自分の価値はそこにある

自分の価値は、
誰かとの比較で決まるものじゃありません

自分の価値を知り、
それを高めていけば、
他人の価値も見えてくるから

楽しく自分を生きること
大切だと思います

 


ランチパーティへ

昨日のこと
お友達のお誘いで、
とあるランチパーティに行ってきました

青山のビルの9F
プールのあるリストランテ
ドレスコードはイタリアンサマーリゾート

コーディネートは迷いましたが
なるべくビビッドに、
青と白をベースにすることに決定

上は藍染で青くした、
スウェーデン軍のスリーピングシャツ
下は白のレギパン
首元に赤い薔薇の折り紙のネックレス
手首に白い象のバングル
足元はカーキのレザーの靴

花柄を入れようか迷ったけど
印象がぼやけるのでオミット
服装は引き算だと思うので、
これは正解だったかな

会場は華やかな人も多かったですが、
まあ浮かないで済んだ. . かな?

 


人生を愉しもう

この会はモナコに住む加藤さんという人の、
「人生を愉しもう」
という考えに共鳴した人の集まり
エクスプローラーズクラブといいます

周りも楽しくしていこうとするから、
集まる人はみんなオープンですが、
無理強いすることもない
休んでいればそっとしておいてくれるし、
話しかければ気さくに応じてくれる

最初は大丈夫かな?と思ったけど、
余計な心配は無用
楽しく過ごせました

部活動もやっていて、
その内容がまたすごかったです
ヨット
ダンス
ペタンク
ワイン
狩猟
音楽

お金持ちの趣味って感じですねー
浮き世離れした感じもしますが
狩猟は前から興味があったので、
ちょっと惹かれるものがありました

 


余裕のある人たち

最近思いますが
こころに余裕のある人は他人を応援します
この会でも同じ
他人にマウントしようとするような人は、
1人もいませんでした

マウントする人は自信がないんですよね
自分の立場が脅かされないか、
不安で不安で仕方ない
だから他人を落とすことで、
自分の価値を証明しようとする

自分をちゃんと持っている人は、
自分の価値を知っています
だから他人の価値は自分と関係がなくて、
素直に応援できる

応援してもらえれば嬉しいものです
だから自然とこちらも気持ちを返したくなる
参加した会も、
この循環で回っているようでした

 


まとめ:自分の価値に他人は関係ない

自分の価値は、
他人との比較で決まるものじゃありません
人の価値は存在そのもの
そこにいることがいちばんの価値です

人生を愉しむ
このパーティで言われていたことは、
誰かとの比較の問題じゃありませんよね
自分がどれだけ楽しんでいくか
価値は自分の中にあります

パーティにはいろんな人がいました
経営者の人もいますが、
わたしみたいな無職もちらほら

貧すれば鈍す
生活に困るようになったら、
余裕もなかなか持てませんが
パーティに出るのがムリでも、
応援ならできるはずです

自分の価値を知ることが、
他人の価値を知ることにつながる
自分を高めれば、
周りも高めていくことができる

こんな輪を回していけるといいな
そうできるように、
楽しく自分を生きていこう
そう思ったお休みの1日でした

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過去は今を縛らない

過去を思い出してます

このところ、
自分の過去について思い出しています

記憶ってけっこう曖昧なもので、
その時によって思い出せることは違うし、
思い出せることの色合いも違います
経験の意味も、
結局自分が決めているということです

ものの見方が変わって、
自分の世界が大きく変わった
今はそんなことを感じています

 


過去が原因?

前のわたしは、
「過去が原因で今の自分がある」
と考えていました

いじめられてつらかったこと
結婚を考えたとき親に反対されたこと
お相手が急にいなくなって、
結婚が流れてしまったこと

他人との関係もそう
「この人が~したことが、
わたしにこういう行動をとらせた」
そんな風に考えていました

何か原因があって自分の行動が決まる
一見おかしくもなさそうですが、
今のわたしは違う考えで
過去はあまり関係ないと考えています

 


過ちを犯してしまうこころ

人は「悪」とされるようなことに、
手を染めてしまうことがありますが
何か原因があって、
そうなってしまうんでしょうか?

パーソナリティが作られた経緯や、
環境の影響というのはあります
虐待の連鎖みたいなものは、
それしか知らないで育ったことが、
大きく影響することが知られています

そんな極端な場合は、
考える必要があると思いますが

人には意思があります
自分の行動は自分で決められる
原因があっても、
環境や生育の影響があっても、
道を踏み外さない人はいます

結局のところ、
悪を為す人は自分に勝てなかった
立ち向かうことから逃げたのだと思います

一度逃げると、
立ち向かうのは難しくなります
それでも逃げ続けるか、
今すぐ立ち向かうか
選ぶことはいつでもできます

 


過去は鎖じゃない

過去に影響され続けることは、
鎖につながれているようなもの
そのつらさはもう目の前にないのだから、
縛られ続ける必要はありません

今なにものにも縛られていないなら
自分は何を選ぶでしょう?

人の人生は、
誰かに操られるほど安くありません
誰かのせいで、
人生がねじ曲げられたように感じていても
そこから離れることは今すぐできます

過去は鎖ではありません

 


まとめ:過去は今を縛らない

わたしの過去は、
それほど起伏に富んだものではありません
こころの中はガタガタしてたけど、
比較的穏やかだったと言えるでしょう

過去は今のわたしを縛りません
過去は過ぎ去ったもので、
そこにはそれ以上の意味はない
大切なのは今から起きてゆくことだから

過去を知って、
今を進んでいこう
そう思うのです

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熱量はどのくらい?

自分にとって目の前のことは、
どれだけこころを動かすのか?

自分の熱量を知り、
上手に運転していくこと
大切だと思います

 


熱量はどのくらい?

何かをするとき、
自分の熱量の高さを知ることは重要です

好きな気持ちや情熱を向けることは、
湧き出る泉みたいなもの
人にも好意的に伝わるし、
力も自然と湧いてきます

もちろん継続に見返りは大切な要素ですが
見返りがなくても気持ちを維持できるから、
困難を1つクリアしているようなもの
これがある人はラッキーですね

義務感みたいなものがベースだと、
やり方を考える必要があります

無限の泉はないので、
ムリすると枯れちゃうことになります
続けるには確実に燃料が必要ですから、
与えることには見返りが欲しいことも、
ちゃんと伝えないといけません

 


それって何のために?

行動の背後にある動機
これを意識するのも大切です

例えばダイエットなら、
単に「5kg落としたい」じゃなくて、
「この服を着たい」
「あの人に素敵な自分を見せたい」
というように

どんな行動にも、
自分の気持ちが動くポイントがあるはずです
人は気持ちで動きます
これは他人でも自分でも変わりません

目指していることに気持ちがつながらないと
「これ何のためにやってるんだっけ?」
となってしまいます

行動の背後にある気持ちを掴んでおけば、
くじけることも少なくなって
自分のしたいことがはっきりします

 


分かったら動いてみよう!

なるべく早く行動に移すのも大切です
こんなこと書いてるわたしも動けない人で、
チャンスを逃がしてばかりでしたが

行動の早さは熱量に比例します
「行動を起こさない」選択をするにしても、
そこには早くからこころの動きがある
何も考えず行動していないこととは、
雲泥の差と言えます

早く行動を起こしておけば、
その後で起こったことにも対応できます
イニシアチブもとれるでしょう

後手に回れば回るほど熱も冷めて、
イニシアチブはとれなくなります
「鉄は熱いうちに打て」と言いますが
これは本当にそうだと思います

 


まとめ:自分の熱量を知ろう

熱意の高さを知り、
何のための行動かを知り、
実際に行動に移していく

熱量が「高くなきゃダメ」じゃありませんよ
自分に見合った行動をしていくことが、
気持ちに余裕を生み、
行動も継続し、
自分への信頼感を高めることになります

当たり前のように聞こえますが
理想や「こうあるべき」で動いていて、
ムリしているように見える人
けっこう見かけるんですよね

自分にとって目の前のことは、
報酬がなくてもやっちゃうか?
見返りが必要ならどのくらいか?

自分の熱量はどのくらいかを知り、
適切に付き合っていくこと

大切だと思うのです

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マイノリティだって強くなろう

お友達の娘さんとお会いして、
LGBTとしての経験について、
お話しする機会がありました

ダイバーシティに関わることになったので、
当事者の話を聞きたいとのこと
考え考え話してきましたよ

 


30代の在職トランス

わたしは30代まで男性として生きていました
入社は24ですから、
在職中に変化していったことになります

最初は服装での表現から入ったので、
特に問題もありませんでした

どちらかと言うと、
内面化した自分の恐怖の方がやっかい
インナーに女性ものを着てたりすると、
周りの目が気になって仕方がない

見つかって何か言われたら?
怖くていっぱい言い訳を考えましたが

周りの人はそんなこと気にしてもいません
もし気付いたとしても、
それでとやかく言うことなんてない

もし言ってくるような人がいたら、
よっぽど自信のない人です
自信のある人は他人にあれこれ言いません
自分と他人の価値を、
分けて考えられるからです

だからここで問題だったのはわたしのこころ
自分を受け入れられなかった、
わたし自身だったのだと思います

 


40代で身体を変えました

40を過ぎて「もういいかなぁ」と思い、
身体に女性ホルモンを入れました

わたしは反対の性で生きたい訳じゃないから
性同一性障害の診断はおりません
少なくとも当時はそうでした
それで個人輸入で女性ホルモン剤を買って、
服用を始めました


話はズレますが
正直これはオススメできない方法です
特に反対の性別に移行したい人は、
過剰投与になりがちだからです
過剰投与で脳萎縮した事例も耳にしています

トランスはあくまで通過点
それ自体が目的ではありません
目的があるとすれば、
トランス後の生活で幸福感を感じていくこと

身体に悪影響が出てしまっては、
幸福感どころの騒ぎじゃありませんよね
薬の使用はすごく怖いもの
それは覚えておく必要があると思います

 


職場で困ったこと

社長が昔かたぎの人だったので、
分かってもらうまでが大変でした

社員面談で話を聞いてくれる機会があって、
事情はそこで話すことができたんですが
どういうことなのかは、
たぶん分からなかったのだと思います

髪の毛を切るように言われたし、
胸が大きくなってきた時は、
「そんなことは家でやれ」と言われました
ブラジャーをしてるとでも思ったのかな?
これは未だによく分かりませんが

しばらくして何も言わなくなって、
最後にはこう言ってくれるようになりました
「ちゃんと働いてくれるなら、
男だろうと女だろうと関係ない」
これは嬉しかったなぁ

わたしは真ん中自認なので、
女性としての扱いは求めませんでした
ワイシャツ+ネクタイ+スラックスも、
男装だと思ってやり過ごすことができたから
たいして問題もありません

ホルモンバランスが崩れたことで、
筋力が落ちていったり、
更年期みたいな症状もいくらか出ましたが
さほど困ったことはなかったかな
それがわたしの前職での感想です

 


まとめ:自分も強くなろう

自分の中の恐怖には、
ずいぶん長く苦しめられましたが
ここ3年くらいで克服できたと思います

マイノリティに関する問題解決は、
社会で関心を向けていくことも必要ですが
当事者の内面化した恐怖の克服や、
主体的に生きる意識を強くすることも、
課題じゃないかと考えます

誰かに貶められるほど、
あなたの人生は安くないということ
根拠のない偏見は信じるに値しないこと
理解できないことはあっても、
感じる痛みや悲しみは変わらないこと

そんなことが分かると、
多くの問題は問題でなくなります

乗り越えなきゃいけないことはまだあるけど
マイノリティもマジョリティも、
敵じゃないんだから
互いを思いやって、
人生楽しく生きられるといいよね

そう思うのです

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正しさに囚われると正しくなくなる

ワザとぶつかって行こうとする人

街で歩いているとたまに、
ワザとぶつかって行こうとする人を見ます

ターゲットはたいがい前を見ていない人
スマートフォンの操作や、
何かに気を取られている人

すすっと進路が変わってぶつかるので、
離れたところから見ているとよく分かります

人が集まるといろんなことが起こります
時には人を殺しちゃう輩まで出たりする
それなのに不用心過ぎない?
前を見ずに歩く人を見ると思いますが

ぶつかって行く方もたいがいだよな
そう思います

 


正しさは武器にも盾にならない

正しさは振りかざすものじゃない
わたしはそう思います

「正しさ」みたいなものに囚われると、
相手のこころは見えなくなります
そうなると物と同じ
何をしてもいい相手になってしまう

自分が正しいから相手を罰してもいい?

相手は人ですから、
「何をしてもいい」はありませんよね
みんな感情のある人
悲しみや痛みは自分と同じです

自分がされて悲しいことは、
基本的に人にはしない方がいいでしょう
正しさは武器にならないということです

正しさの矛盾もあります

自分を正しいとした時点で、
自分以外は正しくなくなりますが

正しさは人の数だけあるから、
自分を正しいとした時点で、
その正しさも崩れてしまいます
正しさは盾にするものでもないのです

 


向き合うべきは自分のこころ

自分はなぜ正しさに囚われるのか
そこに目を向ける方がいいと思うのです

他人に向かう怒りは、
こころの奥深く沈めた感情が表れたもの
自分がないがしろにされたと感じたり、
大切にされていないと感じたり
たいがいはそんな憤りの発露です

はっきり言って八つ当たり
向けられる方はいい迷惑ですし、
端から見てもおかしいとしか映らない

自分のこころと向き合うことを避けて、
それを他人にぶつける
誰もそんなのを見て、
正しい姿だとは思わないでしょう

正しさを振りかざしたくなったら、
向き合うべきは自分のこころなのです

 


まとめ:その時はその時限りだから

人との出会いはとてつもない偶然の積み重ね
奇跡と言ってもいいものです
その奇跡の末に出会った人に、
何をあげるか?

自分の人生に痛みと悲しみを残す人が、
嬉しくないように
わざわざぶつかって、
痛みと悲しみを残さなくてもよくない?

そう思うのです

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とにかくやってみよう

承前

 


答えを出しました

悩んでいたこと
進めることにしました
自分がニセモノかどうかを決めるのは、
他の誰でもない自分
そう思うからです

それにお仕事を辞めたのも、
できる理由を探そうと決めたから
出来ない理由を考えて止めたのでは、
元の木阿弥ってもんです

 


志縁塾の全国講師オーディション

志縁塾というところが開催する、
全国講師オーディション
https://akoshi.com/

これに出ます
直前だというのに決めたばかりだから
どうにもならなければ来年にまわしますが

有名講師になるような野望はないけど
100年後に伝えたいことはあります
やってみる価値はある
そう思います

 


話すとはっきりする

やるって決めてお友達に話したことで、
迷いはなくなりました

話すことって大切です
言葉にすることで、
思いに姿が与えられるからです
まず話すことは夢を叶える第一歩
これは間違いないでしょう

まだぼんやりとした不安は感じますが
これはいつでもついて回るもの
危険を察知しておきたい人の感覚が、
仕事をしてくれてるだけのこと
ためらう材料にはなりません

 


まとめ:とにかくやってみよう

100年後の未来に、
自分は何を伝えたい?

やってみなければ何も始まりません
自分のできることを一つ一つ積み上げて、
どこまで手が届くのか

やってみよう
そう思うのです

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自分の中にある答えは?

迷っていること

迷っていることがあります
踏み出せば間違いなく世界が変わる
見えていることも、
やってくることも、
わたし自身も大きく変わるでしょう

開ける可能性に対して楽しく感じる部分
これはもちろんありますが
自分の中に怖さがあるのも感じます
それが選択を留めています

 


自分の敵は自分

お仕事も辞めちゃってるし、
お友達は分かってくれる人たちばかり
みんな応援してくれるでしょう
迷うことなんてないんだけど
でもやっぱり怖い

何かを手放す怖さ
外にそれがないのだとすれば、
あるのは自分の内面
そう考えてやっと理解できました

わたしの中には、
自分を認め切れていない部分があります
ニセモノみたいに感じる自分
考えてみればわたしは、
いつもニセモノになることを恐れてました
そこを暴かれるのが怖いのです

 


話してみた

周りに迷いや恐れを話したら、
いろんな言葉が返ってきました

怖さを理解してくれる人
その上で自分の経験を話してくれる人
怖さは感じないって人もいました

全ては必然
自分がなぜ挑戦するのかが見えれば、
着地点は明確になる
覚悟がなければ、
成し遂げる原動力は生まれない

今はお友達のくれた言葉と向き合っています

 


まとめ:答えは自分の中に

選択を繰り返して、
人は未来に向かっていきます
ここで何を選んだとしても、
最良の選択として人生は続くでしょう

同じ悩みについて、
周りから話されたらどう答えるか?

「やってみればいいのに
できる理由考えれば大丈夫だよ
応援するよ」
わたしならこう答えるでしょう

自分の中に答えはある
自分の恐れにどう答えようか?
そんなこと悩んでいます

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