「それ無しでは生きられない」ではなく

「それ無しでは生きられないほど」
そんな言葉を聞くことがあるけど

本当に好きなものは、
それ無しでも大丈夫にして、
いろんな可能性から選んだ方がいい
選ぶことで思いは強まり、
より大切になるのだから
そう思います

 

「それ無しでは生きられないほど」は、
好きなものにのめり込んだ状態
一点集中力はあるけど他への注意は疎か
そんな落ち着きを欠いた状態です

当然ですが、
これは視野も狭めてしまいます
好きなこと意外の選択肢は、
ほとんど見えなくなってしまう

選択肢のない状態はいずれ停滞に陥ります
簡単に言えば飽きちゃう
大切なものが大切であり続けるには、
選択肢が必要なのです
選ぶことは意志
その積み重ねが思いを強くしますからね

 

わたし自身も、
実はのめり込みやすい性格です
小さい生き物や、
模型や箱庭みたいな世界
懐中時計やナイフ
ジャムやお酒作り
服も好きになっていろいろ買いました

誰かを好きになるときも、
似てるかもしれません
どんな人なのか知りたくて夢中になる
ちょっとウザいかもしれないですね笑

今わたしが大切だと思うものは、
自分で選び続けてきたものです
夢中になって、
少し落ち着いて、
痛い目にもあって
それでも残ったものたち

 

選択によって強さを増した思いは、
「そんなこともあるさ」と笑える余裕をくれます
余裕をなくしてしまったら、
どんなことも上手くいかないですよね

だから未来へ続けて行くには、
「それ無しでは生きられない」にしない
それが大切なんだって、
そう思うのです


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平行線だっていいじゃない?

平行線
近付くことはないけど、
並んで進み続ける線
何を目指して進むかで、
見えてくるものも変わります

今見えるものに固執せず、
新しい道を見つけること
相手も自分も、
上手くできないことを許すこと
それが2つの線を生かす道
そう思います

 

なかなか思い通りにならない
人との関係はそんなことばかり
人は違うものだから、
思い通りになるはずがないんだけど

お互いの意見が衝突すると、
やっぱり痛い思いをします
なんで分からないんだろ?
そんな風に相手を責めてしまったりする

分かるわけがないのです
そもそも簡単に分かるくらいなら、
そんな状態にはなりません

この状態はお互い殻にこもっているから、
意見は平行線をたどります
何も生まれることはないし、
お互い傷付いてしまうだけ
早晩関係は壊れるでしょう

 

もし相手との関係を大切にしたいなら
選択肢は2つあります
1つは自分が自発的に変わること
相手は変わりませんからね

もう1つは、
お互いの思い通りにならない部分を許して、
新しい道を探ること

思い通りにならないのは、
相手も自分も変わらないのです
責めたところで何も解決はしません
つらいのって思いが認めてもらえず、
相手に意思が踏みにじられたように感じる、
そんなことですよね

だからお互いの現状をまず許容する
それが自分にも、
相手にも変えられないことを許してあげる
お互いがここに立って、
初めて新しいスタートがきれます

 

そんな風にスタートをきっても、
傷付け合うことは続くでしょう
人は違うもので、
結局死ぬまで平行線をたどるのです
でもその平行線は、
お互いへの許しで近付けることができます

ゴールを見据えていれば、
傷付け合う違いがあっても、
そこを越えて進むことができます

相手に完璧を求めても、
思い通りになどなりません
自由意思こそがその人だから、
思い通りになるならその人である必要もない

何を求めるのか
どこへたどり着きたいのか
平行線ではいけないのか

大切なのって、
そんなことだと思うのです


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向きすぎた注意は望まないものを引き寄せる

欲し過ぎても、
恐れ過ぎても
向き過ぎた注意は、
望まない現実を引き寄せます

目の前のことに取り組んで、
思いを忘れる時間をつくること
自分自身が充実する時間を作ること
とっても大切だと思います

 

先週土曜日のこと
わたしの勤める会社の、
世田谷のお店へ手伝いに行きました
普段会う機会もない同僚
いろいろお話して、
お店の様子や相手を知ることができました

おっ?と思ったのは、
社内でわたしがトランスであることが、
ある程度情報共有されているらしいこと

わたしは自分のこと、
基本的に秘密にしていません
知らないことが差別を助長すると思うから
機会があれば話しちゃう

とは言えタイミングは考えますから
これは望まないかたちのカミングアウト、
アウティングと言えなくもないでしょう

でも温かさを感じ取れたからかな
別段嫌な気持ちにはならなかったし、
逆に支えてくれる周りを嬉しく思いました

 

わたしは自分をオープンにしていく中で、
「自分自身への恐れ」を手放してきました
境遇への肯定的な態度は、
普段の行動に表れていると思います
周りの人たちにしても、
トランスを肯定的に生きるわたしに、
否定的な印象は持ちにくいでしょう

もしトランスの部分で否定されることを、
わたしが恐れ続けていたら?
周りは腫れ物を触るように接するでしょう
わたしは傷付いて、
悲しみから怒りを感じたかもしれない
そんな態度は、
否定的な印象を生むでしょう

 

恐れていることはいつかその人を支配して、
望まない現実を引き寄せます
「こうなったらどうしよう?」
そんな恐れが、
その通りの現実を作ってしまう

注意が向き過ぎることは、
欲することと反対の現実を引き寄せるのです
何かを欲して捕まえようとすれば逃げ、
恐れていれば起きてほしくない現実が訪れる

向き過ぎた注意には、
自分の置かれた境遇を笑い飛ばす諧謔心や、
「なるようになれ」という開き直り、
そんなものがよい解決策になります

逆説的だけど
何かを上手く進めるには、
目の前のことに夢中になること
欲するものや、
恐れるものを忘れる瞬間が欠かせない
そう思います

 

起こらなかった可能性は分からないけど
臨む態度の違いは確実に結果を変えます

生き方への姿勢は、
1人として同じ人はいないけど
目の前のことに集中して、
気になることは手放してしまう
「なるようになるさ」と境遇を笑ってみる

そんなことが大切なんだって、
そう思うのです


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季節は巡る

ころがれ ころがれ指輪よ
ころがれ ころがれ指輪
春の玄関口へ
夏の軒端へ
秋の高殿へ
冬の絨毯の上を
新しい年のたき火をさして

『森は生きている』に出てくる、
指輪の呪文です
年の巡るのは早いもの
この時期になると思います

 

1年前のわたし
2年前のわたし
トランスとして生き始めた6年前のわたし
思い返すととても大きな変化で、
ちょっと信じられないような感じ

トランスに踏み切った頃、
内面的な変化はそれほどありませんでした
柔軟性がなくて、
自分以外のことに振り回されていた
トランスである自分がどう見えるか?
そんなことにフォーカスし過ぎて、
何も見えなくなっていました

トランスって身体違和だけじゃなくて、
「他人が自分をどう見るか?」
に縛られているところがあります
そういう意味では典型的なお話なんですが

自分の人生は自分だけが生きられる
自ら選択して生きることの大切さ
2年ほどの経験で、
ここがはっきりしたのは良かったと思います

 

他人がどう見るかなんて、
たいした問題ではないのです
誰も自分の人生を生きてはくれませんから

他人は変えられません
だから自分が楽しんで生きて、
共に歩いてくれる人を大切にすればいい
離れる縁はそれまでのものです

誰でも自分の好きなように生きていい
阻む者は自分以外にありません
目の前に夢中になっていれば、
幸せはついてくる
それは変わることがないのです

 

どこまでも行くぞ!と進んだその先に
未来は何を問いかけるのか
ちょっと周りを忘れるくらい、
思い切って楽しんでいこう
そんな風に思うのです


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好き嫌いを超えたところに

大切なものって何だろう?
それは好き嫌いだけじゃない、
意志の存在によって決まるもの

その積み重ねが、
対象をかけがえのないものにしてゆく
そう思うのです

 

自分の意志で選ぶことの大切さを意識して、
ずいぶん視点が変わりました

いろんなことに自分がどう感じるか?
日曜日の朝のお風呂タイムは、
そんな自分を振り返る貴重な時間
今朝は『大切なものって何だろう?』
そんなことを考えてました

 

何かを大切にする気持ちは、
好き嫌いではかれない次元がある
最近そう強く感じています

自分の気持ちにまっすぐ向かって、
素直に表現する
好きか嫌いかは、
何かをするときに大切な要素です
それはどんな時も大前提だけど

好きか嫌いかは感じ方
その時々で変わるものでもあります
好き嫌いのみによる判断は、
時々で基準が変わることを意味してしまう

 

自分の答えを選ぶことは、
ここでも大きな意味を持ちます
選ぶことは意志
嫌と思うことがあっても、
人は自らの選択には意味を感じられるから
好きか嫌いかを超えることができます

もちろん嫌なことがあればつらいでしょう
それは変わらなくても、
苦しみに向かう姿勢が変わります
「させられている」のではない、
自ら臨む姿勢です

 

これを意識するようになると、
その時の感じ方で判断が変わるような、
自分以外に流されるような、
そんなことは起こりにくくなります

向き合ったものを大切にする気持ちは、
乗り越えた痛みによって強められます
ひとつ
またひとつ
意志が積み重なりますからね

自分の人生ですから、
もちろん何を選んでもいいと思います
好き嫌いだけで判断を続けても、
一向に構わない
ただそれで残るのは、
土台のない建物のように
信をおけないものでしょう

 

大切なものは、
積み重ねられたものが語ります
好き嫌いはひとつのライン
その向こうにあるものこそ、
かけがえのない存在になり得るもの

そう思うのです


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毎日必要なものって

身の回りの、
自分を支えてくれるもの
それはいつも要るのか、
それほどは要らないのか

身体やこころの声は、
そんなことも伝えてくれる
そう思います

 

最近同僚が身体を壊していて、
バタバタした毎日が続いています
仕事の行方によっては、
残業することもある

お仕事終わると遅いですから、
家に帰る前にご飯を食べるんだけど
寒さと疲れがあるからか、
味の濃いものが美味しいんですよねー


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味噌ラーメンとかhttps://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13085224/top_amp/
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天丼とかhttps://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1310/A131002/13209693/top_amp/

あんまり続くと身体によくなさそうなもの
それがすごく美味しいの笑

 

生活のリズムが整っている時は、
味の濃いものばかりは飽きちゃいます
落ち着いた味付けで、
香りを楽しめるものが好き
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美味しいお蕎麦とかねhttps://www.google.co.jp/amp/s/s.tabelog.com/tokyo/A1307/A130701/13019811/top_amp/

 

これ何かと似てるなって考えていたら、
音楽や人との関係にたどり着きました

個性が強くてはっきりしたものは、
あんまり続くとクドくなる
むしろ抑え目な方が、
スルメみたいに噛み続けられます

もちろんそれぞれに良さがあって、
聴きたいときに聴けばいいし、
会いたいときに会えばいいけど

 

人の直感は必要なものを知っている
そう感じます

はっきりしたものは分かりやすい
その役割もはっきりしていて、
毎日は必要ない

穏やかなものは気付きにくいけど
毎日の生活に必要なのはむしろこちら
派手さはなくても、
自分の存在の根っこを支えてくれる

自分にとって必要なものと、
そうでないもの
必要なものの中で、
取り替えのきかないもの

こんな部分からも見えてくるのかなって、
そう思うのです
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本当にやりたいことって本当にやりたいこと?

本当はこうしたかった
そんな言葉で覆い隠しても、
動かなかったのは自分がよく知っていること

傷付くのは怖いかもしれないけど

本当にそうしたいなら、
人は何も言わずに動きます
本当にやりたいことって、
本当にやりたいの?
そう思います

 

「本当はこうしたかった」
そんな言葉を耳にすることがあります
自分もそんな考え方をした時あったけど

なんでそうしなかったんだろ?
そう考えると、
大した理由なんて無かったことが大半です

中にはどうにもならないことも、
あるかもしれませんね
でも少なくとも自分の経験の範囲では、
ほとんどありません

 

人は現状を変えたくない生き物です
今までのやり方で生き残ってこれたから、
これからも変えなくて大丈夫
そんな前提がありますからね
これを覆して何かを変えるのって、
ものすごく力の要ること

「~だから出来ない」を考え始めたら、
物事が進むことはありません
はっきり言えば進む気がないからです
「本当は~」の大半も、
同じことが当てはまります

 

何かが変わることを待つのは、
自分以外に基準を置くこと
大切なのは自分がどうしたいか?と、
実際に自分がどうするか?でしょう

本当にそうしたいなら、
動けばいいと思います
それをしないで自分以外に理由を置くなら、
それは大して重要じゃないこと
諦めた方がいいんじゃないかな?
厳しいようだけど、
そう思います

人生の時間って限られています
やりたいことは何でもやっていいけど、
何かを待ってストップかけておくほど、
時間が有り余ってる訳じゃない

本当にやりたいことと、
大して重要でもないこと
違いを分けるのは、
そんなことだと思うのです


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