大切に味わって食べよう

あとどのくらい食事できるのかな
そう思うと、
1回の食事が特別なものになります

自分に食われて命を落とすことになった、
目の前の生き物
ちゃんと命を意識して食べよう
そう思います

 


ぬか漬け美味いよ

このところ、
ぬか漬けにはまってます
前に教わって作ったぬか床、
しっかり乳酸発酵してくれて
今では毎日大活躍です

ご近所の農家さんから買ったニンジン、
ゴボウやネギ
タケノコも美味しかったです

スーパーで売ってるものだと、
パプリカにアボカド、
カマンベールチーズやサーモン
干し椎茸や昆布
グリーンアスパラ

もちろん定番のキュウリやナス、
カブも鉄板ですね

私見ですが、
ぬか漬けはクセの強い野菜が引き立ちます
セロリとかミョウガなんか美味しいです

 


オリーブオイルと塩

大豆の水煮を食べるようになって、
豆の味を知って
豆腐の味が豆の味なんだって知りました

会社の近くに豆腐屋さんがあって、
毎日作りたてを食べられたのもラッキー
オリーブオイルと塩で食べる
そういう豆腐の美味しさも分かりました

お豆腐をスーパーで買うときは、
少し高いお豆腐を選ぶようになりました
高いと言っても¥200くらいですが、
それでもかなり味が違うの

お刺身でも野菜でもそうだけど
素材の味がしっかりしていると、
シンプルな味付けで十分美味しいです

 


組み合わせても美味しいよ

ぬか漬けもオリーブオイルと組み合わせると
ちょっと変わった表情を楽しめます
古漬けの酸味もいいアクセント
刻んで豆腐に添えたりしてもいい
味付けがシンプルなので、
フレッシュなお酒の味も邪魔しません

シンプルな味もいいなと思うようになって
楽しみの幅が広くなりました

しょう油はほんの少しが好き
甘味が引き立つように感じます
味噌は香りが好きです
朝のお味噌汁は幸せですよね
ごま油はよりコクが出てくる感じがします

この辺に合わせるお酒は、
ちょっとしっかりめにシフト
ここにお出汁をどう組み合わせるかで、
味の幅も広がるように思いますが

ここまで来るとわたしにはよく分からない
奥が深いなって思います

 


まとめ:目の前の食べ物を大切に味わおう

わたしは何かに食われて死にたくないです

わたしに食われる生き物たちだって、
生きてる以上はそう変わらないと思うけど、
わたしに食われて命を落とす

そんな目で食べ物を見るようになって
1回毎の食事が、
前より特別なものになりました

美味しく食べるのは大切なこと
それは自分にとっても、
食われる命にとってもです

「お腹減ったら食べる」が基本の今のわたし
目の前の食べ物をゆっくりと、
大切に味わって食べよう

そう思うのです

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花想容に行ってきた:その2~ガラスのアクセサリー作りに挑戦!

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日曜日
http://xgender-isao.hatenablog.com/entry/2019/05/17/172304
本郷の『花想容』で、
小さなお茶会を楽しんだ後のこと

お茶会だけでもぜいたくな時間でしたが
この日は特別な企画で、
ガラスの帯留め作りのワークショップ、
やっていました

物作り好きの血が騒いじゃいますねぇ
予定も特になかったし、
製作時間は15分程度とのこと
即参加を決めました

 


ガラス棒切断

作り方は簡単に言えば、
トンボ玉に使うようなガラスを切り並べて、
焼いて溶かして一体化させるだけ

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こんな風にいろんな色のガラス棒がいっぱい
ここから好みの色を選び出します

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サンプルいっぱい
この中から好みのパターンを選び出して、
ガラスの並べ方を教わります

並べ方で表情は大きく変わります
わたしは横に並べて作ることにしました

ガラス棒の切断は、
ディスクニッパーと呼ばれる工具を使います
初めて見たけど使い方は簡単
ガラス棒を挟んだら思い切ってパッチン!
破片が散るので紙箱の中で切りました

わたしは帯留めにはしないので、
あまり深く考えませんでしたが

裏側に付ける金具の位置に、
透明なガラスを配置しちゃうと、
表から金具が丸見えになっちゃいます
ある程度完成を見据えて、
レイアウトを考える必要もありますね

 


焼成

さて焼き方ですが
銀粘土を電子レンジで焼くために、
考案された道具を使います

というわけで加熱は電子レンジ!
火を使わないで出来るんですねー
これはちょっと感動
自分でもやってみたくなります

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専用のシートの上にガラス棒を並べて、
これまた専用の容器に入れて電子レンジへ

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何分か加熱したら形を整えてもらいます
この時点ではまだ余熱で赤く見えますね

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急速に冷えて割れるのを防ぐために、
この日は受け取らずにゆっくり冷却
作ったものは後日郵送で届きました
トップの画像が完成品ですが
美味しそうな仕上がりになりましたね

 


まとめ:好きなことは本当に楽しい

子供の頃
おやつのゼリーとか好きでした
透き通ったものと光の表情
携帯で写真を撮ってても思いますが
いいなって思います

美味しいもの
その場所の空気
美しいもの
楽しいこと

これだけ揃えば間違いなし
こういうことは記憶に残って、
過ごしたことの忘れられない1日になります

本当にいい1日になったな
そう思いました

 

 


 

花想容に行ってきた:その1

花想容に行ってきた!

日曜日のこと
本郷にある和服屋さんの『花想容』
行ってきました
http://kasoyo.com

花想容は去年まで目白にありました
古民家を利用したお店で、
カフェ営業をしたり、
和服に関するイベントを開いたりしてた
服を見るのが楽しくて仕方なかった頃、
よくお世話になりました

今年に入って、
本郷でお店をまた開いたとのこと
2ヶ月に1度のお茶会が開かれるので、
その機会にお邪魔しました

 


和の美しさ

和服とそこに関わる日本の文化
いいなって思います
藍染の色合い
小物の面白さ
反物の美しさも、
ついつい見ちゃったりします

和服はほとんど着てません
持ってるのはデニムの野袴を一本
あとは弓を引いていたときの道着くらいかな

服は好きだから気になるんだけど、
やっぱり手入れが難しそう
洋服と比べると、
まだハードルの高さを感じます

和服を着る生活
悪くないようにも思います
お勉強してみようかしら?

 


小さなお茶会

花想容では、
定期的に『小さなお茶会』を開催しています
『小さな』と銘打ってはいるけど
ちゃんと炉の切られたお部屋で、
釜に湯を沸かしてお茶を点ててくれます
今はもう5月なので炉は閉じられて、
風炉になっていましたが

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バラの花をかたどったお菓子

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柳に燕の茶器も美しい

「青山緑水」の書と芍薬の花
釜の湯の沸く音
甘味のあるお茶をゆっくりと楽しみました

 


まとめ:好きなことはやっぱり楽しい

好きなものに囲まれて、
好きなことを楽しむ

こういう時間を過ごすと、
ああ生きてるなって感じます
こんな実感の一つ一つが積み重なって、
人生を豊かにしてくれますね

この日は実はこれだけでは終わらず、
楽しいワークショップも体験しました
ちょっと長くなるので、
次に書くことにします

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自分の目で見て信じよう

座席での盗難ってそんなに起こる?

『手荷物にご注意ください』
そんな注意書きを目にすることがあります

盗難
そんなに起こるものなのかと思ってたけど
そのまま席を離れる人
かなり普通にいるんですね
ファミレスを利用する頻度が上がって、
遅まきながら分かりました

パソコンも手荷物も全部そのままで、
おトイレとか行っちゃう
よく心配じゃないなぁと思います

 


無条件に信じていいの?

人を信じることは大切
よく言われることです

確かに人を信じないよりも、
信じることが出来るのは尊い
わたしもそう思いますが

不特定多数を無条件に信じることは、
誰も信じないのとたいして変わりません
何を根拠に人を信じるか?という視点が、
抜け落ちている
ある種の決め付けだからです

 


何を信じるかを知ろう

自分が何を信じ、
何を信じないかを知る
その上で時間をかけて信じる対象を選ぶ
大切なのはここでしょう

相手をすぐに信じようとする背景には、
決め付けの要素が入っています
そう簡単に人が分かるはずはないからです

判断を放棄して、
都合の良い姿と決めてかかる
それが賢明とは言えません

わたしは人の善意を信じますが、
人の弱さも知っています
根っからの悪人でなくても、
誘惑に負けてしまうことはある

全ての人に誘惑に抗う意志があることは、
わたしは期待しません
自分の中に、
同じ弱さがあるのも知っています

確かに信じることは大切ですが
何でもかんでも信じればいいわけじゃない
そう思います

 


まとめ:自分の目で見て信じよう

特に理由を付けず、
直感で信じることもあるでしょう
自分でそうしていることを知っているなら、
それはそれで構いません

人生に「誰かのせい」はありません
基本的に全てのことは、
自分で選んでいること
問題が起きるとすれば、
それは自分で何を選んだのか知らない時です

無くなったら困るものを放置して、
何か起きたら

盗られたのだとしたら、
持って行った人がいちばん悪いのは、
言うまでもありませんが
自分で選んだ結果であることも、
無視していいものではありません

何を信じ、
何を信じないのか
それを知って、
選んだ自覚を持って行こう

そう思うのです

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認められるためにがんばらなくていいと思うの

がんばるのは自分がやりたいから

認められることは結果であって、
目的じゃないから

認められるために、
ムリしてまでがんばらなくていいんよ?
そう思います

 


がんばれって言ってほしい?

「がんばれって言ってください」
そんな言葉を聞きました

周りから遊んでると思われたくない
もっとがんばらないといけない
そう思うからって

 


みんなもうがんばってるよ

そんなにがんばらなくていいのにな
わたしは思います
みんなもう十分がんばってる

わたしもそうだったから、
気持ちは分かりますが

もっともっと
そうやって外から追い立てられて、
自分でも追い立てて
それじゃ休まるヒマがない
しんどいばっかりです

こういう人は意外と多い
というか、
使う側からすれば便利だから

「がんばれば認められる」
「認められることに価値がある」

社会でそれが正しいと言われて、
大きくなって
訳も分からず走り続けてる
こんな人ばっかりだなと感じます

 


自分を許してあげよう

言われ続けたこと
どこででも言われることは、
いつか自分も信じてしまいます
こころの奥に根を下ろして、
内面化されていく

誰よりも許してないのは自分なのです
自分の気持ちを投影して、
価値がないと思われそうに感じて
自分を許すことができない
だから「がんばらなきゃ」って思っちゃう

「がんばる自分なら価値を認めてもらえる」
という考えの奥底には、
「がんばらないと価値を認めてもらえない」
という価値観が隠れています

そんなことないのです
赤ちゃんが生まれたままでいいように、
人はみんなそのままで十分
他人に価値を認められなくても、
自分を許していいのです

 


まとめ:がんばるなら自分で

もちろん何かやりたくて、
がんばることもあるでしょう
それが悪いとは思いません

がんばったことは必ず自分に返ります
人生も、
一生懸命やった人にまっすぐこたえる
間違いないと思います

それを信じる
自分がやりたいからやる
それなら構いませんが

認められることは目的じゃありません
例え一時上手くいくことがあっても
評価を下すのが他人である限り、
価値がいつ覆るか分からない
気持ちが安定するはずもありません

承認欲求は誰にもあるでしょう
誰かに認められれば嬉しい
それもいいとは思うけど

がんばるなら自分がやりたいから
誰かに認められることや、
評価されることは結果
目的じゃないから

ムリしてまでがんばらなくていいよ
そう思うのです

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両輪のように進もう

周りを見ず、
独りで進んでいたら

誰かと足並みを揃えることはできません

相手を信じて、
行き先を共に見て
足並みを揃えて進んで行こう

そう思います

 


車の両輪のように

誰かと何かを成し遂げようと思ったら
2人が互いを認め合い、
足並みを揃えていかないといけません
同じ方向を向く必要もあるから、
進む先も共有する必要がある

ここでズレがあったら?
進む方向がバラバラで、
互いの性能をバカにし合って、
自分の速度で進もうとしたら??
上手くいくはずもない
そう思います

 


1人では1人以上のことはできない

個々にがんばるのは大切です
それぞれが自分に出来ることを精いっぱい
それは自分への信頼につながることだし、
周りへの心遣いでもある

目の前のことに精いっぱいぶつかった人に、
人生は応えます
たとえどんなことでも、
精いっぱいやったことの結果として、
幸せはやってくるからです

ただ1人で出来ることには限りがあります
どんなに手を広げても、
届く範囲には限りがある
考えることも、
自分の頭から出ることは出来ません

自分と違う個性とともにあることで、
新しい可能性が開けます
気付かなかった視点
自分とは違うアプローチの仕方

誰かと何かをする意味はここにあります
ぶつかるほど違いすぎず、
発展性がなくなるほど同じでありすぎない
だからこそそばにいるし、
ともに何かしようとするのだと思います

 


イラッとするのは侮りがあるから

人の話を聞いてイラッとしたり、
バカにされてると思うのは、
相手を侮っているからです
侮りの正体は甘えや軽視
関係性によってここは変化しますが

見上げるような人に、
何か言われたとして
よほどの決め付けでもない限り、
そんなことは感じないものです

自分の傲慢さ
ヒドいもんだなと思います
こんな状態で車輪を揃えられる?
ちょっとマズいよなと思います

 


まとめ:両輪のように

わたしは自分独りが楽しむだけじゃなくて、
もらったものを周りに返したいと思って、
お仕事を辞めました

今までのやり方は、
自分独りで歩いていくやり方
今まではそれで問題なかったけど
これから先は、
周りの助けが欠かせません

つい今までのやり方に固執したくなるけど
それじゃ何も変わらないでしょう
同じやり方には同じ結果
そんなのは分かりきったことだから

助けてくれる人を頼れるように
相手を信じて、
同じ方向を見て
足並みを揃えて進んで行こう

そう思うのです

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気持ちが下を向くときは

気持ちがちょいと下向きなう

少し調子の良くない感じがしてます
たまにこんな風になる
特に理由もありませんが

なんとなく自分のリズムが周りと合わない
お仕事してた時は、
強引に動いて元に戻してましたが
今は良くも悪くも時間があるから
自分に向き合っています

 


自分に目を向ける意味

というわけで
最近他人に思ったことを、
自分に当てはめる時間にしてます

自分が他人に思うことって、
たいがい自分にもそのまま当てはまります
あちゃーって感じです
恥ずかしくなるくらいです

あんまり自分を追い詰めるのも、
どうかとは思います
自分の内面を批判的に見始めると、
いくらでも追い詰められるからです

こういう時は、
自分が悪い訳じゃないことも思い出します
正しさはそれぞれにあるから、
良い悪いで考えるのに無理がある

その上で、
自分のどういう部分が嫌なのか
自分が嫌だなと思うなら、
変えて行く力になります

こういう機会でもないと、
ただ他人の嫌な部分で終わっちゃうから
自分に目を向けることには意味がある
そう思います

 


気が付いたら一歩目は踏み出してる

気が付かないことは変われません
気が付いたのだから、
もう一歩目は踏み出してる
あとはそのまま変わればいいんですよね

選択はどう自分が変わるか?です
「周りが悪い」状態だと、
自分が変わることに目を向けられません
その部分に関しては、
自分は悪くないと考えちゃうからです

自分に目を向けると、
正しさがいろいろあることに気付けます

答えを急ぐことに意味がないこと
他人を責める視点からは見えなかった、
思ったより良い部分
そんなことも見えてきます

 


まとめ:使える時間を有意義に過ごそう

自分の時間をゆっくり過ごす
そうすると、
どこかでスイッチが入る時がきます

今こうして書いていて
気持ちもすっきりしてきました

こういう時間の使い方も、
とっても大切です
お仕事してると難しかったけど
週末を使って、
ほとんど食べないでやったこともあるかな

こんな時間
悪くないと思うのです

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