気持ちがザワつく時は

丁寧にいこう

周りに大きな変化はないのになぜかザワつく
そんな時よく思います

理由はいろいろあると思うけど、
こういう時は自分が加速してると思うから
そのスピードに、
周りがついて来てないと思うからです

 

速い人からゆっくりな人まで、
人にはみんなペースがあります
周りの環境は、
普段のスピードに合わせて作られる
無理なく動くよう最適化された状態です

ザワつきを感じると言うことは、
何かストレスがあるからでしょう
周りに変化がないのであれば、
摩擦は自分から生まれている可能性が高い
自分が変化を実感しているのなら、
なおさらです

変化のただ中にあると、
目配りしないといけないことが増えます
同じ時間で解決しないといけないこと、
増えるわけですからね
余裕がなくなって、
普段やっていたことから丁寧さが失われたり
そんなことも起きます

 

今ある環境は、
これまでのわたしを支えてくれたもの
人が変われば環境も変わることはあるけど
だからと言って感謝は忘れたくありません
たぶんここで大切にしないといけないのは、
こちらの方だと思います

新しいことは新鮮でおもしろいけど、
物事の価値はむしろ逆
何でもない、
当たり前の中に潜んでいます

当たり前のありがたさを忘れて、
足元が崩れ落ちるようなことの無いように

手の届くことを大切にして、
丁寧に毎日を積み重ねていこう
そう思うのです
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他人のことは他人に任せよう

人は他人との関わりの中で生きてるから、
どうしても人のことが気になるけど

自分を曲げてまで、
他人を気にすることもない
他人のことは、
他人に任せておけばいい
そう思います

 

他人からのリアクションは、
大きく2つに分かれます
関心があるか無関心か
関心がある人は、
これも2つに分かれる
好きか嫌いかです

自分をしっかり持てば持つほど、
関心をひきつける力は強まります
その結果、
好き嫌いもハッキリ分かれるようになる

何をしても気に入らない人というのは、
必ず一定数いるようです
なぜかこちらの行動は、
善意とは言えない部分で解釈される
意思疎通の積み重ねが難しいから、
反応を変えるのも難しい

反対に、
肯定的に見てくれる人もいます
こちらを信じて、
行動の意味を好意的に考えてくれる
判断にこちらの人柄が加味されるから、
信頼の積み重ねにつながる

キッカケになる出来事が、
どこかであったかもしれません
単に相性とかタイミングとか、
そんなものかもしれない
相手の思い込みの強さも、
影響を与えるでしょう

いずれにしても
人は同じ出来事から、
正反対の意味をも読み取ります
言葉や出来事に意味付けするのは、
アクションを受けた側のすること
否定であれ肯定であれ、
こちらは何も変えられません

 

ここで状況を変えたいのなら、
出来るのは自分を変えることだけです

諦めないのは選択肢の1つですね
関係改善の可能性は残るから、
悪くない選択でしょう
ただ痛みへの覚悟と忍耐は必要になるし、
その日は永遠に来ないかもしれません
ダメでもそれは相手のせいではない
選ぶのなら、
それでもいいと思わないといけないでしょう

適切な距離を見つけるのは、
もう1つの方法です
傷を負い続けないようにするために、
こころを守る必要もあるからです
これは意思疎通の機会を減らすから、
両刃の剣でもありますが
お互いが刺激しあう状況は避けられる
消極的ではあるけど、
1つの解決策ではあります

何が正しいとも思いません
理不尽なことってあるもので、
正論ばかりじゃ人は壊れますからね

ただどんな行動も自分が選んだもので、
結果は誰のせいでもない
選んだのなら、
そこに懸命に向き合わないといけない
これは変わりません

 

人はみんな、
その人なりにがんばっているものです
そんな中で他人を気にしすぎていたら、
それだけで疲れてしまいます

人生の主人公は自分です
毎日耐えなきゃいけないこと、
やらなきゃいけないことは多いもの
全てのことに力を割く余裕はないのだから

他人のことは他人に任せて、
必要以上に気にしない
そんなことも大切なんだって、
そう思うのです
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何しにお仕事来てるのか

お仕事がんばってるのに、
手を抜いてると言われたり
見てもいないことを決めつけられたり
そんな経験があります

わたしからすれば、
会社には仕事に来ている
だから見られてなくてもお仕事します
それがなぜだか信じてもらえなくて、
歯がゆい思いをしたのを覚えています

何でそんなことになったのか?
誤解される原因はあったかもしれないけど
正直よく分かりません
ただ周りを観察していて、
気付いたことはありました

 

わたしを信じなかった人は、
「させられている」人か、
言うとおりの行動パターンを持つ人

「させられている」人は、
自分で行動を選んでいません
言われたことをイヤイヤやってるから、
自分と同じに見えない人が気に入らない
「わたしはやらされてるのに、
そうしないお前はズルい!」
. . . こんな人ですね

言うとおりの行動パターンの人は、
自分がしていることを他人に投影します
自分がサボる人は、
他人もサボると思う
自分の仕事が嫌いな人は、
周りも嫌なのだと思っている

そもそも自分にないパターンは、
人は思い浮かばないものです
だから疑う人は、
自分がそういう人と言っているようなもの
分かりやすい人だなーと思います

この二者はたいがい重なっています
やりたくないことを自分で選んでるのに、
やらされてると思ってる
周りに自分を投影して、
脚を引っ張り合う
自分の人生を生きていない人です

 

お仕事していれば、
いろんな人と働くことがあります
いつも自分に都合よく運ぶとも限りません
そこで何を選ぶか
これで自分のその後が決まります

行動も態度も、
誰かに選ばされるものではありません
自分が行ったことは、
全て自分が選んだこと
そんな意識があるなら、
周りにどんな人がいても、
目の前に集中することが出来ます
周りと違う道を選ぶならこちらへ

腐って行動を投げれば、
周りの言葉を裏付けることになります
これは今までの最良を選ばないということ、
そこまでのやり方を変えるということです
周りに合わせた道を選ぶならこちら

何を選択しても構わないのです
結局は自分の人生ですから
ただその場との関わりが終わったとき、
自分に残るものは確実に違います

 

自分を捨てたら、
そこに何が残るのか?
わたしは思います
ある人と他人を分けるのは、
捨てない価値があるかどうかです

誤解されるのはつらいことだけど

自分の誇りは捨てないで、
胸を張って進んでいこう
そう思うのです
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夜の不安に掴まれたら

夜になると、
たまらなく恐ろしくなることがあります
今やってることは間違ってるんじゃないか?
不幸に突き進んでるんじゃないか?
未来に希望が持てず、
すぐにとって返したくなる

こんなとき見える現実は恐ろしいものです
不安で作られた現実は、
自分にとって最も恐ろしい姿
起きてほしくない妄想だけで作られた、
歪んだ現実の似姿だからです
しかも不安は考えるほど大きくなるから、
強さははかりしれません

こんなのまともに相手しても、
まず勝ち目はありませんね
すぐに打ち負かされて、
破壊的な判断を下してしまう
過去そんな風にして、
わたしは大切な人をずいぶん傷付けました

 

夜の闇の中では、
見えないことが多すぎるのです
こんな時は戦略的撤退
判断の保留が最良の選択です

夜感じる恐れは、
自分自身の弱さに他なりません
不安は身を護ろうとするこころ
警戒心から来ています

アクティブな昼なら動いて対処出来るけど、
休息中はそれが出来ない
だからどんどん膨れ上がって、
恐れだけがつのってしまう
夜の不安なんて、
せいぜいそんなものです

撤退の理由は他にもあります
弱気はけっこう生理的な部分もあって、
いくらかの睡眠や、
お腹が満たされることで軽くなったりする

気付いた時は、
さすがに笑っちゃいましたが
そのくらいテキトーなものなのですね
結局のところ、
不安に力を与えてるのは自分自身です

 

現実には必ず複数の側面があります
何か1つ可能性があれば、
対になる可能性もまた同じだけある
不安にこころを掴まれていると、
片方しか見えなくなるけど
大切なのは選択肢があることを知り、
自分の意思で選び取ることです

もちろん不安をもとに判断してもいいけど
不安に支配される人生に発展性はありません
「恐ろしいからしない」がベースで、
結局何も残らないからです

空腹や疲れでコロコロ変わるようなものに、
人生預けていいのか?
これにイエスもないですよね
人は動物ではないのだから、
不安に負けて判断してはいけないのです

 

人生のマスターは自分自身
未来を行動して掴み取るのも自分自身です
大切な人を、
自分に負けて傷付けないためにも

夜の不安に屈したりはしない
つまらない判断は下さない
そう思うのです
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トランス年齢なんて飾りみたいなものよ

人が幸せになれるかは、
年齢なんかじゃ決まりません

幸せを決めるのは自分のこころ
だから他人の言葉なんて気にする必要はない
そう思います

 

昨日Twitterで見た言説
トランスウーマンを花になぞらえたもので、
年齢毎に分けている
曰わく、

『ハウス -12
 極早生 12-15
 早生  15-18
 標準  18-24
 晩成  24-35
 極晩成 35- 』

分からない人に説明しますと. . .
「男性→女性のトランスジェンダーは18~24にトランスするのが標準」として、
それ以前とそれ以後に分類してる訳ですな
わたしゃ40だったから極晩成ですか笑

若いほど生来のホルモンの影響は少ないから
反対の性に移行するとき有利に働く
そんな考えがあるのは知ってます
わたしもトランスの端くれ
気持ちは分からんではないけど

こんなこと書いても、
それを読んでも役には立たないでしょう
せいぜい自分の位置を確認して、
一喜一憂が関の山
それでも安心はどこにもないはずです
他人との相対的な関係で幸せをはかっても、
それは瞬時に逆転するからです

 

わたしは30過ぎて異性装に踏み込んで、
40過ぎて薬で身体を変えました
失ったものはあるけど、
それでも今自分は幸せと言えます

周りが何か言うこともありますよ
揶揄する言葉を目にすることもある
まあ大きなお世話ですよね
幸せは自分のこころが決めること
他人に決められるものではないからです

トランスは人生の一大事には違いないけど、
それ自体は単なる通過点
目的じゃありません
それじゃトランスの目的は?
わたしは人生をより良くすること、
そう思ってます

身体つきが変わっても、
名前を変えても、
戸籍まで変えてみても、
そこには事実以上の意味はありません
それを実現することで幸せは保証されない
何が幸せかは自分が決めるもので、
外にあるものじゃないからです

「もっと~だったら」
人は往々にして思うけど
叶ったところで別の不満に囚われるだけ
それじゃ終わることのないマラソンです

 

個人の考えですからね
好きにすればいいと思うけど
楽じゃなさそうだなと感じます
わざわざ自分で不幸の種を集めてる
たぶんこれを書いた人も、
周りから信じ込まされている
罪深い話です

わたしたちがすべきは、
その時を懸命に生きることです
どんな選択も、
人生を良くしようと考えてするものでしょ?
なら他人の言うことに左右される必要はない
人に口出しすることでしか安心出来ない輩は
ほっとけばいいのです

懸命に生きれば、
幸せは勝手についてきます
だから自分の外なんて気にせずに、
胸張って生きてほしい
そう思うのです


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本当に答えはないの?

こだわりで苦しんでる人がいます
一生懸命言い訳したり
周りに理解されなかったりして

人にはいろいろこだわりがありますね
そのこだわりが人を作るし、
何を選ぶかはその人の選択だから
それは構わないんだけど

難しく考え過ぎ
物事は意外とシンプル
わたしはそう思います

 

何かがイヤでたまらない
同性を好きになった
誰かが思い通りにならない
そんなお話をよく聴きます

たいがいそういうお話は、
やたら込み入ってるように見えます
八方ふさがりで手詰まり
本人はそう感じているのでしょうね
困ってる様子はよく分かるんだけど

外から眺めると、
その人が答えを避けているだけ
前提や囚われがあって、
そこにある答えを見ていない
複雑怪奇な現実を作ってるのは、
その人自身だったりします

 

答えを出すのが怖いのかな
そんな様子を見ると思います
どう思ってるの?
そこ突き詰めると、
意外と答えはハッキリしているから

なのに答えが出ないのは、
「しちゃいけない」で自分を縛ってたり
道は1つと思い込んでいたり
何重にも言い訳を張り巡らせて、
認めない自分を隠してるからです

以前はわたしもそんなとこ、
いっぱいありました
特にトランスのことはそう
「出来ない」で自分を縛って、
自分を悲劇の主人公みたいにしてたから
気持ちは理解出来ますが

 

物事って突き詰めると、
そんなに複雑じゃありません
イヤなことは止めればいいし、
同性だって好きなら構わないと思うし、
他人が思い通りにならないのは当然だから、
あとは自分がどうするかだけだし

もちろん簡単に出来ないことはあります
ただ自分が前提にしていることが、
本当に越えられないものなのか?
疑ってみるのも悪くないと思うのです

越えてみると、
それはハードルでも何でもない
そんなのはよくあること

人は楽に生きられるなら、
その方がいいのです
つらいことはいっぱいあるし、
やらなきゃいけないことも多い

なかなか出来ない
そんな自分を出来るところまで引き上げて、
ぱっと花開いた
そんな人も身近にいて
こだわりを脱ぎ捨てた人の身軽さは、
本当に素敵なものだから

 

そのこだわりは自分を楽にしているのか、
それとも辛くしているのか
辛くしているのなら、
それは軽く出来ないのか

考えてみても構わないんじゃないかって、
そう思うのです
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不幸の種は探さないでいこう

幸せの種も不幸せの種も、
そこらじゅうに散らばっています

物事から何を見いだすかは、
自分で決められるのだから
今あるものを大切にして、
わざわざ不幸せの種は探さずにいこう
そう思います

 

TwitterFacebook
再び血を通わせ始めてしばらくが経ちました
特にTwitterは、
今までと使い方を変えた部分があって
戸惑いもあったけど、
やっと自分のペースが出来てきました

遠くでキラキラと輝いてる、
仲の良さそうなグループ
楽しそうなんですよね
自分もそんな中に入れたら楽しいかな?
最初はそう思って、
コメント入れたりしてたんだけど
なんだか違和感がある

当たり前ですが
関係性が全くないから、
向こうはこちらが分かりません
血の通った交流がほとんど発生しない
ああ自分は違うんだなって、
すぐに気付きました

 

わたし今まで公式のTwitterアプリを使わず、
サードパーティーのものを使ってました
そのアプリ、
情報収集には便利なんだけど
自分のアカウントへの反応が分かりにくい
ハートくれる人なんて気付きませんでした

公式アプリでお知らせを見るようになって、
気付くことがありました
ちゃんとわたしの発信を見て、
反応してくれてる人がいる
大切にするべきは?
遠くのお星様じゃありませんよね

手元にある宝石も、
磨かなければ石くれのまま
輝きに気付くことはないでしょう
最初から遠く光ってる石はきれいだけど、
それはわたしへ向けられた輝きじゃない
それがよく分かりました

 

人は見たいことを見る生き物です
その時の気分で、
同じ物事から幸せも不幸せも見いだしてくる

今までのわたしは無いものに目を向けて、
不幸せを見いだしていました
外ばかり見ているから、
手元の宝石に気付くはずもない
どこまで行っても飢えに渇いたままです

でも大切なものは、
ちゃんとそこにありました
幸せって追いかけても絶対見つからないけど
在るものを数えればそこにあるもの
分かってるつもりだったけど、
分かってなかったんですね
周りから大切なこと、
また教わりました

 

Twitterはやっぱり不慣れだから、
まだどうお返ししていけばいいのか
ちょっと分かりません
気が付いたらちゃんと読んで、
気持ちが動いたらコメントする
そんな当たり前のことしか出来ないけど

せっかく幸せの種があるのだから
わざわざ不幸せの種は探さない
できるなら幸せの種を相手にも届けていく

そんな小さなことを積み重ねていこう
そう思うのです
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