あと何回

いつか死ぬわたしたちの行動に、
どんな意味があるのか
人によっては無意味だと言うけど

人はいつか死ぬからこそ
自分の決めた行いには、
何にも代えられない意味がある
わたしはそう思います

 

あと何回?
よく考えます
死ぬまでに、
あと何回見られるのか
あと何回食べられるか
あと何回行けるのか
あと何回会えるのか

わたしたちの命は有限
いつかは尽きるものです
この事実は人によっては、
考えるのもイヤと言われます
死ぬのは怖いから
いつか死ぬと意識することで、
全てが虚しくなるからと

わたしは子供の頃から、
生き死にに関心の強いヘンな子でした
明日の朝目覚めないかもしれないとか
この人に会うのは最後かもしれないとか
今でも考えることは、
この頃から考えていたと思います

いつも身近に死は存在する
それを感じていても、
怖くなかったわけじゃありません
「どうせすぐ死ぬなら、
生きている意味なんてない。」
そう思って、
投げやりになったこともあります

確かに命は必ず尽きます
尽きる命だから何をしても無意味じゃないか
そういう言葉もよく聞くから
こんな風に考えるのは、
わたしだけじゃないのでしょう

 

いつか尽きる命
今のわたしは、
尽きるからこそ行いに意味がある
そう考えています

人は変わり、
いつか消えてゆくけど
その時の自分は時の連続の中で唯一のもの
どんなものにも代えられないからです
トランスに踏み切ったのも、
好きな人に「好き」と伝えるのも、
それがその時のわたしだからです

命が無限に続くなら、
いつ何をしても変わりません
時に有限性はないから、
一瞬一瞬が特別ではなくなるでしょう

いつか尽きてしまうから、
わたしたちの一瞬一瞬は輝くし
二度と返らないから、
その時を最良にする努力もします
命は尽きるからこそ意味があるのです

 

やがて来る死を知っていることは、
わたしたちと動物の違いのひとつです
動物のように淡々と、
生まれ死にゆくのも悪くないけど

死を知ることは人へのギフトだと思います
その事実を知るからこそ、
全力で生に向かうことができるから

あと何回機会があるのか分からないけど
その時を最後と思って、
今を愛しんでいこう
そう思うのです


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人には必ず幸せになる力があるから

どんな人にも、
幸せになる力は必ずあります
どんな生き方でも、
どんな境遇でも

それを信じるなら、
聴くことがまず大切
そう思います

 

相手の話を聴く
難しいと思うことのひとつです
どうしても『自分』が頭を持ち上げて、
ご高説を垂れたくなってしまう

恥ずかしい話だけど
こういう時って、
相手を信じていないのだと思います

人はそれぞれ正しさを持っています
その人の正しい答えは
その人の中にしかありません
自分の正しさを押し付けたくなるのは、
相手の思いを理解していないから
自力で答えを出せると信じていないからです

その人の思いを理解せずに、
本当に大切なことが言えるのか?
そもそも相手には、
自分の言葉は必要なのか?

まず相手の言うことを聴いて、
何を思っているのか理解しなければ
相手の思いに自分の思いをぶつけて、
対立の構図に陥るのが関の山
決して答えは導き出せません

 

何を信じるのか?
大切なのはそこだと思います

相手の中に答えがあり、
自力で幸せを掴む力を信じている?
自分と対等で、
運命と立ち向かう力があると信じている?

信じるならば、
自分が話すことの順位は下がります
自分の解釈や選択の押し付けは、
相手を無視することでしかないから

力を引き出す行動はたったひとつ
話を聴くこと
本当に大切なのは、
ここだと思うのです


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どうして未来が1つだと思うのか

幸せってどこにあるのか?
隣の家の芝生は青く見えるけど、
それは自分の家じゃありません
逆立ちしたってそれは変わらないのだから

今あるものってなんなのか?
大切に見ていくこと
忘れたくないと思います

 

しばらく前のこと
ある方とお話をしました
ずいぶんわたしのこと、
心配してくれてたんだけど

なんだか引っかかるのです
話すうちに分かったのは、
わたしの先行きを悲観して、
選択を変えさせたいと思っていること
言葉はわたしを心配していたけど

視点はわたしの不幸を信じて、
話しているのが分かりました

 

少し前にも書いたけど
わたしの選択はわたしのもの
どんなことに幸せを感じるか
それを決めるのもわたしです

わたしは未来を閉じたものと見ていません
どんな可能性もあると考えて、
怖いけど進んでいます
進む先が1つしかないと考えるのは、
わたしは嫌いなのです

考えてみれば、
これは他のことでも思い当たります
なんだか考えが合わないな
そう思う背景には、
閉じた未来を感じることが多い

 

ある1つの可能性を決定事項と信じると、
他の可能性は視点から消え去ります
そうなると、
その人の中で他の可能性はゼロ
車輪も1つの可能性だけが運命となり、
回転を始めます

何か違うなと思うのです
未来の可能性は無限
その人が決定を下しているのなら、
その中で幸せの可能性を増やすにはどうしたらよいのか?
考えるのはそこじゃないかと思います

自分が可能性を狭めていること、
気付いてないのかしら?

 

「これがないから不幸」
欠乏の積み重ねはすぐにゼロに至ります
可能性だって摘み取られてしまう
そんなの面白くないと思うのです

無いものに幸せの基準を合わせたら、
100パーセント不幸になれます
わたしはそんなのイヤだから

今わたしのいる場所
今あるもの
何がわたしの幸せなのか
考えていくのです
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御一人様の時間を持とう

このところ、
1人の時間を増やしています
自分の輪郭をはっきりさせるために、
必ず持つことにしている時間
少し多くした方が、
心地いいことに気付いたからです

1人でいると、
忙しさに埋もれていたことが見えてきます
嬉しいことや悲しいこと
何が必要で、
何が要らないのか
人も物も環境も

 

過剰な情報にさらされていると、
どうしても自分はボヤけてきます
不必要にこころを揺さぶったり、
買いたくないモノを買わせるための表現は、
触れていると疲れます

単純にモノが増えても、
わたしはたいして嬉しくないと知りました
音楽や美しいもの
こころに触れる言葉
小さくても身近な自然
お金をかけるなら、
そんな経験を広げてくれるモノを選びます

人間関係も同じです
トランスしたばかりの頃は、
周りから見た自分にばかり目が向いていて
人に囲まれることが安心だと思っていたけど
いくら人がいても、
それが安心じゃないことを知りました
大切なのは、
本当にこころを分かち合える人

 

情報を遮断して、
自然体の自分でいられる、
輪郭を意識する時間を持つようになって
必要なことは見えやすくなりました

自分の輪郭が分かっていれば、
他人に流されて大切なことを決めたり
要らない物を買ってしまったり
逆に手放してはいけないものを手放したり
必要もないのに縛られたり
そんなことは少なくなります

共に歩む人とは
無理強いせずとも添うことができるでしょう
お互いが大切だから
奪い合いではなく、
与え合うことができる

 

人によって距離の取り方も違えば、
やり方も違うと思うけど
1人で過ごす時間は大切なもの

そう思うのです


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あたたかく変わる人を見て

会うのが楽しみな人がいます
このところ言葉が変わって、
ひとつの方向を見ていると感じる人

思いや言葉は世界を変えてゆきます
これはオカルトなんかじゃありません
発する思いが意識を変えて、
それが積み重なるから変わるのです

なりたい自分を思い描き、
その自分が発するだろう言葉を選ぶことで、
自分も環境も確実に変わっていきます

 

 

ただ、
人がそう簡単に変わらないのも事実です
核の部分は動かず、
簡単に変わるように見えるのは表層の部分
深い部分ほど動きにくくて、
影響が及ぶのに時間がかかります

その人だって、
つらいことがないはずはありません
それまでの環境と思考の様式は、
その人を元に戻そうとするでしょう
それでも力のある言葉を選ぶことで、
周りをあたたかくしている

わたしはその人を才能豊かな人だと思うけど
努力を続けているのも見ています
その言葉や行動は、
特別だから出来ている訳じゃないと思います
たぶんそこにあるのは、
勇気と明確な意思でしょう

 

その人を見ていると、
自分にももっと出来ることがあるな、
そう思います
わたし弱くて流されやすいから、
自分でお尻叩かないといけないけど笑

身近な人が意思と勇気で、
自分と周りをあたたかく変えてゆく
そんな姿を見ていると

わたしもそんな風に、
人を力付けられる光を発してゆけたら
そう思うのです


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アドバイスはアドバイスでしかない

どんなアドバイスを受けても
その人が変わろうと思わない限り、
何も変わることはありません

幸せのかたちも人生で何を掴むかも、
誰かではなく自分が選んでゆくもの
そう思います

 

アドバイス
難しいなって思います
自分の経験に照らして、
心配になったりして
つい言葉をかけたくなる

気付きのキッカケになるのは、
アドバイスのよい側面でしょう
違った角度からの光は、
新しい世界を広げてくれます
人の違いの素晴らしさですよね

ただそれがどんなものであっても、
決めるのはあくまでその人
他の誰でもないのだと思います

幸福も他人に決められるものではありません
どんな状態に幸福を見いだすか?
それを決めるのもその人です
他人から不幸に見えても、
本人が幸せなことはいくらでもあります

 

全て自分の選択で、
人生は作られてゆきます
答えは必ずその人の中にあるから、
アドバイスは助言でしかない
わたしはそう考えます

アドバイスで未来は変わるかもしれないし、
変わらないかもしれない
幸せになることも不幸になることも、
どちらの可能性もあるでしょう
それで不幸になったとして、
アドバイスした人に責任はあるのか?

あるわけがありません
行動を選んだのはその人で、
結果を不幸と受け止めたのもその人だから

 

過去の自分の『アドバイス
押し付けだったものもあると思います
そんなの余計なお世話
その人はこちらに反感を感じるだけで、
決して変わりません

言うこときかないと怒る人もたまにいるけど
自分で進む先を決めることが出来るのは、
人の素晴らしさの1つ
ムリにでも言うことをきかせるなら、
その人の意思は必要なくなっちゃいます

押し付けのアドバイスは、
害悪と変わりません
アドバイスはアドバイス
それ以上でもそれ以下でもない

アドバイスする側も、
される側も
それは忘れてはならないのだと思うのです
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何もしなくたっていいじゃない?

何もしない時間は、
何もしてないわけじゃありません
その人に必要だから、
そうなっていること

ムダな時間は何一つないから
自分でそれをムダにしてしまわないこと、
それが大切だって思います

 

ここしばらく、
夜はお休みモードが続いています
お仕事が忙しいのもあるけど、
旅の疲れがまだ抜けきってないみたい

幸い筋肉痛はほとんど来ませんでした
それほど体力も落ちてなかったようで、
少し安心したけど
反面で、
回復に時間がかかるのも感じます

やりたいこともあるけど、
こんな時は一時お休み
ムリしても楽しくないし、
何より眠くなる
これでは勉強も頭に入らないからです

 

楽しんだり学んだり、
何かに打ち込んだり
そんな時間は人生を輝かせてくれますね
時間も飛ぶように過ぎて、
充実感も大きい
そういうことは苦にならないし、
頑張りもしないで続けられるけど

それでも人は疲れるものです
休むときはしっかり休まないと、
いつか回復量を疲労が超えてしまう

一見何もしてない時間って、
ダメなことのように言われるけど
わたしは構わないと思っています
何もしたくない時は、
そうである理由があるものです
たとえ具体的に意識に上らなくとも

活動の時間をより強く輝かせるには、
影としての休息の部分が必要です
こころの疲れは外から見えないから、
より注意が必要かもしれません
頑張っちゃう人は余計に元気に見えるから、
余計に疲れも深くなるでしょう

 

大切なのは、
休む自分をダメと思わないこと
それは必要なことで、
必ず次の芽吹きにつながることです

自分で「ムダ」とレッテルを貼ることで、
経験はムダなものになります
頑張らなくていいから
何もしない時間もあっていいから
全部ムダなんかじゃないから

そう思うのです


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