知ることは役に立たない?

一般的に役立つと言われることが、
場合によっては害になることもあります

それは自分にとってどんな意味を持つのか?
盲信的によいと決めず考えること
大切だと思います

 

「知ることは役に立たない」
学を修めた人の言葉として、
人づてにこんな話を聞いたことがあります

わたしは頭の良さに劣等感があって、
知を求めるところがあるから
この言葉は気になって、
折に触れて意味を考えています

 

最初に思ったのは、
知識に色がないということ
無関係に見える事柄から共通点をみつけたり
普段の状態から違いを拾い上げたり
そんな気付きの力が知恵の領域
知識そのものは道具のようなもので、
使いこなす知恵がなければ意味がありません

知ることで身動きできなくなるもの、
知ることの弊害でしょうか
物事は白と黒で分けられるものじゃなくて、
みんなに正しさがあります
それを知れば知るほど、
何かを決めることは難しくなる

最近思うのは、
「知ることで見えなくなる」こと
自分が何も知らないことを忘れると、
聴く姿勢から真剣さが失われます
知識のあることが知ることを妨げるなら、
知識はない方がマシなものになる

 

言葉も知識も、
使う人や状況によって意味が変わります
一人歩きしている言葉や知識は、
発信者の意図から離れることもある

大切なのは個々の解釈に惑わされず、
自分にとっての意味を見つけることでしょう
全てに当てはまるとは限らない意味
盲信的に「よい」ではなく、
それが自分にとってどうなのか?
考えた軌跡がその人の価値観になります

わたしは知ることが好きだから
知ることを無意味にしないためにも、
自分にとっての意味を考え続けていこう
そう思うのです


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その選択は「たったひとつ」

無数の中から生き残ったひとつ
それがその人の選択で、
その連続が人生を作ります

「こんなことになると思わなかった」
と言っても、
失われた可能性は戻らないから
紡ぎ手としての自分を忘れないこと
大切だと思います

 

大切にしなきゃいけない、
粗末にすると取り返しがつかないこと
世の中には、
そんなことがあります

例えば誰かとの時間
大切な人との時間はその時限り
一緒に過ごせるのは、
お互いの人生が重なったほんのわずかな時間です

長く一緒にいるような家族でも、
会社や学校に出かければ別々です
1日や1年で、
何時間一緒に過ごしてるんだろ?
わたしは両親と離れてから、
これを意識しました

帰るのはせいぜい盆暮れとGW
1年で長くて2週間と考えれば、
あと10年生きてくれたとしても140日
半年にも満たない
24時間一緒じゃありませんから、
実際にはもっと少ないということですね

人の成長や老いは早いもので、
変化に気付く時には手が届かない
そんなものだと思います

 

基本的に全ての事柄はその時だけ
同じ時は二度とないから、
どんな出来事にも重みがあります
その中でも、
大切で見失ってはいけないものはある
そう思います

自分も周りも今あることは、
無数の選択肢からひとつを選んだ結果です
たったひとつの可能性に対する姿勢
これが人生への誠実さを表します

「こんなことになると思わなかった」
そう言ってみても、
それがその人の選んだ「たったひとつ」
失われた可能性が戻ることはないから

選択にはまっすぐ向かい合う
人生の紡ぎ手は自分で、
織り上げた作品はそのまま残るのだから
そう思うのです

 
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誰かの舌で可能性を殺すな

誰かの言葉を無批判に信じるのは、
支配を受け入れること
その他大勢になって声を奪われ、
可能性を捨てることです

自分にも関わる誰かにも、
その人にしか実現できない可能性があります
だからまず、
自分で見て聴いて判断したい
そう思います

 

世の中いろんな人がいますね
あちら良い人
こちら嫌な人
気が合って盛り上がれる人
どうにも疲れる人

人によって話が正反対で、
混乱したりして
そんな話は、
周りからもたくさん聞こえてきます

 

人は自分の知っている側面で、
他人を判断します
主観によるのは人の限界
それは仕方ないんだけど

本当にただ良い人や、
ただ嫌なだけの人はいませんよね
人にはいろんな側面があって、
周りがそれを引き出している
それも間違いのない事実です

人には相性やタイミングがあります
その時お互いの持っているもので、
引き出されるものは変わる

ある程度言われている人の側面は、
本当にそうである可能性も高いでしょう
そんな側面を感じない人は、
いずれぶつかるかもしれないし、
ずっと感じないままかもしれない

人の印象が聞いていたのと違うのは、
こんなことが原因でしょう

 

大切なのは、
自分の目で見て耳で聴いて、
それから考えること
誰かの舌でものを見て、
自分で見ることを止めた人は、
その人に支配されます

相手を理解せず、
レッテルを貼りたがる人はいるものです
そんな人に限って声が大きい
でもそれは、
結局その人の現実でしかないのです

そんな人の声を無批判に信じることは、
可能性を奪われること
自分が引き出せたかもしれない何か、
相手の中に眠る何かが消えてゆくことです

人にはいろいろな可能性があるのです
愛した人は、
相手が気付いてすらいない可能性を花開かせることもある
自分はどんなその人を引き出すのか?
まだ見ぬ可能性は何なのか
それが大切なんだって、
そう思うのです


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もうあなたはそこにいないよ

傷つけられたことを許せない
深く深く傷ついたのに、
反芻し続けることでその瞬間を追体験して、
新しく傷つき続ける

もうそこにあなたはいないのに
いつまでそこに居続けるんだろう
そう思います

 

深く傷つけられ人ほど、
そこから抜け出すのは難しい
当然のことと思います
痛みは激しくて、
癒える日が来るのかも分からない

それでも人は、
生きてゆく存在です
苦しみがあることは変えられないけど
その上でどう生きるかは選ぶことができる

 

許せないと恨み続けることは、
支配され続けることです

わたしはいじめられて、
相手を死ねばいいと思ったことがあります
でもそれは自分を汚し続けるだけ
忘れる決心をしました

楽しかった大切な思い出も、
自分の死とともに消えてゆくのなら
つらい思い出を一足先に消し去っても、
構わないでしょう?

恨み続けることは、
誰よりも自分を傷つけます
ただでさえ深く傷ついたのに
その体験を新たに繰り返すことで、
傷つき続けてしまう
相手と同じ闇に、
自分のこころを落としてしまう

人は思いを体現する存在です
その姿は周りにメッセージを発し続ける

同じように苦しんでる人に、
他人を許さず責め続けて生きてほしい?
そんなものに支配されるほど、
人生は小さいと伝えていきたい?

 

相手と愛し合えとか、
毎日一緒に暮らせとか、
そんなことを言っているのではありません

嫌いは好きと同じで、
関心があるということ
自由になれるのは、
関心がなくなったときです

もう十分苦しんだのだから
忘れて手放してほしい
そんなものに台無しにされるほど、
あなたの人生は安くない

そう思うのです


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あの世のばーちゃんとおしゃべり

今日は休日出勤の日曜日
体調不良の同僚に代わってお仕事です
昨日は1日になった週末を楽しみたくて、
朝から動きました

お友達のFBのポストを見ていて、
海に行きたくなって
しばらくお墓参りもしてなかったから、
藤沢の祖母のお墓へ行ってから、
鎌倉は七里ヶ浜でのんびりご飯!
そんなコースを決めました

 

都心からだいたい1時間
藤沢は意外と近いです
お墓に参ろうと思えばすぐに行ける
ありがたいなって思います
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お墓は穏やかな雰囲気に包まれていて、
日差しも暖かくて
河津桜や梅がきれいです

自分が長い時間の末にここへたどり着いた、
それが分かるようになって
お墓で死んだばーちゃんと話すのも、
自然なことになりました

こんなんなった孫見て、
ばーちゃん何て言うかな
来る度に思います笑
会いに行って喜んでくれたかな?

 

しばらくお話したら藤沢駅に戻って、
江ノ電で海へ向かいます
七里ヶ浜はそれほど風もなくて、
砂浜はあたたか


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用意していたワインとおつまみを食べて、
音楽と本を楽しみました

 

こんな風に過ごす時間
気持ちがふっと緩むのを感じます
いつも時間に追い立てられて、
飛ぶように毎日が過ぎてゆく

自分自身と調和する時間って、
こういう時間から感じるのかもしれない
そう感じた土曜日の1日でした

 

ダメでもいい世界は気楽だ

上手くやれない「ダメなとこ」
見せられる関係は気楽です
嫌われたらどうしよう?
そんな風に怯える必要もないから、
素の自分でいられる

わたし死ぬときには、
こんなお友達にそばにいてほしいから
自分を飾らずにいたい
まっすぐに生きよう
そう思います

 

人はいろんな鎧を着ています
「こう見せたい」
「自分はこんな人」
そんなイメージを語る、
何重にも重ねられた姿

疲れないかなぁ
きちっとちゃんと
大人している人見るとつい思っちゃいます

トランスして、
レールから外れた生き方してるから?
あんまりきちんとしてる人は、
一緒にいてちょっと疲れます

もちろん緊張感をなくして、
何をしてもいいことにはならないけど
肩の力を抜いたって、
誰も怒りゃしないと思います

 

人にはみんな上手くやれない部分があります
自分のそんな部分への反応で、
周りに対する自分の反応も分かる

自分を批判する人は、
他人にも厳しく当たります
自分がやってるのに、
それをしない他人が許せなかったりして
厳しい世界を作り上げる

自分を許せる人は、
他人にも寛容にできます
自分だってできないんだから、
他人のこと言っても仕方がない
こういう人は、
「ダメでもいいよ」な世界を作り上げます

どちらのそばにいたいか?
自分ができないこと責められて心地いい人は
. . .まあそんなにいませんよね
自分への反応は、
鏡になって他人にも写し出されます
そうして世界は作られていく

 

人は上手く出来なくたっていい
そう思います
ダメな人なんていません
そのままでいいですからね

素のその人を受け入れる人は残り、
合わない人は去ってゆく
本当の自分を知られることを恐れて、
明日に怯え続けるなんて疲れるだけ

そのままの自分で、
人は気楽に生きていい
そうしてできる世界こそ、
楽しく生きられる
そう思うのです


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生きる意味は決して失われない

生きてきてよかったな
そう思える経験は、
痛みに耐えてきた意味を感じさせてくれます
そしてその経験は、
永遠にこころに留められる

生きることには自分だけの意味があって、
その意味は決して失われない
そう思います

 

例えば大切な人と共にある時
例えば美しい光景に触れる時
「自分はこのために、ここまで来たんだな」
そう思える瞬間に触れると、
それまでの痛みが消えてゆくのを感じます

生老病死に愛別離苦
失われてゆく痛み
そんなことを耐えてきたのも、
ここに来るために全て必要だったから

今までよくやってきた
この瞬間を経験できるのなら、
生きてきた意味もある
そう感じることができるから

 

誰が何を言おうと、
生きる意味はいつでもあります
人はみんな違うから、
誰かから与えてもらうのは不可能
自分で見つける必要はあるけど

答えは必ずその人の中にあるのです
経験によって感じる意味は、
他の誰にも換えられない、
その人だけに感じることのできる意味
そしてその意味は、
決して失われることはありません

過ぎ去ったものは決して失われません
個々人のこころの中に、
永遠に留められる
これは誰にも奪うことはできないし、
捨てる必要もないものです

 

誰かから否定されたように感じて、
意味を見失いそうになるとき
自分の中に留められた豊かな意味は、
大きな力を与えてくれます

今までよくやってきた
そしてそこにはその人だけの意味があり、
決して意味が失われることはない
そう思うのです


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