つまづいても気が付ければいいよね

それ何のために?

何のためにしているのか?
たまに忘れることがあります
手段に囚われて目的を忘れる
そんなとこです

例えばわたしなら
死ぬとき「いい人生だった」と思えること
これが大切なことです
生きる目的ですね

お仕事も趣味も、
美味しいものを食べたり飲んだり、
好きな誰かと過ごしたり、
何かしてあげることも
全部自分のよいと思える人生を作るため
これらは目的のための手段です

これが入れ替わっちゃうことがある
楽しくないのに誰かのそばに居続けたり
たいして美味しく感じないのに食べ続けたり
何のためにしているのか分からないお仕事も

気が付いて「!!」となること
たまにあるんですよねぇ

 


なんでそんなことに?

「何も考えてない」か「考え過ぎ」か
だいたいそんなところから、
取り違えは起きるように思います

あんまり考える習慣がないと、
場当たり的な行動が多くなります
目の前のことに注意は向くけど、
それでどうしたいのかが抜け落ちちゃう

考え過ぎる人は、
考えない人とタイプは逆ですが
気になる一点に注意を向けすぎて、
目の前しか見えなくなることがあります

どちらにも共通しているのは視野の狭さです
なぜそれをするのか
最終的にどうなりたいのか
たどり着く先が見えていないから、
迷い道に入り込むのだと思います

 


簡単でもいいから地図を描こう

カンペキに先が見えてないとダメ?
そんなことはないと思います
難しく考える必要はありません

わたしの目的地は上にも書いたように、
「死ぬ時『いい人生だった』と言えること」
自分はもちろん楽しくいたいし、
周りも楽しくいて欲しいです
お金はそんなにこだわらない
だから行動もそこに沿ったものになります

手近なことは解決すれば達成感もありますし
目標とするにはいいんですが
それはひとつひとつの道しるべで、
目的地じゃありません

ざっくりでもいいから
おおまかなところを決めるだけでも、
行動に迷ったときに助けてくれます
簡単でも地図を描いておくのは、
大切だと思います

 


まとめ:つまずいてもいいよね

過去はその時の最良の結果です
ひとつひとつの選択に当たった時、
みんな精いっぱいだったはずだからです

もちろん人は弱いものだから、
失敗したと思うことも起きます
でもそれは過ぎたことで、
変えることはできません

どうしても通り過ぎてきたことで、
しなければよかったと感じることがあるなら

次変えればいいんですよね
そこで終わりにしたり、
同じことを繰り返さなければ、
それは『成長』です

精いっぱい生きていれば、
幸せは勝手にやってきます
たまにはつまづいたって構いませんよね?

手段と目的も「入れ替わってない?」って、
たまに自分に聞いてみて
何かあったら気が付ければいいかな?

そんな風に思うのです

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趣味のはなし~ハエトリグモがかわいい

まだ小さな子供の頃
クモが怖かったのを覚えています

理由らしい理由は思い当たりません
噛まれて痛いクモってのも日本にはいますが
そんな目にあった覚えもないし
たぶん長い脚がわしゃわしゃするのが、
怖かったんだろうなと想像します

今はけっこうクモは好きです
益虫ですし、
よく見るとけっこうかわいいとこもある
むしろなんでそんなに怖かったのか、
子供のわたしに聴いてみたいくらいで

 


らぶりーなハエトリグモ

今日は『ハエトリグモ』を見かけました
クモは巣を作って待ち伏せするタイプと、
歩き回って狩りをするタイプがいますが
ハエトリグモは後者です

英語で『Jumping Spider』と言われるように
彼らは跳躍が得意です

身体は小さい(7mmくらい)し、
脚もそんなに長くないので、
歩くのは速くないんですね
それでジャンプ!
ちょこちょこ歩いてぴょーーーんと跳ぶ
そんな姿をよく見かけます

視力もいいみたいで、
獲物にも跳びかかって捕まえます
家の中では、
小型のハエとかGの子供を捕まえてます
彼らもやっぱり益虫なんです

 


『ホンチ』とか『座敷鷹』とか

人はいろんなものを戦わせます
牛や犬
ニワトリやベタ(お魚)
コオロギやジョロウグモも知られていますが
ハエトリグモも例外じゃありません

戦後の横浜で『ホンチ』って言われる、
ハエトリグモを戦わせる遊びがあったとか
いまでも『横浜ホンチ保存会』なる団体が、
ちゃんと活動してるみたいですね
http://honchiyokohama.blog.fc2.com/

江戸時代にはハエトリグモは、
『座敷鷹』なんて呼ばれていたそうで
飛行を制限したハエを獲物にして、
複数のクモで狩らせたんだとか

ハエの後翅は退化して、
平均棍と呼ばれるものに変化しています
これを取っちゃうとバランスを保てず、
ハエは上手く飛べなくなりますから
飛行の制限ってこれなんだろうなぁ

獲物にされたハエは哀れではありますが
ちっこいハエトリグモを鷹に見立てるとか、
想像力豊かだなと思います
あとよっぽどヒマだったんだろうなと

 


小さな隣人

戦わせたりしたいとは思いませんが
ちょこちょことした姿が好きで、
飼ってみたいなぁと考えたこともありました
調べてみると、
意外と飼育も難しくないみたいで

ただクモは生き餌を与えないといけない
今はペットショップで生き餌も買えますが、
そこまでしなくてもいいかなと思います
普通に家の中歩いてたりしますし

飼うことで分かる生態ってのもありますが
今は小さな隣人はそのままでいいかなと、
そう思っています

 


まとめ:いつまで会えるかな

今日はお昼で20℃くらい
日当たりのいい場所だと暑いくらいでしたが
それでも秋は深まっているのを感じます

柿やアケビがなっているのも見るし
夜鳴く虫たちも少なくなりました
徐々に外で見られる命が少なくなって、
冬がやってきます

命のサイクルの短い彼らと、
わたしたち人間と
生き方は違うけど、
同じ生き物なんですよね

彼らは生きることに手を抜かないでしょう
今年はいつまで会えるのかな?
ちょこちょこ歩くクモを見て、
そんなこと思うのでした

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してあげるのも、してもらうのも

このところの火曜日の習慣

最近ずっと、
火曜日は朝活に出ています
参加する人の予祝をしてあげる、
そんな内容の朝活です

初めはお友達が『志縁塾』開催の、
講師オーディションに出たいってことで
その応援から始まりました

毎週の繰り返しの中から、
徐々にブラッシュアップされてくのを見て
すごく力をもらえたのを感じました

 


予祝

予祝というのは、
聞き覚えのない方もいると思いますが
あらかじめ自分の叶えたい望みについて、
お祝いをしてしまうことです

あらかじめお祝いしておくことで、
自分の未来の姿が確かになってゆく
そしてそれが現実をしのぐものになったとき
願いは現実になる

「なんじゃそりゃ」って思う人も、
いるかもしれませんが
これ昔から日本にある考え方みたいですよ

脳科学や心理学なんかでは、
言われたことが人に影響を与えて、
言葉通りの現実を作り出しちゃうってことが
知られていたりします
ピーター・アーツを倒した大山 峻護選手も、
予祝をしていたことが知られていますし

人の信じる力は大きなものです
侮れないことなのは間違いありません

 


わたしが応援されてる!

さて冒頭の火曜朝活
今はわたしとお友達が出場したいと考えてる
『スター講師誕生』というオーディションの
練習がメインになっています

つまり予祝されてるのはわたしたち
これやってもらって改めて感じますが

すごく力になるのを感じるんです
応援してもらえるって嬉しい
自分の力も信じられるようになります

「ここがダメ」じゃなくて、
「ここがいい」
「こここうしたら良くない?」なんて言葉も
すごく力になります

もらったものはお返ししたくなります
というわけで周りに対する言葉も、
柔らかくなる自分を感じたりします

 


まとめ:もらったものは返したくなるね

人から受けたことって、
わたしはお返ししたくなります
今のわたしの活動も、
その辺が根底にありますし

そうやってお返ししていくと、
これがまた返ってきたりして
人のめぐり合いって、
面白いもんだなって思います

たぶんこれは、
どっちが先でもいいことです
もらったものをお返ししたくなるのは、
みんな大して変わらないから
先にこっちがあげちゃえば、
やっぱりいつか返ってくるんです

わたしはそういう人の温かさを信じていて
それがわたしの現実を作っています
だから

してあげるのも嬉しいし、
してもらうのもやっぱり嬉しい
それがいいんだなって、
そう思うのです

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言いたいことは1つに絞ろう

大崎二人会で話します

ずーっと参加していた大崎二人会で、
お話することになりました
それで話したいことを考えていますが

やっぱり難しいなぁと思います
言いたいことには順序があるから、
筋道立てて話したい
でもそれを言ってると、
時間も足りないし分かりにくくなる

ウンウンうなっていたら、
主催者のともみさんに言われました
言いたいことは1つに絞って、
それを広げた方が分かりやすくなるよって

 


何をしたいのかは大切だ

考えてみると、
これは他のことにも当てはまります
やりたいことや言いたいこと
思うことが絞り込めていないと、
何がしたいのか伝わらなくなります

講師オーディションのお話を考えていて、
イヤってほど分かったことです
絞り込みが足りなくて、
言いたいことが2つ入ってしまうと、
途端に内容がぼやけちゃう

テーマの絞り込みは、
何をするのにも大切なのだと思います
ずーっと前にあったこと思い出しますわ
あの子も素敵だけどあの子もかわいい
そんなこと言ってると、
絶対上手くいかないんですよねぇ

 


まとめ:言いたいことは1つに絞ろう

とまあそんなワケで、
複数あった内容の絞り込みをしています

見直してみると、
グチャグチャしていた理由も分かります
伝えたいことを1つ決めて、
言いたいことも絞り込む

届きやすい言い方は人によって違うから、
そこは肉付けを考えてボリュームアップ
それで上手くいくかしら?

知恵熱出そうな感じもするけど
もっと絞り込んでみよう
そんなこと思うのです

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ぼちぼち復活

少し長くおサボリしていました
ちょっと面倒なことがあって、
あんまりやる気が出なくて

「やらなきゃ」となっちゃうのも、
なんか違うかなぁと感じたので
自然にアウトプットしたくなるまで、
待つことにしました

もちろんアウトプットしてなくても、
生活は動いていきます
大きな変化もありました

 


お仕事探し

11月には失業給付も切れるので、
そろそろお仕事も始めたいなと考えました

もう10年以上前になるけど
ホームヘルパー2級(現在の初任者研修)を、
働きながら取得していました
前のお仕事を辞めたのも、
人助けみたいなことをしたかったからです

ただ自由な時間を確保して、
ある程度のお金も手にしたいとは思います

そんなに都合よくいかないよなぁと思いつつ
探してみると、
介護施設のヘルパーさんや、
病院の看護助手の求人はいっぱいあります

予想通り夜勤はお給金が高いけどしんどい
それで昼寝ていたら本末転倒ですし

 


宿直というお仕事

で気付いたのが『宿直』
夕方から翌朝までなのは夜勤と同じだけど、
夜の6~7時間は眠っていられる

お給金は実働時間に対して、
深夜の割り増しなんかがつきます
夜勤にこそ及ばないものの、
日給¥10000以上のものもそこそこアリ

ビル管理と障害のある方の施設で、
多く求人が出ています
わたしは後者を探すことにしました

 


で、決まりましたー

知的障害の方たちが一緒に暮らす、
グループホームというものがあります
働きながら自立してゆく支援をする施設で、
宿直はそこの世話人です

利用者さんが就労施設から帰ってくる夕方、
ご飯を作ってあげる
夜は眠って翌朝のご飯をまた作って、
就労施設に送り出してあげる
あとはお掃除とか洗濯とか

3カ所くらいに絞って見学させてもらって、
いいなと思うところに面接をお願いして
「ここがいい」と決めたところから、
その日のうちにお返事をいただきました!

 


まとめ:動くと進んでいくね

「ああここで働けたらいいな」
利用者さんと職員さんの様子を見て、
思ったことです
こちらのそんな気持ちを、
向こうも感じてくれたのかもしれません

細かいお話はこれからだけど
先の展望も開けてきました

動けば景色が変わる
よいものを選んで見ていけば、
世界も応えてくれる

もちろんお仕事だから、
たいへんなこともあるとは思うけど

未来は思いひとつでよくして行けるよね
そんなこと思うのです

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自己肯定感を上げるには?~⑯足し算でいこう

自己肯定感を高めるために、
どんなことをするのがいいか?

前回は
「何かが間違いというわけじゃない」
ということについて、
お話しました

正しいか正しくないかという視点に立つと、
何かが間違いになります
でも正しさは人の数だけあるもの
正しい正しくないという視点から離れると、
誰かを間違いにしなくていいから楽だよ?
そんな内容でした

さて今回は、
人のことは足し算で考えると楽である、
とういことについてです

 


減点はコントロールしたい人に好都合

誰かのことを考える時
あれができない、
これがダメだと、
できない部分を数えることがあります

この考え方は人を使ったり、
コントロールしたい時都合のいい考え方です

先に満点があって、
そこから引いていくから
どこまでいっても満点にはならない

減点の理由はいくらでも考えつきます
完璧な人なんていないから
好きなように、
相手も評価もコントロールできる
いつでも弱点を突けるわけです

 


人を活かすなら足し算

わたしは足し算の考え方が好きです
人は存在そのものがいちばんの価値ですから
最初に満点がある
ここにその人のいいところを数えて、
どんどん足してゆく
相手の評価がゼロになることはありません

だいたい減点の考え方って、
相手を下に見て、
物を品定めするような傲慢さを感じます

まあわたし自身が以前そんな感じで、
人の成長の芽を摘んじゃったことがあるから
余計にそう思うのかもしれませんが

 


自分と他人の扱いは同じになる

「情けは人のためならず」なんて言いますが
他人に向けたものは、
全て自分に返ってきます

これは引き算でも足し算でも同じことで
考え方に見合った評価が、
自分にも下されることになります

さらに「類は友を呼ぶ」と言われるように
周りには似た考えの人が集まります

もう少し違う見方をすれば、
違う考えの人は居心地悪くて離れてゆく
考えをもっともだと思う人が残るから、
周りが同じようなタイプの人で、
占められることになるのです

 


まとめ:どんな世界を作りたいのか?

どんな世界で生きて行きたいか?
そこに正直に向き合えば、
何を選べば良いのか自ずと答えは出ます

自分が周りから減点の扱いをされたいなら、
周りを減点していけばいい
加点で考えてほしいなら、
自分もそうしてあげればいいのです

あーそうそう
加点で行きたい人に1つ注意することを
最近、
「GiveとTakeはししおどしみたいだ」
という話を聞きました
ししおどしは水が溜まるとジャーっと流れて
「かぽーん」
って音がする竹のアレですね

Giveをあげ続けてもすぐには返らない
ある程度溜まってから返ってくるから、
すぐにあきらめないであげ続けるのが大切よ
そんなお話です

これわたしも実感あります
あげても何も返らないかもしれない
でもその怖さを超えてあげ続けてると、
ある時を境に空気が変わるのを感じる
そんなことが何度もありました

もちろん何も返ってこないこともありました
まあこの辺は、
だまされても突き進むお人好し専用かも笑


ともあれ、
選んだ世界中が現実になる
わたしは減点され続けるなんて嫌かなぁ
そう思うのです

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「ねばならない」は要らない

「ねばならない」は他を排除する考え
そこに柔らかさはないから

自分の好きになれない考えにも、
他人の正しさを見いだせる
そんな柔軟さを忘れないこと
大切だと思います

 

 

逆の方向を向いてるなと思う人

わたしと逆の方向を向いているな
そう思う人に出会うことがあります

「何かにならなくていい、
人はそのままでいい」
わたしが思うのはこうです

違う方向を向いてるなと思うのは、
「これが出来たら認めるよ」という人です
現状は認めない
価値観にそったものなら許す
そういうことですね

役に立つことが重要視される社会です
お仕事の文脈だと、
サービスの質を保つために選ぶ部分もある

こういう人は、
今の社会では上手くやれる人です
ただそれで幸せなのかな?
そう思うことがあります

 


深く根付いてゆく言葉

普段から考えていることは、
その人の言動に影響を与えます
脳は主語を理解しないと言われますが、
ここでもそれは同じこと

発された言葉は、
同時に自分にも向かってくることになり
強力な暗示となって現実を変えてゆきます

「出来たら認める」ということは、
「出来なきゃ認めない」ってことでもあり

「出来たら認めてもらえる」
「出来なければ認めてもらえない」
という価値観が根付くことになります

 


過去の経験に思うこと

「働かざるもの食うべからず」
という言葉が示すように
これは根深く、
普遍的な一面があります

「困り事を解決してくれてありがとう」
これが仕事と報酬の関係ですから
何かが出来て認めてもらえて、
はじめて食べていけるのも事実です
人には承認欲求もありますから、
認めてもらえれば嬉しいのもまた事実です

そういう意味で、
これも正解の1つなんですが


「役に立たなければ居場所がない」
わたし自身も思っていたことがあります
その姿勢は周りにも向いていて、
相手を認めない言動になっていました

現状を否定してあるべき姿を提示する
「こうならなきゃ認めない」と言う
傲慢な話です

わたしがしていたのは、
否定と価値観の押し付けに過ぎません
自分のやっていることが正しいと、
上からものを見ていたのもあるでしょう

わたしは関わった人の可能性を、
摘み取っていたのです
相手が変わることはありませんでした

人は自分がしようと思ったことをします
だから相手が変わる可能性を示したいのなら
現状を認めるところから始めた方がいい
過去から学んだことです

この経験があるので、
「出来たら認める」という考えを、
わたしはあまり好きになれないのです

 


まとめ:「ねばならない」は要らない

まあこれもわたしが好きになれないだけで、
他の考えが間違いってことじゃありません

幸せなのかな?という問いも、
幸せのかたちが人それぞれと考えれば、
答えは出てしまいます

男性で生まれたけど胸の出ている身体
これがわたしの正解だったわけですが、
みんなの正解とは思いません
みんなが正解と言ったとしても、
わたしがなりたくない姿もある
それでいいのです

 

なんであれ思うのは
「ねばならない」は要らないということです

「できたら認める」
「できなくたって構わない」
どちらも
「そうじゃなきゃいけない」
となった時点で他の排除になってしまいます

自分の好きになれない考えにも、
「それもまた正しいのだ」と言える
自分の選ぶ答えがあるのはいいけど、
他人の選ぶ答えにも価値がある

そう思える柔軟さを忘れたくないな
そんなこと思うのです

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