向きすぎた注意は望まないものを引き寄せる

欲し過ぎても、
恐れ過ぎても
向き過ぎた注意は、
望まない現実を引き寄せます

目の前のことに取り組んで、
思いを忘れる時間をつくること
自分自身が充実する時間を作ること
とっても大切だと思います

 

先週土曜日のこと
わたしの勤める会社の、
世田谷のお店へ手伝いに行きました
普段会う機会もない同僚
いろいろお話して、
お店の様子や相手を知ることができました

おっ?と思ったのは、
社内でわたしがトランスであることが、
ある程度情報共有されているらしいこと

わたしは自分のこと、
基本的に秘密にしていません
知らないことが差別を助長すると思うから
機会があれば話しちゃう

とは言えタイミングは考えますから
これは望まないかたちのカミングアウト、
アウティングと言えなくもないでしょう

でも温かさを感じ取れたからかな
別段嫌な気持ちにはならなかったし、
逆に支えてくれる周りを嬉しく思いました

 

わたしは自分をオープンにしていく中で、
「自分自身への恐れ」を手放してきました
境遇への肯定的な態度は、
普段の行動に表れていると思います
周りの人たちにしても、
トランスを肯定的に生きるわたしに、
否定的な印象は持ちにくいでしょう

もしトランスの部分で否定されることを、
わたしが恐れ続けていたら?
周りは腫れ物を触るように接するでしょう
わたしは傷付いて、
悲しみから怒りを感じたかもしれない
そんな態度は、
否定的な印象を生むでしょう

 

恐れていることはいつかその人を支配して、
望まない現実を引き寄せます
「こうなったらどうしよう?」
そんな恐れが、
その通りの現実を作ってしまう

注意が向き過ぎることは、
欲することと反対の現実を引き寄せるのです
何かを欲して捕まえようとすれば逃げ、
恐れていれば起きてほしくない現実が訪れる

向き過ぎた注意には、
自分の置かれた境遇を笑い飛ばす諧謔心や、
「なるようになれ」という開き直り、
そんなものがよい解決策になります

逆説的だけど
何かを上手く進めるには、
目の前のことに夢中になること
欲するものや、
恐れるものを忘れる瞬間が欠かせない
そう思います

 

起こらなかった可能性は分からないけど
臨む態度の違いは確実に結果を変えます

生き方への姿勢は、
1人として同じ人はいないけど
目の前のことに集中して、
気になることは手放してしまう
「なるようになるさ」と境遇を笑ってみる

そんなことが大切なんだって、
そう思うのです


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