子供のこころで伝えよう

もっと子供みたいに言えばいいのにな
そう思うことがあります

人はたくさんの言葉を覚えて大人になります
ちょっとした比喩もあれば、
専門的な言葉もあり
どんな言葉を選ぶかで、
人柄や気持ちも分かったりする
面白いなって思います

多様性がある反面で、
それが原因で気持ちを伝えにくく感じる人

多いみたいですね
かく言うわたしもそうですが笑

言葉の違いは時に人を傷付けるから、
ためらってしまう
言葉に意味を与えるのは聞いた側だから、
考えても仕方ないんだけど
それでも人を傷付けたい訳じゃないから
いろいろ考えちゃいます

人の関係はこじれるとめんどうなものです
言葉に批判的な意味を与えて、
互いを決めつけ合ってしまう

傷付いてる気持ちを悟られたくない?
自分じゃなくて相手が悪い
それを認めさせようとするから?
ぶつかる言葉を聞いていると、
必要以上に固い感じがします

もっと素直に伝え合えば、
こじれることもないはすだから

見る度に悲しいなって思います

 

人の気持ちはシンプルなものです
表の言葉が固くても、
奥のこころは柔らかい
こころの発する言葉は、
子供の言葉と同じです

好き
嫌い
嬉しい
悲しい

こんな言葉は、
こころの鎧をすり抜けます
どんなに武装したこころにも、
ひょいと飛び越えて届いちゃう

大人は大きくなった子供です
こころの核は子供のこころ
その外側に、
年輪みたいに大人のこころが重なっている

子供の言葉が強いのは、
こころの核に近い言葉だからでしょう

 

子供のこころが核
そう思って飾りを削ぎ落とすと、
人のこころが見えやすくなります

なんだか難しいこと言って責めてくる人は、
~してほしい人
なんだか理屈をつけて怒ってる人は、
悲しいと感じている人です

これは自分も同じですね
理由をつけて回りくどく考えるのは、
自分を補強するため
こころの核はいつもシンプルです

 

言葉でコミュニケーションをする目的は、
思いを伝えるため
争うためではないはずです

だからこころはなるべくシンプルに
つたえる言葉もシンプルに
子供のこころで伝えていこう
そう思うのです
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