもボディブローみたいに、
確実に後で効いてくる
 
重圧は刺激される度に、
裏からこちらに働きかけます
押し込めた感情が声を上げている時
自分から目を背けている時
たいがい物事は上手くいかなくなります
思いと言動がズレているから
 
 
 
何かと引き換えにストレスを飲み込む
どんな環境でもあることでしょう
要はバランス
どこまで許容して、
どこから耐えられないのかを知る
大切なのはそこだと思います
 
慣れたつもりで気持ちを押し込めすぎると、
いつかバランスを崩す時がきます
慣れはいろんなことを楽にしてくれるけど、
気持ちのフタになることもあるから
 
慣れてきたなって思ったら、
振り返ってみる
そこに『慣れ』に見せかけたフタがないか?
 
何よりも自分のために、
それは見てあげた方がいいって、
そう思うのです
 
 
 

週末旅行もいいものね

金曜日に思い立って京都へ行き、
日曜日の夜帰ってきました
 
インターネットのおかげで、
当日でも交通機関や宿の手配が出来る
便利な世の中だなって思います
東京ー京都
行きは高速バス¥6500でおよそ7時間
帰りは新幹線指定席¥13000で2時間15分
高速バスは早めに予約すれば、
もっと安く抑えられますね
 
 
 
土肥先生の玖伊屋にお世話になって、
京都は身近な場所になりました
あんまり観光地には縁がなくて、
人ごみを外れた路地とか、
古い家ばっかり見てますが笑
 
いつかは住みたい気持ちもあるから、
今回はかなり歩いて、
町の空気を楽しんできました
土曜日は三条→九条
日曜日は九条→伏見稲荷のお山一周→京都駅→九条→京都駅
 
玖伊屋は2ヶ月に一度、
東九条のマダンセンターで開催されています
刷り込みじゃないけど、
わたしは九条の雰囲気が好き
少し寂れてるところもあるけど、
鴨川が近くて静かなところです
 
伏見のお山も、
前から好きな場所です
千本鳥居を抜けて、
お山をぐるりと一周
雨降りだったけど、
落ち着いた光の美しさ、
印象に残りました
 
 
 
このところ、
いろんなことが重なってしんどかったけど
お山を一巡りする頃には、
かなりどうでも良くなりました
 
好きなことで身体を動かすこと
よい気の中で過ごすことは、
こころの力を回復させてくれます
 
もちろん用事もあったから決めた旅だけど
もしかしたら身体もこころも、
必要なのは何か、
ちゃんと知っていたのかも
 
そう思えた、
いいお休みでした


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