膝をついた経験は悪いことか?

膝をつくこと
痛みに歩けなくなること
誰にもあるでしょう
 
人はどんな経験からも、
何かを得ることができます
大切なのは、
変わった今の自分を肯定してあげること
過去に囚われないこと
そう思います
 
 
 
5年くらい前に、
軽い鬱状態になったことがあります
 
当時わたしの下に、
他の部署で上手く仕事をこなせなかった、
そんな人が2人つきました
どうしても覚えられない
何度話しても同じミスをする
1つに注意を向けると、
他が全く見えなくなる
 
わたしも相当怪しいもんだと思うけど
人として求められることと、
会社で求められることの違い
そんなことに苦しんでいた人
生きづらさを抱えた人だったと思います
 
長い目で見れば、
上手くやれたかもしれません
でも会社は効率や成果が先に立ちます
出来なければ注意しないといけないし、
誰かがカバーもしなきゃいけない
 
結局何をやっても上手くいかなくて、
全てを自分で背負い込むことになって
自分がおかしくなりました
2人もがんばったけど、
それを認める余裕がどこにもなくて、
会社を辞めていきました
 
 
 
わたしのやり方や考え方は、
この時を境にずいぶん変わりました
 
複数のことを同時にこなす、
そんなスタイルは難しくなりました
頭が疲れやすくなったのかもしれないし、
元々ムリをしてたのかもしれません
いずれにしても、
複数のことに同時に対処するのが、
ちょっと難しくなりました
 
今は目の前のことに優先順位をつけて、
考えなくていいことは目の前から除外します
そうすることで、
自分が混乱する要素は排除する
 
人に対しても、
少しは寛容になれたかな
出来ないものは仕方ない
努力みたいなことは根拠にしない
問題は人にはない
間違いが起きる仕組みこそ、
なんとかしなきゃいけない
 
それぞれの人生の責任が、
それぞれにあることも理解しました
彼らのためにわたしは頑張ったけど、
出来ることには限界がある
彼らの人生は、
彼らがなんとかすべきだったのだと
 
 
 
自分が出来なくなったことは、
痛い部分もあります
目標にしていたこと、
達成出来ないかもしれない
 
でもそれは、
必要だったのかもしれない
そうも思っています
膝を着くことがなかったら、
いつまでも人を責める自分だった
自分しか愛せない
寂しい人だったでしょう
 
 
 
今頃何してるかな
その時の精一杯をやったから、
後悔はないけど
 
離れても、
人は生きてゆくものです
どこかで居場所をみつけて、
幸せでいてほしい
そう思っています
 

自分のペースの運動は気持ちがいい

運動のストレスへの効果は、
科学的にも証明されています
年齢と共に体力は落ちるけど、
運動は体力の底上げにもなる
 
楽しく生きるために、
健康であることは欠かせません
記録を狙うわけじゃなくて、
自分のペースでいいから
運動を楽しむ時間を持つこと
大切だって思います
 
 
 
今朝は久しぶりに、
近所の公園を歩いたり走ったり
運動を楽しんできました
 
家を出た頃は、
路面も濡れて空も曇ってたけど
徐々に明けてゆく空
切れてゆく雲
光る木々のしずく
とっても気持ちのいい時間でした
 
 
 
わたしは走るのが好きです
記録を狙って突き詰めるんじゃなくて、
ゆっくりペースでのんびりと
つらいなら歩いてもよし
飲み物もしっかりとる
音楽を聞いて、
気になったものは写真を撮って
自分と自然を感じる時間です
 
元々わたしは運動音痴
身体を動かすのは得意じゃありません
走るのもしんどいだけで、
楽しいなんて思ったこともなかったけど
 
30前の経験で見方が変わりました
当時のわたし身長172.5cmで体重80kg
完全に肥満なので、
摂取カロリー見直しと運動を取り入れて、
半年で61kgまでダイエット
 
この経験で、
自分のペースで走っていれば、
そんなにつらくないことが分かったのです
体育の授業がしんどいのって、
最大公約数でペースが決められてしまうこと
自分のペースさえ許されれば、
運動は楽しいんですよね
 
 
 
まとまった時間がとれないことを理由に、
最近ずっとサボってたけど
やっぱり身体動かすのは気持ちがいいです!
こころにたまっていた澱も、
すうっと消えていくのが分かる
 
「しなきゃいけない」は続かないから、
出来るときに少しずつ、
また運動してこうかな
 
新しいわけじゃないけど、
これも変化の風
悪くないと思うのです
 
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自分を檻に押し込めるのはもったいない

人の限界は、
思いのほか少ないものです
今までやっていなかったことをしてみると、
自分は確実に変わります
 
やっていないだけの事柄は、
本当にないのか?
改めて自分に問いかけること、
大切だって分かりました
 
 
 
出来ないと思っていること
わたしには大小さまざまいっぱいあります
それぞれ根拠もあって、
自分では納得しているつもり
 
でも本当に出来ないの?
新しいことに挑戦するお友達を見て、
改めて自分に疑問をぶつけてみて
 
気が付きました
『出来ないことリスト』は減らせる
知っているつもりで、
ぜんぜん分かっていなかった
 
出来ないと思い込んでいたり、
そうしない自分を納得させるために、
理由を作っていたり
やっていないだけの事柄の、
いかに多いことか
 
 
 
出来ない理由はいくらでも作り出せるから、
どうしたら出来るか考える方がいいですよね
細かいことでもやってみると、
世界は意外と簡単に変わるのです
そりゃもう面白いくらいに
 
今の現実は、
これまでの行動が作っています
同じ行動には同じ結果が返るだけ
ほんの少しの気持ちで世界は変わるのに、
それじゃあまりにつまらない
 
 
 
ここしばらくのわたし
いろんなことが行き詰まった感じだったけど
今までのやり方の限界がきていたのでしょう
必要なつらさだったと感じます
 
ほんの少しの変化なのに、
すごく気持ちは軽くなりました
細かい変化の積み重ねで、
自分はどこまで変わって行けるだろう?
そんな風に思うのです

 
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新しい音楽に触れて思うこと

「新しいことをしていく」中で、
今まで聴かなかった歌にも触れました
 
新しいものごとに触れると、
それだけで人生は豊かさを増します
世界が開けるたび、
地平線ははるか向こうまで広がっていく
そう実感しています
 
 
 
わたしは音楽を聴くのが好きです
両親が音楽好きで、
家ではラジオやレコードがよくかかってて
小さい頃はエレクトーンも習いました
今じゃ演奏はからっきしだけど笑
 
70~80年代のアニメ特撮に歌謡曲
中学高校の頃に洋楽やゲームミュージック
兄の影響でYMO
父親の影響でクラシックやジャズ
なぜかアイドルには全く興味ない子でした笑
 
30前後. . . 2000年頃ですね、
畠山美由紀さんの歌に出会って世界が変わりました
この方はいろんなジャンルの歌を唄う方で、
おかげで興味を持たなかった音楽も、
楽しく感じることが出来るようになりました
インディーズのあれこれ
HMVTOWER RECORDSでいろいろと物色
試聴したりジャケ買いしてみたり
 
この経験から、
音楽を楽しめないのは『知らないから』ということに気付けました
難解なものも確かにあるけど、
どんな音楽も知ると良さが分かってくる
 
音楽の楽しさを知ったことは、
現実の世界も広げてくれました
ライブの良さを知って、
遠くまで足を延ばすようになって
旅を楽しむことも覚えました
 
 
 
ツマラナいものなんてない
面白さを読み解く鍵さえ見つければ、
世界はどんどん広がってゆく
きっとこれは音楽に限らなくて、
全てに当てはまること
今はそう感じます
 
ちなみに、
新しく触れて好きになったのは小沢健二さん
超有名だしナニヲイマサラですが(^_^;)
なぜか聴いたことなかったけど、
今じゃ通勤時のお気に入りです
 
まだ暗い朝の道
明け始めた空を見て、
好きな音楽を聴いて歩く
すごく幸せだなって思うのです
 
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わたしの身体のこと

わたしはトランスジェンダー、社会的な性別の越境者です。
生まれは男性ですが、今は男性と女性の真ん中で生きています。感覚的には「どちらでもない」と言うのが正直なところ。好きになるのは女性がほとんどですが、男性身体への違和感が強く、トランスに踏み切りました。
 
手術はしていません。
そこまでの必要を感じなかったから。
ただ胸のない自分の身体には違和感があったから、薬を身体に入れています。
 
 
 
薬を入れると、いろんな変化が起こります。
まず感じるのは、男性的な性欲が弱まること。焼き尽くすような激しさは穏やかになり、愛情が深まりました。
 
大事なとこは小さくなりますよ!
まるで子供みたいに笑
あと白いのが透明になるとか。この時点で子供は諦めた方がいいかな。
 
乳腺は発達し始めて、胸が大きくなります。
この時期に何かに当たると、と ん で も な く 痛いです(^_^;)
女子の皆さんはお分かりかと思いますが、しゃがみ込んで動けなくなるくらいよ。
男子諸君、女性の胸は手荒に扱っちゃいけませんぜ。
 
皮脂の分泌は減るみたい。
肌や爪の乾燥は顕著で、弱くなります。
体臭や汗のニオイが減るのはいいんだけど、冬場の痒みや爪の割れはライバルになりますね。保湿は欠かせません。
 
 
 
次、薬を入れて変わらないもの。
筆頭はヒゲや体毛かな。
これ少なくなってくれたら嬉しいんですけどね、どうにもならないので脱毛のお世話になります。
 
骨格も変わりません。
肩幅と胴体の寸胴具合、腰の幅のなさが痛いところ。
お友達の歌姫のお話によると、腰にパッドを入れるだけでずいぶん違うとか。地面に映る影で嬉しくなるとか、泣けてくる歌を歌う方なんですよねぇ。
 
服の入手は頭が痛いとこ。
大きいサイズの女性服もありますが、狙うべきは高身長用。ニッセンのスラットジールとかね。
高身長ターゲットのブランドは、袖丈、身幅にメリットがあります。普通の女性ものでサイズアップすると、袖丈が短いままで身幅が広がっちゃうんですよね。
わたしはユニクロのXLくらいでもいけるので、サイズとにらめっこして購入です。
 
この道に踏み込もうって言うなら、快適な服の平置きサイズは押さえておきましょう。
上着なら肩幅、身幅、袖丈、裄丈、着丈
下はウエスト、股上、股下あたりを大まかにでも!
 
声も変わりません。
女性的な声には出し方があって、マスターしなけりゃ男声のまんま。
現にわたしは声出してギョッとされることもあったりなかったり
愉快犯も楽しいですけどね笑
 
足のサイズも当然デカいまんま。
わたしは海外通販、クロックスのオンライン、マルイのデカいサイズなんかを主に利用。この辺は26cmくらいまであります。
最近は大きいサイズの女性ものも扱いが増えました。ありがたいお話です。いやほんとに。
 
 
 
手術をせず、薬のみでもこんな変化があります。
もちろん身体面は不可逆。
進んだら後戻りは一切ありません。
手術したら言うまでもなく不可逆ですが、薬を止めてもメリットが無くなってデメリットだけが残る身体と考えるべきです。
 
男性ホルモンの欠乏による肥りやすさ、貧血、精神的な打たれ弱さ、肌の乾燥。子供を作るのもムリでしょう。
体内のバランスは崩れてますから、退薬のバックラッシュははかりしれません。
ずーっとお薬買って、飲み続けないといけない。
 
あんまり割に合わない選択。
でもそうでなければ生きられないなら?
もし後悔しても、誰も責任をとってくれることはありません。
自分の選択と意識して選びましょう。
そのままの身体で生きていく。
その覚悟があるのなら。
 
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自分を開くこと

新しい選択は、
新しい世界を見せてくれます
怖くて出来なかったことが、
答えに至る道かもしれないから
 
出来ないと決めてしまわず、
新しいことに向かってみること
とても大切だと思います
 
 
 
最近のわたし
今までしなかった選択をしています
慣れたやり方は安心感があるけど、
そこにいる限り手の届かないこともある
そう思ったから、
やり方を変えることにしたのです
 
「新しいことを生活に取り入れていく」
尊敬する人の言葉に、
感化されたのもあります
 
 
 
お風呂屋さんに行ったのが初めの一歩
実はあの後、
地元のお風呂屋さんにも行ってみました
やっぱり見る人はいるけど、
気にせず楽しめました
 
「自分を開く」こともその1つ
今までのわたしは、
内面を話すことはほとんどありませんでした
本当の自分を知られて、
好きな人が去っていく
それはたまらなく恐ろしいことだから
 
わたしは周りに対する恐怖が高まると、
1人の世界に閉じこもる傾向があります
人の目を見ることも出来ないくらい
そんな人だから、
こころの暗い部分を話すなんて、
怖くて出来ませんでした
 
 
 
実際にやってみて、
ずいぶん気持ちが楽になったのを感じます
鎧を脱ぎ捨てた自分は頼りないけど、
それが本当の姿でもあるから
 
自分が閉じた状態は、
高い壁があるのと同じ
固く護られるけど、
相手との道が開かれることもありません
 
相手からすれば、
壁の向こうでは手を差し伸べるのはムリ
声だってほとんど届きません
それで助けてほしいって言われても、
何言ってんだーですよね
 
 
 
傷付く危険と、
楽になることと
諸刃の剣なのも事実です
楽になった分、
傷付いた時のダメージは想像もつきません
 
でも不思議なことに、
それほど心配していない自分もいます
人に頼ることは罪悪だと思ってたけど、
もしかしたら逆なのかも
そう感じているからです
 
信じたものが、
自分にとってどんな意味を持つのか
その答えは、
こんなところから見えてくるのかもしれない
そう思っています
 
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何もしない週末

何もしない
ちょっと疲れがひどいなと思ったから、
金曜日の夜にそう決めて、
週末を過ごしました
 
やらなきゃいけない
そう思うことがない訳じゃありません
でも考えてみれば、
それで人生が終わることもないから
 
建設的なことは何もしなくていい
ただ自分を感じて、
何もせずゆっくり過ごす
 
そうしていると、
空っぽに近くなった自分を、
少しずつ満たす何かを感じます
 
 
 
いろんなことに追われて、
どうしても何かしようとしてしまう
その中で本当に必要なのって、
どれほどあるんだろ?
休みながら、
そんなことを考えました
 
たぶんしなくていいことも、
いっぱいしてしまっている
必要なことに割く時間が減ると、
わたしは悲しくなります
 
それじゃ意味ないなって、
そう感じました
人生の時間は限られてる
必要ないことに割く時間なんて、
ありゃしませんから